山崎の合戦のシンボルとなった天王山にのぼる
【京都・大山崎町 2022.1.3】
明智光秀が突如謀反をおこし織田信長を討った本能寺の変。その報せをうけた羽柴(豊臣)秀吉は、当時敵陣と向き合っていた備中高松城から世にいう「中国大返し」でもって摂津まで駆けもどり、そして山崎の地で一気に明智軍と雌雄を決するため合戦に及びます。
山崎の地の背後にあるのが天王山。その天王山に登ってみます。
登山口へ
踏切の向こうに盛り上がっているのが天王山です。
山というより、小高い丘レベルです。
天王山の麓にある宝積寺につきました。
ここは打出と小槌を祀っていて「宝寺」の別名があるそうです。山崎の合戦に関する本を読んでいると、たびたび宝寺の名で登場します。
縁起が良いからでしょう、初詣をかねたけっこうな人出でした。
天王山の登山口にあるオリジナルのマンホール蓋です。両方ともにおそらくは一点物。
いざ天王山へ
登山口の案内にも「ハイキング道」と紹介されていたぐらいで、整備された道を登ってゆきます。
途中に展望所があります。
風景自体はわざわざ見るほどのものではないのですが、合戦時の両陣営の配置図と見比べながら遠望すると、違った楽しみ方もできます。
天王山を山崎側からのぼると、途中々々に秀吉の側から見た「本能寺の変」「山崎の合戦」「天下統一への道」がこのような解説版によって紹介されています。
堺屋太一氏の作と記されていますが、氏の私見というよりも、秀吉を英雄にすることを前提につくったもののようです。
山頂・山崎城跡
天王山山頂に到着しました。
秀吉は山崎の合戦を経験して、この天王山の地理的な重要性を認識し、ここに山崎城を築いたそうです。
明智光秀vs羽柴秀吉 そえぞれの山崎の合戦
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宝積寺のある南西から登りはじめ、北東方向へ下ることにします。
小倉神社につきました。大山崎から登る場合はまず宝積寺がありましたが、こちら側から登る場合はまずこの小倉神社を詣でることになります。
なお秀吉は、山崎の合戦に先立って家臣の片桐且元をつかわしてこの小倉神社で戦勝を祈願し、勝利したため毎年米三千俵を寄進したそうです。
【歩行距離】阪急大山崎駅→宝積寺→天王山→小倉神社→阪急長岡京駅 16,000歩
【入場料】すべて必要なし
【満足度】★★★☆☆