織田信長を読みあるく – 雨読寸評 5

京都・阿弥陀寺/この寺の清玉上人が信長の死体をもち帰り
ここに埋葬したとの説もあります / 信長の墓

池宮彰一郎氏の小説『本能寺』は、1998年からおよそ1年間にわたって毎日新聞に連載され、2000年に単行本として刊行されたものです。
内容的には、信長殺害には朝廷が黒幕としてかかわっていた、信長は光秀を後継者にと心の内で決めていた、光秀はひたすら信長を崇敬していた、信長謀殺のために最初に行動を起こしたのは秀吉だった、など当時としては驚天動地のものだったのではないでしょうか。あのころは本能寺の変といえば光秀の怨恨か、あるいは懊悩と鬱積で精神的な惑乱状態になり突発的に暴走したのか、どちらにせよ光秀がどうにかなってしまった結果と考えるのが常識でさえあったわけで、その意味ではこの『本能寺』の内容は、型破りとさえ言えたかもしれません。
この小説を読んでいると、作者が信長に関して「天才」または「天才的」と形容している箇所がずいぶん多いことに気づきます。数えたわけではありませんが、少なくとも10頁に1回以上はその表現がでてきます。作者が信長を最高評価しているがゆえですが、同時に信長の奇行、蛮行はもちろん、それがゆえに信長は殺されたのだろうと歴史家が指摘する史実もすべて真正面からとりあげています。そしてこういう理由があって信長は、というようにひとつひとつ論理的に説明し、信長の正当性、言い換えればそれゆえに信長は天才なのだと裏付けてゆきます。
信長を評価するうえでマイナス点ともいえる事実にもスルーすることなく堂々と反論し、天才信長を天才のまま描きつづけた姿勢には感服します。しかし時には信長にもこんな欠点があったとするほうが、信長の人間的な魅力はむしろ増すのではないでしょうか。また常に信長がやることに間違いはないとするのは、常に相手に過失があったと決めつけることにもなります。終始この論法で信長の天才をたたえつづけるのには、正直なところげんなりしてきました。
内容が型破りなのはおおいに結構ですが、説明にときとして横紙破りが見られるのはいただけません。
池宮彰一郎『本能寺』 ★★★★☆

津本陽氏の小説『下天は夢か』は全4巻の巨編です。
1986年12月から1989年7月まで日本経済新聞に連載されたものなので、昨今巷にあふれている信長関連書籍のなかでもずいぶん古いものになります。古いことは問題ではありません。
この小説を書くにあたっては、おそらく新聞社のお膳立もあったのでしょうか、スタッフとともにチームを組んでたびたび取材旅行に出かけるなど、下準備には万全を期したようです。またスタッフの中には歴史事項の確認やアドバイスをする学者まで含まれていたようで、たんに頁数の多い意味での巨編ではなく、製作費(?)もずいぶん費やした意味での大作と言えるかもしれません。
この作品が刊行された後に、信長に関する研究が飛躍的に進んだことを思えば、当時としては十分に先端をゆく歴史解釈のもとに執筆をすすめていると思われます。また御本人が剣道、抜刀道の有段者で、剣にかんしては常人のおよばぬ境地にあるのか、(合戦ではなく)個人と個人の斬り合いの描写には独特の凄みがあります。
しかしこの作品は楽しめませんでした。
ベースは重厚な文体で物語が進んでいきます。すると信長ら尾張者がしゃべる場面では「息災でいてちょーだいあすわせ」「とろくさあことを、ぬかす奴だぎゃ」「この馬は儂が乗るでのん – – -乗り潰すぎゃん」など当時のひょうきんな尾張弁(?)で会話がつづきます。そうかと思うと、こんどは古文書を古文のまま引用してあり、なんとか古文を読み終えると次には凄みのある斬り合いの場面があり、そこで場面がかわって「だぎゃ」のひょうきん尾張弁の再登場。どうにも内容をしっかり意識に染み込ませることができず、感動することを忘れたまま読了しました。
津本陽『下天は夢か』★★★☆☆

大徳寺・総見院にある織田一族の墓

大徳寺の塔頭・総見院にある信長をはじめ織田一族の墓も、信長木座像とともに春と秋の特別公開時にのみお参りすることができます。

画像は【aruku-35】より
https://yamasan-aruku.com/aruku-35/

山本謙一氏の小説『信長死すべし』は、自分的には数ある歴史小説の中でもっとも面白い作品のひとつに推したいと思います。良作、快作、傑作のどれに含まれるかと考えるとなかなか判断できませんが、ともかく読んで面白い。
この作品が書かれた2012年ごろと言えば、本能寺の変について本格的に朝廷黒幕説が俎上に上がりはじめた時期ですが、この作品では最初の章でいきなり正親町天皇が「信長死すべし」と誅殺を命じます。
小説の中で描かれるのは本能寺の変前後のおよそ45日間。各章は数日おきの時系列でならび、さらに章が変わるごとに正親町帝 → 明智光秀 → 織田信長 → 近衛前久 → 吉田兼和 → 勧修寺晴豊 → 里村紹巴というようにその場面での主人公が変わってゆきます。
物語りの展開が早く、短い期間に凝縮されているため最後まで緊張感が緩むことがありません。
この本を手に取るほぼすべての人が本能寺の変の実行者は明智光秀であることを知っており、しかも冒頭から「信長死すべし」の勅命が下されるのですから、物語りの中核をなすのは、いかにして光秀に信長誅殺の命をのませるかの経緯をたどることになります。しかも朝廷では、光秀がみごと信長を弑逆しそのうえで天下平定を成し遂げられるようなら帝からの勅命であると表舞台に出てゆき、不首尾であれば何の痕跡も残さず知らぬ存ぜぬを押しとおす奸計をめぐらします。その腹黒さ、責任をなすりつける卑劣、臆病、上下関係でのおためごかし、面従腹背、天皇をふくめ朝廷のことをここまでゲス扱いしてよいのか心配してしまいます。
それでも当時の、お飾り同然の存在価値しかなかった朝廷の、長いものに上手に巻かれることで生き残っていた姿をおもえば、さもありなんと苦笑してしまいます。
さて圧巻は、光秀が本能寺の変の直前の連歌会で詠んだ、あの有名な発句「ときはいま あめがしたしる さつきかな」の登場の仕方です。これぞプロの物書きのなせる技と敬服しました。
山本謙一『信長死すべし』★★★★★

加藤廣氏の小説『信長の棺』は、著者75歳にしてのデビュー作ということですが、「あとがき」によれば小説刊行の20年前から資料集めをはじめ、いったん書き上げた5千枚超におよぶ作品を再整理して上梓したとのこと。もとは大手証券会社勤務、埼玉大学経済学部の講師などを経て、ベンチャー企業のコンサルタントをつとめながら多数のビジネス書を執筆刊行していたそうですから、資料集めも執筆も玄人としてのものだったでしょう。デビュー作とはいっても小説でのデビュー作であって、すでに熟練の域に達しています。
この作品は文学賞こそ取っていないものの、ベストセラーになりました。
ベストセラーになったのは、当時絶大な人気をほこっていた総理大臣・小泉純一郎氏がよんで絶賛したとマスコミで喧伝されことに尽きると、揶揄する発言もあったようです。またミステリーの核となる、本能寺から隣接する南蛮寺まで逃げ道としてのトンネルが掘られていたという展開にたいしても、荒唐無稽だと中傷する歴史学者がいたと聞きます。
これは小説です。その物語のなかで事実関係に齟齬があるのなら批判もされましょうが、十分に構成された展開の中に、読者の興味を引きつける大胆な創作があって何が悪いのでしょうか。むしろ荒唐無稽をリアルにそしてたのしく読ませることは、文筆家としての技量が問われるところです。
こういう頭のかたい学者先生には、なぜ自分の著書が売れないのか、この「信長の棺」でも読んで、面白くなければ本は売れない、本が売れなければどれほど高度な学論をとなえても、一般大衆には受け入れられないどころか知られることさえない事実を認識していただきたいものです。
加藤廣『信長の棺』★★★★☆

司馬遼太郎氏の小説『国盗り物語』は、新潮社の文庫本では全4冊ですが、前の2冊は斎藤道三編、後の2冊が織田信長編となります。実は斎藤道三を主役にすえた小説を雑誌で連載していたところ、好評につき出版社から連載の継続を依頼され、司馬氏本人が織田信長を主人公にして続けることを決めたそうです。
続きを信長でゆくことについては、斎藤道三の娘(帰蝶のちの濃姫)が信長に嫁いでいること、また(司馬氏の解釈によると)明智光秀が斎藤道三の甥にあたり、道三は婿・信長の才も甥・光秀の才もたかく評価していたとし、その信長と光秀が互いに相手を認めながらも最終的には本能寺の変へと突き進んでゆく、その過程をえがく構想を持っていたようです。
斎藤道三は梟雄として知られていますが、この作品のなかでもとんでもない悪玉として登場します。しかし悪玉を悪玉として描きながら次第に読者を魅了してゆくのが司馬氏の本領です。途中からすっかりファンになってしまい、道三がまんまと美濃の国を盗ったときには喝采してしまいます。
信長も常識外れのうつけ者として登場します。天下統一のためとはいえ、ためらうことなく非情あるいは非道な命令も下しているので、けっして善人として描かれているのではありません。しかしこんな場合でも司馬氏の筆であれば、信長もまた魅力あふれるヒーローになってしかるべきなのですが、そうはなりません。
ここに光秀がいて、信長をえがくとはいえ構成上は二人主役のようで、信長の横暴なふるまいを光秀が戸惑いと悲しみをもって受け止める構図ができ上がっています。信長にも思い入れがあれば、光秀にもあります。そうなると、「おい信長、ええ加減にしとけ、光秀がかわいそうやないか」という気にもあり、その感情が邪魔をして信長にのめりこむことができません。
司馬遼太郎『国盗り物語』★★★★☆

信長が天下布武をとなえた岐阜城
信長の功績をたたえて建立された建勲神社(京都)

神田千里氏の研究書『織田信長』は、従来の信長のイメージをいったんリセットし、さまざまな資料から再検討して、信長は幕府や朝廷をけっこう重んじていた、信長にはもともと天下取りの野望はなく他の大名との共存も考えていた、信長は世間の評判や常識にも敏感だったと自論を展開してゆきます。
あたらしい説を唱えるためには、従来のイメージの元となるもの、あるいは通説を否定しなければいけません。いままで世に出ていなかった書簡などの新資料がみつかったのなら、それらを大いに調べて新事実を見つけ出していただければよいのですが、そうでない場合はなにをもって従来のものを否定するのか。
織田信長をあつかった書籍(小説、解説書、研究書、コミックなど)は膨大なほど巷に溢れています。自分の書棚を確認したところ信長をメインとして扱ったものに限定しても20作ほどは読んでいますが、これでも刊行されている全書籍数の1/10にも満たないでしょうし、最近定着しつつある電子書籍をふくめれば、つぎに読むものを選ぶのに困るほどの数が存在しています。
信長に関する記述(あるいは学説)は、従来のものと似たり寄ったりでは、いまや誰も注目してくれません。ましてそれが書籍として出版されるのであれば、よほど目を引くポイントがなければ売れることはないでしょう。
神田氏が自分の説に世間の注目を集めるため従来の信長のイメージを否定してみせたと邪推するつもりはありません。従来の資料を読み返しながら、けっこう信長は幕府や朝廷に気を使っているのではと感じる部分を見つけられたのかもしれません。しかしそこから本として出版されるまでの経緯で、「宣伝文句にもうすこし刺激的な文言を入れたい」と、出版社との間に暗黙の忖度はなかったのか。最近肩こりがひどくて時折首を回しながら斜めにみると、そんなことを考えてしまいます。
神田千里『織田信長』★★★☆☆

安部龍太郎氏の解説書『信長はなぜ葬られたのか』は、雑誌「歴史街道」などに連載されたものをもとに、大幅に加筆修正してひとつの本にしたと末尾に書かれています。
単刀直入にいいますと、加筆修正してまで一冊の本として刊行する必要があるのかと疑問に思います。まずタイトルからしていかにも大仰で、さらにサブタイトルの「世界史の中の本能寺の変」によって他書との差別化を図っているのか。とにかく売りたいとの意図がみえみえなのは、先に書いた加藤廣氏の小説を当時の小泉首相がよんで絶賛したことが多大な広告効果をもたらしたことを模倣したのか、とうに総理大臣を辞したどころか政界をすでに引退していた同氏に推薦を依頼して、ご丁寧に同氏の写真入りで帯広告にしていること。しかも写真はあるものの、その推薦文を見るかぎり小泉さんははたしてこの本を読んだのか? と首をかしげてしまいます。
そもそも当時人気絶大だった現役の総理が自ら読んで絶賛したのと、すでに政界から引退して久しい元総理に依頼して推薦してもらうのと、その差はみじめなくらいに大きかったのではないでしょうか。広告効果だけでなく、本の内容もみじめなぐらいに差があります。
著者のあとがきをふくめて234頁の本ですが、信長のことに直接触れているのは第一章と第二章114頁まで、第三章145頁までは強いていえばその背景ということになるのでしょうが、好意的にみても無理やり押し込んだ感は否めません。そして第四章「戦国大名とキリシタン」になると、内容は「信長はなぜ葬られたのか」とはまるで別物で、さらに著者がどこそこへ取材旅行に行ったとか、誰に呼ばれて講演にいったとかの記述が満載になります。そういう土産話だか自慢話だかを聞きたくて、この本を買ったのではないですよと伝える方法はないものでしょうか。
この本はアマゾンの中古本販売の枠で、1円+送料で売られています。メルカリでは300円で出回っています。ちなみにメルカリで出品するには300円が販売最低価格だそうです。買って読んだけれど、書棚に並べておく価値なしと判断した人がそれだけ多いということでしょう。
安部龍太郎『信長はなぜ葬られたのか』★☆☆☆☆

千田嘉博氏の解説書『信長の城』は、テレビで最近ちょくちょく見かける、あの城解説の千田氏の著作です。
この著書は分類でいうと研究書とすべきなのかもしれませんが、千田氏がテレビで見せる人柄そのままに、まったく上から目線になることなく、さあ皆さん一緒に調べてみましょうといった調子で筆をすすめているので、学術研究といったような堅いイメージはまるでなく、それゆえ解説書としました。
この方の、もっと以前に書かれた「戦国の城を歩く」は、研究書であるにもかかわらずときどきジョークやダジャレがまざり、しかもそれらがことごとくスベッテいて、なんとも楽しくほのぼのと読ませてもらいました。そして千田氏のおかげで城ファンになり、いまに至っています。
この「信長の城」も小難しいところはありません。ですが、タイトルのとおり「信長が築いた城」に限定して書かれているので、一般受けするかというと、なんとも言えません。
たとえば「日本百名城を旅する」というような本であれば、より多くの人に読まれると思います。しかしその読者の大半は読み終えて本棚にならべ、その日を境に買って読んで並べたことすら忘れるのかもしれません。
「信長の城」をよんで、難しくてよく理解できないという人はいないと思います。読んだけれどテーマが偏りすぎていて面白くなかったという人はきっといるでしょう。しかし千田氏が城をめぐることも城をしらべることもこんなに楽しいんですよと、みずからが一番楽しんでいるかのように説明してくれると、その偏り過ぎたテーマにいつの間にかはまってしまうかもしれません。そうなると、いつの間にか私のように城ファンになっているはずです。
千田嘉博『信長の城』★★★★☆

織田信長

Posted by 山さん