神社・仏閣,京都

【京都市 2026.9.18】今日は京都市右京区の嵯峨野を訪ねます。右京区の呼び名について京都在住の方はご存じでしょうが、他府県の方で疑問に思うひともいるでしょうから先に述べておきます。京都市の地図を見れば当然北が上になっており、西は左で、その左に左京区ではなく右京区があります。これは古代に天皇は北を背にして南にむかって公卿と対面して政まつりごとをおこなったことから、天皇から見ると右が西だったという由緒ある(見方をかえると因習的な)理由によります。 嵯峨野と言えば嵐山。渡月橋をわたって天龍寺から竹林の小径へと北に歩きます。このあたりは京都でも屈指の混雑する地区-... Read More | Share it now!

神社・仏閣,京都

【京都府・宇治市 2026.9.4】 今日は曹洞宗(禅宗)の最初の道場として開祖・道元が開山した宇治市の興聖寺をたずねます。京都で寺を訪ねるのなら比叡山延暦寺(天台宗)とか東・西本願寺(浄土真宗)などはるかに有名な寺がいくつもあります。それどころか同じ禅寺でも臨済宗ならば南禅寺、天龍寺、東福寺など錚々そうそうたる名刹が(しかももっと便のいいところに)あります。なぜ敢えて曹洞宗なのか、その理解をえるためには日本における仏教信仰の変遷をざっと話しておく方がよいかと思います。 仏教が百済から伝来したのは6世紀半ばのこと。飛鳥時代から奈良時代にかけて天皇直々の帰依もあって大いに隆盛します。この時代の仏教は平城仏教あるいは奈良仏教徒とよばれ学問として仏の教えを学ぶのであり、出家したものしか救われることはなく、そのため後世には「限られたものしか救えない器=小さな乗り物」という意味で「小乗仏教」と揶揄されます。 平城京から長岡京、平安京へと遷都したのは桓武天皇ですが、平城京からはなれた理由の一つは強大な力をもちすぎた奈良仏教から距離を置くためだったと言われています。桓武天皇の庇護のもとあらたな仏教をもたらしたのが最澄(天台宗、比叡山延暦寺)であり、その皇子である嵯峨天皇と深く結びつき独自の仏教(密教)をひろめたのが空海(真言宗、高野山と東寺)です。奈良仏教が国家鎮護のために布教が後押しされたのにたいして、平安仏教は個人の救済に重きをおいたものです。これからのちの仏教は大乗仏教と呼ばれています。 ときは移り鎌倉時代になると、武家が台頭し朝廷の力が弱くなるのにともない庶民の存在が重視されるようになります。庶民にとっては「多くの人を救う大乗仏教」といわれても、それを学ぶ時間も識る機会もありません。そこで登場するのが、念仏を唱えれば誰もが救われると法然ほうねんの説く浄土宗であり、仏(阿弥陀仏)の救済を一心に信じることであらゆる人が極楽浄土へ行ける(救われる)と親鸞しんらんが説く浄土真宗。こうして仏教は本来の釈迦の教えとは似ても似つかぬ、もっとも重要な「悟り」が抜け落ちた異形いぎょうなるものに変容します。 法然・親鸞の一世代あとに登場するのが道元です。道元は比叡山延暦寺で出家しますが、そこでの修行生活に得るものを見い出せず山を下り建仁寺(臨済宗)で禅を学ぶことになります。 宇治川をのぼる 京阪宇治駅から宇治川沿いをのぼると、やがて朝霧橋が見えてくる 朝霧橋から眺める中央の赤い橋の奥あたりに興聖寺 道元は建仁寺で学んだあと中国(南宋)にわたり、如浄にょじょう禅師に師事して修行の末に、ただひたすら座ること「只管打座しかんたざ」によりすべての煩悩や執着から解放された悟りの境地「身心脱落しんじんだつらく」に至ります。おなじ禅宗でも臨済宗が座禅だけでなく公案(禅問答)のやりとりで理論をこえた悟りを目指すのに対して、曹洞宗はただ無心で座ることが修行のすべてであり、その無心で座ることこそが人の本性であり悟りそのものなのであるとしています。もっとも、わたしのような煩悩のかたまりの凡夫には理解が難しいのですが、「悟りとはなにか」を考えることも「悟りの境地」を求めることもすべて支障になるだけ、なにも求めず迷わず考えずただ座禅をしなさい、これが極論すれば教えのすべてです。それゆえ私がここで曹洞宗の禅とはなにかを書くことはできません。ましてやそれを読んで禅とはなにかを理解できるはずもありません。 ※禅について、鈴木大拙氏の著作は当人が哲学者ゆえ妥協のない(?)硬い文章で書かれているため読みこなすのは、それこそ股関節の硬い人が座禅を組むほどになかなか、です。個人的には、禅に興味をもったのでなにか読んでみたいのレベルであれば、鈴木俊隆氏の「禅マインド... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・木津川市 2026.7.3】京都府の地図をよく見ると、南部については大阪府(西)と滋賀県(東)に挟まれながら南端はその狭間から押し出るように奈良県へと出っ張っています。これを奈良県の地図で見ると、京都府の出っ張りのために北端がいびつに窪んでいます。いまの京都府南端・木津川市あたりは、江戸時代末期には津藩や柳生藩が部分的に領有し、さらに幕府の天領もあれば朝廷の禁裏御料も存在し、くわえて寺領まで散在する利害が絡み合った土地でした。それゆえ廃藩置県においては、なんらかの力関係だか忖度だかがあって京都府に組み入れられたのでしょう。しかし大阪府民である私が第三者の目で見ると、木津川市あたりは奈良県としか思えません。 聖武天皇が一時期平城京を離れることを考え最初に遷った恭仁京くにきょうはいまの木津川市の北部にあたります。奈良仏教の俗化を嫌い、多くの南都の僧が修行の地として選んだのがいまの木津川市の南部にあたります。これらの歴史を鑑かんがみても、また地理的にもJRで京都駅から木津駅まで50分かかるのに対して、奈良駅からだとわずか7分。それゆえ個人的には木津川へ行くのは奈良にゆく感覚なのですが、あまり声高に主張するほどのことでもないので... Read More | Share it now!

神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・宇治市 2026.6.16】今日は京都の宇治市にある三室戸寺へ20年?ぶりに紫陽花を見に行きます。いつもなら冒頭で三室戸寺の由緒などを書くのですが、ざっと調べてみても興味をひかれるポイントがなかったので省略します。気になるかたはウェブで調べてみてください。そのついでに「三室戸寺、紫陽花」で検索して【画像】をクリックし、境内に絢爛と咲きほこる満開の紫陽花の画像にしばし目をやってください。そうすれば、現実に三室戸寺まで出かけて満開のはずの紫陽花を目にした私が受けた落胆と不満を理解していただけるかと思います。※「三室戸」は寺としては三室戸寺(みむろとじ)ですが、最寄りの駅名は三室戸駅(みむろどえき)と発音します。 山門 紫陽花シーズン真っ只中、さすがに人も多い 山門 山門を入って、下にひろがる紫陽花園を見わたす この時点で気づいたのですが、紫陽花の花がやけに少ない。近所のパン屋で「干しブドウがいっぱいのレーズンパン」を買ってみたところ「干しブドウがまばらなレーズンパン」だったと落胆したような心境。 堂宇 手水舎 手水舎を紫陽花(鉢を並べている)で飾るのは良いとして、手水が使えないのはどういうことでしょう。ここで身を清めて仏に向き合うのが手水舎が置かれている趣旨ではないのか? 堂宇を見わたす... Read More | Share it now!

怨霊,神社・仏閣,京都

【京都市 2026.6.4】今日は早良親王さわらしんのうの怨霊を鎮魂するために創建された神社を歩いてみます。予定としては、京都三条京阪駅から下御霊神社、上御霊神社、そこから比叡山にむかって歩き洛北の崇道神社に参ります。道程はそこそこ長いので(10kmほど)途中気になるところがあれば寄り道もアリということで。あらためて考えてみると早良親王といえば桓武帝の時代に怨霊となって数々の祟りをもたらしたという以外に歴史に名をのこすこれといった事績のない方。もし履歴書を書くとしたら、「〇〇年生まれ、〇〇年没。備考:死後怨霊となって数々の災厄をもたらす」くらいか... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市 2026.4.27】このところ朝からすっきり晴れる日がほとんどなくて、たまに晴れたかと思うとそういう日にかぎって(毎日が休日の)私にもたまたま抜けることができない約束がある。そんなこんなで窓の外を見ていたら、昨夜来の雨があがり西の空はうっすら明るくなっている。のでスマホで天気予報をチェックすると、午後から大阪も京都も奈良も晴れると。いまは新緑の季節。「水も滴るいい男(女)」という表現がありますが、雨上がりの新緑はまさに水も滴るような瑞々しさに輝いて見えます。関西で新緑の美しい場所と言えばいくつか候補はありますが、大阪市内に暮らす身で午後から気軽に出かけられるとなると、京都市街の北につらなる山あいの、そのなかでも貴船神社が最有力候補、ということで今日は家内も誘って出かけることにしました。 叡山鉄道・貴船口駅 叡山鉄道のパノラマ車両「きらら」 大阪と京都をむすぶ京阪電車、その京都側の終点が出町柳駅。改札を出て地下道をあるいてすぐに叡山鉄道の乗車口があります。本線とはべつの鞍馬線に乗ると貴船、鞍馬へと運んでくれるのですが、その手前の市原駅と二ノ瀬駅の間に「もみじのトンネル」があり、その約250mはわざわざスピードを落として運転してくれます。 ※叡山鉄道のパノラマ電車は予約不要で無料ですが、全便で使われているのではありません。HPで確認できます。 貴船口駅のホーム 駅を出ると目の前が貴船川 貴船川沿いをあるく 新緑、そのほとんどが青もみじ 遡っているので右に貴船川が見える 青もみじの隙間からみえる山も新緑で輝いている 川床(の料理屋)が見えてくると、間もなく貴船神社の本宮赤いモミジは春に紅葉するノムラモミジ 川床ではこのモミジを見ながら鮎料理を楽しむ 川床は江戸時代に納涼のため、川面の上に床を張ってそこに坐って喫茶したのが起源だそうです。京都で川床といえば、鴨川とここ貴船川が有名ですが、鴨川(三条四条あたり)では「かわゆか」と読み、貴船では「かわどこ」と読みます。理由は、鴨川では建物の床(ゆか)をそのまま川面に張り出したのに対して、貴船川では建物よりずいぶん低い川面に床(とこ)を据えた、その違いによるそうです。 本宮 本殿への石階段紅葉でも青モミジでも、あまりにも絵になる風景 貴船神社・本宮は水を司る高龗神たかおかみのかみを祀っています。創建はたいへん古く、社伝によると神武天皇の母によるとされており、記録として残されているものでは、千年ほど前にもともと社があった奥宮が大水で流されたためこの場所に遷したとされています。平安時代に定められた重要な神社「二十二社」のひとつに選ばれているので由緒の正しさは折り紙付きです。※「二十二社」は当時のことゆえ畿内の神社を中心に選定しているため、今ではこの格付けは使われていません。 左の建物は展望所兼休憩所 展望所兼休憩所 ご神木の桂の大樹 本殿 干ばつ時の祈雨の儀では黒馬を、長雨の際に止雨の儀では白馬を奉納した 貴船神社の由緒についてもう少しくわしく書いておきます。神武天皇の母ですから神話の時代になりますが、玉依姫たまよりひめは浪速の津(大阪湾)から黄色い船に乗って淀川~賀茂川~貴船川と遡り、この地に水神を祀ったとされており、これが貴船神社の起源とされています。黄色い船→黄船、これが貴船の由来で、しかも地名としては「きぶね」と呼ぶが、神社としては「きふね」が正しいとまで言われると、オチかと突っ込みたくなります。※黄という色名が使われ始めたのは平安時代からで、それまでは黄色という色別表現がなかったのですから「黄色い船」と記録されることはなかったはず。さらに玉依姫が乗ってきたゆえ貴い船→貴船ならわからないでもないですが、なにゆえ黄色い船→貴船とこじつけるのか。のちの時代の関西人がウケ狙いでダジャレとして言ったとしか思えない。 もう一つの起源説。「平安京に遷都されてからは、貴船が御所の御用水である賀茂川の最上流にあることから川上神として崇めれ」これは『京都の寺社505を歩く』に書かれていることをそのまま書き写したものですが、これが正しいのではないでしょうか。(すくなくとも正しいと思える) 中宮(結社ゆいのやしろ) 本宮から中宮へと歩きます 中宮... Read More | Share it now!

山登り,京都

【滋賀県・大津市 2026.3.24】逢坂の地名は全国にいくつもあります。いまでは「おうさか」と呼ばれていますが、古代には人と人がその坂で出会うことから「あふさか」だったと言われています。百人一首、と書きかけたところでついでに言っておきます。小倉おぐら百人一首は、鎌倉時代に藤原定家が京都嵐山の後背に位置し保津峡を北に見る小倉山の山荘で、そもそもが天皇の勅命で編纂された数々の勅撰和歌集(古今和歌集など)から厳選して、百人の各一首をまとめたものです。(ちなみに小倉餡おぐらあんは、この小倉山で栽培された小豆からつくった餡ゆえに命名されたそうです。) 「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂あふさかの関」これは百人一首10番、作者は蝉丸。「ああこれが、京から出てゆく人も帰ってくる人も、知っている人も知らない人も、出合いまた別れる、逢坂の関なのか」蝉丸は盲目の琵琶法師だったそうですから、私にはなぜ逢坂での人の往来を見たかのように認識できたのかという疑問が出てくるのですが、逢坂の関はすでに歌枕になっており、逢坂の関とくればこんな情景と定義づけられていたと理解すべきなのでしょう。またこの歌は視覚的に人の往来を詠んだだけでなく、人には出会いもあれば別れもある、人と人が出会えば必ず別れもあると、平家物語でいう「祇園精舎の鐘の声... Read More | Share it now!

神社・仏閣,京都

【京都市 2026.3.5】小野小町は世界三大美人のひとりとされています。クレオパトラ、楊貴妃、そして小野小町。クレオパトラは紀元前の古代エジプトの人、楊貴妃は8世紀の中国(唐)の人、小野小町は9世紀の平安京の人。地理的にも時代的にもこれだけ見るだけで、なんだか怪しい説との見当はつくでしょう。 しかし小野小町が美しい女性であったことは、写真はもちろん当時の肖像画も残ってはいないものの、どうやら確かだったようです。多くの男性に言い寄られたという事実から美なのか艶なのか男が喜ぶような魅力があったことはわかるし、歌人としての優れた才能からその魅力が官能的なものではなく、おそらくは凛とした美しさだったと想像されたのではないでしょうか。 ところがその小野小町、没年齢がはっきりしていません。60代と伝えるものもあれば、70代、80代、90代、ついには100歳没説まであります。没年齢だけでなく、没地もはっきりしません。小野小町の墓でしらべると、東北から本州最西端の下関まで20ヶ所ほどの「候補地」が見つかります。 おそらくは後半生があまりにもはっきりしないため、ここから謎が謎をよんだのか創作が創作をまねいたのか、老いた小野小町は乞食然の落魄した姿で諸国を放浪しついには路傍で野垂れ死にした、さらにはその骸骨(頭蓋骨)の眼窩からススキが生えてきたといった怪談めいた話まで残されます。 補陀洛寺(小町寺) 一般道の歩道から いきなり急階段をのぼりますそれだけ境内が手狭ということでもあります 補陀洛寺の境内にたつ十三本檜1本の根元から13本の幹が出ているとのことですが、何度数え直しても10本しかありませんでした。これも怪奇のひとつ? 小野小町姿見の井戸 あなめのススキ眼窩からススキが生えて、穴目のススキ? 補陀洛寺は(このあたりの伝承では)小野小町の終焉の地とされています。堂内には「小野小町老衰像」(90歳ごろの像とか)が祀られているそうですが、拝観するには予約が必要です。わたしはサイトの画像で十分満足したので予約見学はしていません。 ところで乞食をしながら諸国を放浪したとか路傍で野垂れ死にしたと伝えるかと思えば、ここでは平安京はずれの寺で没したとか、それにもかかわらず頭蓋骨の眼窩からススキが生えるとか。どうやらこの話は、胡散臭い。 中央後方が小野小町供養塔左は深草少将通魂碑 深草少将は小野小町に熱心に愛の告白をします。ところが小野小町はそれを煩わしく思い、テキトーにあしらうために私のもとへ百夜通えばその愛に応えようと告げます。深草少将は九十九夜までは通い続けるのですが、いよいよ最後の日になって雪降る中で行き倒れになってしまいます。じつはこれ、能作者たちが創作した『百夜通いももやがよい』というつくり話で、実話ではありません。 補陀洛寺をあとにして 川沿いに岩倉へとあるく 次の目的地である随心院は電車を乗り継いで醍醐あたりまで行かねばなりません。せっかく叡山鉄道沿いのこの地を訪れながら、補陀洛寺ひとつで立ち去るのはなんとも物足りない。ということで、岩倉の一角にある圓通寺を訪ねるべく叡山鉄道沿いでもあり川沿いでもある道をのんびり歩くことにします。とは言いましたが、ここで圓通寺に話題が移ったのではテレビドラマを見ていたら途中でいきなり他の番宣が入るようなものでしょうから、圓通寺は後回しにしてブログは隨心院へとつづけます。 随心院 総門から 長屋門から庫裡をみる 庭園 期間限定の花の間きれいですが、ぜんぶ造花です 堂宇がならぶ境内への正門 このあたりに小野小町が晩年を過ごした居住家があったとつたわる 小野小町化粧井戸 路傍で野垂れ死にから、補陀洛寺では寺院が終焉の地となり、随心院では専用の井戸もある家で暮らす生活に昇格しています。なんじゃこりゃ、といったところでしょうか。随心院には「卒塔婆小町像」が祀られています。こちらは拝観料をはらって堂内にはいればいつでも拝観できます。(写真撮影は禁止) 能のなかに「卒塔婆小町」という物語があります。高野山の僧があるとき卒塔婆(墓石に後ろに立てる戒名などを書いた板)にすわる乞食老婆を見かけます。話をしたところずいぶん教養豊かで、その素性を問うて小野小町の成れの果てだとわかります。さらには過去の栄華を語るうちに、熱愛された深草少将に冷たくあたり深草が雪のなかで凍死したことを告白するうちに怨霊に取りつかれついには狂乱しはじめます。最期は怨霊から解放され悟りの世界へ向かうというストーリーですが、これは先に書いた『百夜通い』の続きであることは明白です。 小野小町の文塚 この文塚は、小野小町が男達からもらった恋文(ラブレター)を大切にとって置いたものを埋めたと伝わっています。自分に思いを寄せた男性たちの気持ちがこもった文を捨てたり焼いたりするのは罪だと感じて大切に残しておいたということです。 随心院につたわる小野小町の晩年の姿が真実であるのかどうかはわかりません。しかし能の題材につかわれ、墓の候補地が20ヶ所もある乞食老婆とする話の方がどう考えても不自然です。もしかすると、小野小町はクレオパトラや楊貴妃に劣らぬほどに美しく、それだけ羨望もされれば嫉妬もされたのかもしれません。 圓通寺 圓通寺近くの道端からみる比叡山 時間を巻き戻して、圓通寺へ向かう道にもどります。ここで比叡山の写真を掲載したのには理由があります。圓通寺の庭園は比叡山を借景にしています。それゆえ雲で山が見えないのでは訪ねてゆく意味がなくなります。 ここがもとの正門? 境内に入ります 枯山水庭園と比叡山堂内は一切撮影禁止 【アクセス】叡山鉄道・市原駅~補陀洛寺~圓通寺~木野駅... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市 2026.2.10】京都東山というと、清水寺や高台寺、八坂神社や二年坂など多数の人気観光スポットが集まる地区の名といまでは思われていますが、そもそもは京の都... Read More | Share it now!