織田信長

京都・阿弥陀寺/この寺の清玉上人が信長の死体をもち帰り ここに埋葬したとの説もあります /... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,兵庫

【兵庫県・神戸市 2023.2.22】兵庫県の南東部、神戸市須磨区から宝塚市まで六甲山系の峰々をつたい歩く、六甲全山縦走路があります。昨年12月には、東端の宝塚駅から六甲山最高部にちかい一軒茶屋をへて有馬温泉にくだるルートを歩きました。今回は逆に西端の須磨浦公園から出発して、東へ向かって歩いてみたいと思います。 六甲全山縦走路のマップはネットでもいろいろ見れますが、下の... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,東京

【東京都・千代田区他 2023.2.18】昨秋会社をしめる際に、外出を控える世間の空気もあり直接会って挨拶することなく付合いが絶えてしまった得意先や同業者の方々がいました。そこで、かつて自分も出展していた大規模な展示会がいま東京で行われているので、そこへ行けば幾人かとは確実に会えると考え、3年ぶりに東京へ行くことになりました。仕事の続きみたいなものですが、すでに会社がないので交通費を経費で落とすわけにもいかず、それならば一泊して、いま興味を持っている忠臣蔵に関係した地を回ってみるのはどうか。ということで、かつて使っていた東品川、大崎あたりのホテルは高いので(ネットで調べると、なぜかコロナ前よりも3割程度上がっていました)、両国に安いビジネスホテルを見つけて、そこからスタートすることにしました。 吉良邸跡 吉良邸跡... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,奈良

【奈良県・橿原市 2023.2.11】天照大神を先祖にもつ神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)は45歳のときに日向の国を発ち、途中吉備の国に3年ほど滞在して軍容をととのえ、ここから本格的に東征を開始します。難波、熊野と回って大和に入り、数々の戦いをへてついに大和の国を平定。そして畝傍山(うねびやま)の麓、橿原宮にて初代天皇に即位します。これがのちの神武天皇です。なおこの年が西暦では紀元前660年ですが、日本において神武天皇即位を基準にした紀元ではこの時が元年となり、西暦2023年の今年は皇紀2683年にあたります。神武天皇については、即位したのが50歳(51歳?)のとき、そして76年間在位したとのことなので亡くなったのは126歳(127歳?)ということになり、伝説の域をでません。しかし古事記にはじまる神々の伝説が、日本書紀にかわって天皇の系譜をつたえるようになり、ちょうど日本の歴史が「言い伝え」から「史実」に移行するあたりに位置するため、神武天皇こそが最初の天皇と考えられるようになったのではないでしょか。史実として確かなことは、平安時代には同地に神武天皇の陵墓があったと記録されています。そして明治23年(1890年)に神武天皇と皇后を主祭神として橿原神宮が建立されます。神社の社格としては勅祭社になります。勅祭社とは例祭のときに天皇からの勅使(天皇の代理ですが、天皇に等しいものと位置づけられます)が派遣される、全国に現在16社しかない別格の神社のことです。そして神武天皇が即位したのは旧暦の1月1日、これは新暦の2月11日にあたるため、今日が橿原神宮の例祭の日であり、この例祭は紀元祭と呼ばれています。建国記念日に、紀元祭をおこなう橿原神宮に参詣してみます。 橿原神宮・表参道から西参道 橿原神宮前 予想どおり右翼の関係者がどっと参集していました。しかし街中でみる大音量の街宣はもちろんなく、低音量で君が代を流しながら静かに車列が流れてゆきます。自分自身が15度くらい右寄りなので、こういった静かな活動であれば、なんら抵抗はありません。 第一鳥居 神橋から第二鳥居 表参道から入りましたが、さきに西参道へ抜けてみます 西参道は深田池にそって続きます 途中に長山稲荷社があります 神饌田... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,奈良

【奈良県・宇陀市 2023.2.9】奈良県の東寄りにある宇陀市は、山間にひろがる町や村で穏やかな生活が営まれている、そんな印象の土地です。ここに室生寺という寺院があります。古い歴史をもつゆえ古刹であり、知る人ぞ知るという意味では名刹ともいえます。起源はふるく、奈良時代に桓武天皇が皇太子のころ病をわずらい、その病気治癒の祈願をこの地でおこない健康を回復したことから寺院の建立が始まったと伝わっています。(他にも起源説はありますが、この話がいちばんスッキリしています)平安時代から室町時代にいたるまでは、現在の奈良市奈良公園のかたわらにある興福寺の末寺(または別院)としてその傘下にあったようですが、江戸時代になってしだいに高野山・真言宗の密教色が濃くなってゆきます。おそらくは経済的な問題ではないかと思われますが、元禄時代になり、当時の江戸につくられた護国寺に拝領されることになります。(要するに親が興福寺から護国寺にうつる)護国寺は、桂昌院が息子である綱吉(お犬様で有名な5代徳川将軍)にせがんでつくってもらった真言宗の寺です。桂昌院からの多額の寄進により大々的に改修を行うこともでき室生寺は再生します。ここにおいて正式に真言宗寺院へと宗派替えしますが、同時に高野山・金剛峯寺が女人禁制であったのに対して、ここ室生寺は女性の桂昌院が最大の支援者であったこともあり、女人も自由に参拝できるようになります。そのため「女人高野」の別称があります。ところで室生寺には東西南北に4門があり、その4門にかこまれた一帯が聖域とされていたそうですが、いまも南門の佛隆寺から室生寺へ、さらに西門の大野寺へとつづく道が室生古道として残っています。今日は、その室生古道を歩きに行きます。 伊勢本街道をあるいて佛隆寺へ 川沿いに南へあるく JR榛原駅から佛隆寺まではバス便もありますが、本数が少ないので5kmほどの道のりですから、歩いて行くことにしました。なお今歩いている道は、元・伊勢本街道になります。 佛隆寺への道標と、伊勢本街道をしめす石柱 ここで、右へそれる伊勢本街道とわかれます 佛隆寺へは緩やかな坂を登って行く 佛隆寺に到着。この長い階段を上ると境内 佛隆寺 本堂(手前)と白石神社(右奥) 左にみえる十三重石塔は重要文化財だとか 堅恵上人がここにこもって修行した石室... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,大阪

【大阪府・南河内郡千早赤阪村 2023.2.5】楠木正成と書いても、今の時代では「くすのきまさなり」と読んで、それ誰?と反応する若い人もいるのかもしれません。「くすのきまさしげ」と読みます。天皇を日本国の頂点とする勤王思想によるならば、間違いなく日本史上トップクラスのヒーローです。天皇家が分裂して争うことになる南北朝時代に、後醍醐天皇に忠誠をつくして南朝のもとをつくる人物です。同朋であった足利尊氏と袂をわけて戦い敗れますが(湊川の戦い)、それも10万もの足利勢を少数で迎え撃つべく練り上げた戦略を後醍醐天皇に却下され、敵の大軍に玉砕覚悟で挑んでゆく私心のない姿があたかも仁義勇を象徴するかのようで、むしろ評価を上げます。足利尊氏がひらいた室町時代をのぞくと、戦国時代から江戸時代にかけては、軍事の天才として「多聞天」の化身と崇敬されます。(四天王として祀られる場合には多聞天、単独では毘沙門天といわれます)また明治時代には正一位を贈られます。正一位は位階のなかでももっとも上のもので、幕府の将軍であるとか関白など公卿の最上位にあるもの以外では、例外中の例外といえます。ところが昭和の時代になると、崇敬されることに変わりはないのですが、その私心のない忠誠心を都合よく利用されることになります。楠木正成は湊川の戦いで敗れ、「七度人として生まれ変わり、朝敵を誅して国に報いたい」と言葉をのこして自害しますが、太平洋戦争において日本帝国軍部はこの言葉を借用し「七生報国」なるスローガンを掲げます。なにかというと四字熟語をつくって有難がるあたりにも何やら寒いものを感じますが、さらに楠木正成を看板がわりに利用して無策のきわみのような作戦計画を立てます。戦争末期の沖縄決戦において、じつに1800を超える戦闘機がアメリカ軍の戦艦に体当たりしてゆきます。俗にいう神風特攻隊ですが、この戦闘は「菊水作戦」と呼ばれていました。「菊水」は楠木正成の旗印です。後醍醐天皇から天皇家の菊紋をつかうよう下賜された正成は、そのまま使うのは畏れ多いと恐縮し、菊のしたに水が流れる独自の紋をつくります。どこまでも私心のない忠誠心を示しつづけた楠木正成を称えることと、その楠木正成を象徴として、どこまでも私心のない忠誠心を強要するのとは、いかに時代が変わろうとも同体にはなりえません。前置きが長くなりました。今日は楠木正成ゆかりの地、大阪府南西部にある千早赤阪村を訪ねます。 千早赤阪村へ JR富田林駅から歩く... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,和歌山

【和歌山県・高野町 2023.2.1】高野山の寺院を回るのであれば、冬の雪に埋もれた風景が一番美しいと思います。また参拝客や観光客も少なくなるので、静かで厳かな空気を心ゆくまで楽しむができます。ときには、千数百年の歴史がたしかに今そこにあると感じられる至福の瞬間に身をゆだねることができるかもしれません。絶対おすすめの、雪の高野山を訪ねてみます。高野山の歴史については、昨年お盆にたずねた際に『aruku-52 夏の高野山をたずねて歩く』のなかで簡単にですが書きましたので今回は省略します。『夏の高野山をたずねて歩く』https://yamasan-aruku.com/aruku-52/... Read More | Share it now!