【奈良県・御所市 2023.9.25】「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今年は彼岸を過ぎてもまだ十分に暑い! たしか昨日も日本のどこかで猛暑日のところがあったはずで、そこまでは行かないにしても、今日も大阪、奈良、京都あたりは最高気温が堂々と32度とか33度と言っています。過去何度もこの時期になると、奈良の古道街道をあるいて彼岸花をみてきましたが、こんなに気温が高かったのは記憶にありません。それでも深緑の中、あるいは黄色く実った稲穂と彼岸花の真紅が共演する光景は、一年のうち極々限られた時期にしか見られない眼福とも呼べるもので、暑いのは覚悟のうえで出掛けてみることにしました。 JR御所駅から葛城古道へ 葛城古道は、葛城山から金剛山にかけて東側の山麓を南北に、古寺古社をむすびながらつづく旧道です。下に御所市(ごせし)のHPから借用してきた地図を添付しましたが、この地図は横向きに置かれたもので、右が北になります。今回は地図の右下にあるJR御所駅からスタートし、途中で葛城古道に合流、左へ(すなわち南へ)と歩を進めました。 御所市の公式HPにある市内観光・散策用マップより抜粋 葛城山に登る際はいつも右折しますが、今日は直進... Read More | Share it now!
お市が嫁いだ浅井長政の城・小谷城
【2023.9.23... Read More | Share it now!
河口湖畔から三つ峠山に登る
【山梨県・南都留郡富士河口湖町~西桂町 2023.9.18】富士山を見るため、今年の1月に静岡県焼津市から静岡市まで歩いて以来、今回は山梨県側の富士河口湖へ2泊3日の予定でやってきました。天気予報では3日とも晴れ、又は晴れ時々曇り。富士見予報は初日の午後からは最終日まで最高の「10」予想。ところがこちらに来て知ったことですが、この時期にはたとえ晴れていても富士山の全姿が必ず見られるとはかぎらない。見られるとしても、早朝と日没前後だけだそうです。たしかに早朝と日没前後だけ見られるとしても午前、午後共に富士見予報が満点の「10」であってもウソではないわけで... Read More | Share it now!
河口湖畔から富士山をのぞむ
【山梨県・南都留郡・富士河口湖町 2023.9.17~18】 9月17日から19日まで滞在しましたが、すくなくとも滞在したときは、富士山の全体が見えるのは朝8時過ぎまで、夕方17時以降だけでした。それも運が良くて、です。地元の人の話では、気温が上がると水蒸気が発生して雲がかかってしまうそうです。 9月17日夕 17:26 17:39 17:45 18:03 9月18日朝 6:20 6:28 6:40 7:25 9月18日夕 17:22 17:29 17:40 18:33 ... Read More | Share it now!
琵琶湖の北西端、赤坂山のやさしい稜線をあるく
【滋賀県・高島市 2023.9.13】琵琶湖の西側沿いにそびえるのが比良山系ですが、その山系からさらに北へすすむと、赤坂山があります。地理的には琵琶湖のほぼ北端の西側、福井県との県境をなすように稜線が連なっています。その稜線は比良山系のものとはちがい、丸みを帯びたやさしいシルエットで、眼下にひろがる琵琶湖の湖面のかがやきと一緒になった風景は、風に吹かれて歩きながら知らずに肩の力が抜けてゆきます。稜線を縦走する途中、どこか草原で寝っ転がって、しばし青空を見上げるのも一興かもしれません。 マキノ高原 マキノ高原... Read More | Share it now!
二度まで戦火で焼失した東大寺はそれでも甦った
【奈良市・2023.9.12】東大寺は若草山麓にあった金鐘寺が起源で、この金鐘寺は奈良時代に国分寺・国分尼寺建立の詔が出されると、大和国の国分寺のポジションを与えられます。大和国の国分寺であることは、すなわち全国の国分寺を代表する総本山的な地位も与えられたのでしょう。寺名も金光明寺(金光明四天王護国之寺)と寺名を変えます。やがて聖武天皇は大仏建立の詔を発します。金光明寺の本尊として大仏の建立をはじめたのか、大仏建立が先でその地が金光明寺に隣接していたのかは不明ですが、大仏建立の過程でもともとあった金光明寺の名は消え、東大寺の名がこのころから記録されています。奈良仏教のなかで二大勢力といえば、法相宗と華厳宗ですが、興福寺が法相宗の総本山であるのに対して、東大寺は華厳宗の総本山とされました。仏教勢力はかつての支配者にとっては目の上のコブ。白河天皇が「鴨川の流れと、サイコロの目と、山法師=比叡山の仏徒は思いのままに扱えない」と嘆いたという逸話は有名ですが、奈良の東大寺(興福寺も)の仏徒もなかなか厄介な強者だったようです。平安時代末期に権力を握った平清盛は、堪忍袋の緒がきれたのか自分の五男・重衡に軍勢をあたえ東大寺(と興福寺)を壊滅させます。奈良時代に建立した際にはその伽藍のあまりの規模に建設費がかさみ国の財政を疲弊させるほどであったにもかかわらず、それでも朝廷主導でさっそく再建がはじめられます。これほどの寺は日本の国にとって、焼失しましたではすまされないものだったのでしょう、大仏は平安時代が終わる直前に、大仏殿など諸堂は鎌倉時代初期に再建されます。そして次に消失するのは戦国時代の真っ只中、松永久秀vs三好三人衆&筒井順慶連合の戦いにおいてであり、今日はこの戦いのことをもっと知りたくて、朝早くから出向いてきた次第です。 南大門から中門へ 奈良といえば鹿ですが、参道にもいるいる 南大門... Read More | Share it now!
徳川幕府が西国の抑えとして築かせた明石城
【兵庫県・明石市 2023.9.9】徳川家は幕府をひらいてのちも、かつて豊臣家に臣従した、いわゆる西国大名、なかでも毛利家をとくに警戒していました。毛利の軍勢が東進してくることを想定して、姫路城に家康のかつての重臣・本多忠勝の嫡男・忠政を配します。ちなみに忠政の正室は家康の孫娘です。二代将軍・秀忠はそれでも安心できなかったのか、信濃松本藩より小笠原忠真を播磨の地に転封し、姫路城の後詰めとしておよそ10里(40km)東の明石の地に、あらたな城を築くよう命じます。小笠原忠真は本多忠政の協力をえて、2年のうちに大方の造作を終えます。これが明石城です。なお小笠原忠真は家康の曾孫にあたり、さらにその正室は本多忠政の次女であり、家康の養女となってのち忠真に嫁いでいます。密接な姻戚関係でむすばれた大名のみを信用していた徳川家の細心さがうかがえます。 三重櫓 大手門跡 左(南西)が坤櫓、右(南東)が巽櫓 これが明石城を代表する景観です。坤(ひつじさる)は方位で南西のこと、巽(たつみ)は南東のこと。要は「南西の櫓」と「南東の櫓」というだけのことです。ところで明石城は、なによりも急いで築く、さらに低予算で築くことが前提であったため(と勝手に推測しているのですが)廃城にしたかつての城のパーツを移築したり、廃材をつかったりと再利用を徹底しています。坤櫓は豊臣秀吉の最後の居城であった伏見城から、巽櫓はもともと近くにあった船上城から移したものと伝わっています。 坤櫓 坤櫓 巽櫓 坤櫓(奥)、巽櫓(手前)、石垣 巽櫓横へとあがる長い階段 階段を上ったところにあった案内板(一部抜粋) 本丸 巽櫓から坤櫓を見る 案内板でみるとよく分かりますが、坤櫓と巽櫓は本丸南面の西と東に位置しています。そして石垣と堀以外ではこの両櫓だけが遺構として残っている建造物です。 櫓内... Read More | Share it now!
泉南飯盛山は悪くない、歩いた時期が悪かった。
【大阪府・泉南郡 2023.9.5】大阪府と和歌山県の境をなすように、金剛山系の南端から西へと連なるのが和泉山系です。その西の端、瀬戸内海に突き出した岬部分に飯盛山はあります。所在地名でいうと、泉南郡岬町。全国にいくつもある同名の山と区別するため泉南飯盛山と呼ばれています。ところで飯盛山の名の由来ですが、飯を盛ったような山容からきています。すなわちこんもりと盛り上がった、急峻でもなければ高さもほどほどで、登攀というよりもハイキング気分で登れる山で、この泉南飯盛山もまさにそのとおりの山です。 みさき公園駅スタート 南海みさき公園駅から住宅地を上がってゆく 前方にみえる国道の下をくぐって 山道というよりも 公園内の階段のような道をのぼる ふり返ると、瀬戸内海がきれいに見えました 提灯講山 このあたりから山道らしくなってきました 同じような調子の道がつづきます さらに瀬戸内海がひろく見渡せます 先に言ってしまうと、この山歩きは失敗でした。歩く時期をまちがえました。この日の最高気温は32度。山登りなら問題ないと思っていたのですが、低木ばかりで頭上をおおう枝葉はほとんどなく、直射日光をマル浴びです。(暑い!)もう一点、これこそが最大の難なのですが、ほとんど歩く人がいないためか、左右の樹木から蜘蛛の巣が張り巡らされ、手足といわず頭や顔にまで払っても払ってもネバネバのそれが絡みつきます。(うっとうしい!) 濃密ではないものの、すこし木陰が 先日の台風の影響か、提灯講山山頂はご覧の通り 泉南飯盛山 泉南飯盛山が見えてきました このあたりはもうすこし涼しい時期ならたいへん楽しい山歩きを堪能できたと思います。時期が違えば歩く人も増え、蜘蛛も道を覆うように巣を張ることもないでしょうし。 画として見るかぎり とても楽し気な山道です 飯盛山山頂到着... Read More | Share it now!
六甲全山縦走路にもふくまれる菊水山にのぼる
【兵庫県・神戸市 2023.9.2】六甲全山縦走路の西寄りに菊水山はあります。六甲全山縦走路を踏破する途上で登るならば、さして記憶に残らない山なのかもしれませんが、その西にある石井ダム湖を巻くようにイヤガ谷東尾根道とセットで歩くとなかなか楽しい山歩きになります。 鈴蘭台駅から妙号岩 鈴蘭台駅から住宅街を上がってくる 30分ほど住宅街を歩くと、突然登山口に行き当たります おだやかな山道を散歩気分で歩きます 20分ほどで分岐道に 少々きつい急坂を15分ほど歩くと 妙号岩が忽然と現れます 妙号岩からの眺望 妙号岩からの眺望はなかなかのもの。左の鉄塔のたつ山が菊水山、右下は石井ダム湖です。 菊水山が意外に急峻であることを覚えておいて下さい 足元に注意して元の道まで戻ります 六甲全山縦走路 大きく下ります ここは直進... Read More | Share it now!