【愛媛県・新居浜市 2025.10.3】奈良の大仏にはおよそ500トンの銅が使われています。(加工しやすく耐久性も増すよう8トンの錫すずをくわえた青銅製)752年に開眼した初代の大仏はいまのものより全体に1割大きかったそうなので、単純に考えると550トンほどの銅が使われていたことになります。1300年近く前ですら銅の需要はそれほどあり、しかもその需要に応えうる生産もあったということでしょう。 戦国時代までは、銅のおもな使い道と言えば貨幣または仏像仏具をつくることに特化していたようです。加工しやすい反面鉄にくらべて軟らかいため武器や工具には向かなかったのでしょう。江戸時代になると、火事への防火対策から屋根瓦として使われるようになります、ただし社寺や城がおもな対象で、一般の家屋には普及していません。単純に高価なためというのが理由です。高価といえば、江戸時代には鉄鍋も普及していましたが、熱効率のよい銅鍋はコストの面で生産に到っていなかったようです。 明治から大正へと時代が進むにつれて電気が普及し、電線として銅が使われます。その後も文明がすすむにしたがい、導電効率、熱伝導効率などの観点から銅の需要はますます高まってゆきます。 ブログの冒頭ではいつもはその歴史について書くのですが、別子銅山は江戸時代に住友が開坑し、昭和48年(1973)に住友が閉山。最初から最後まで同一企業により操業していたもので、歴史では書くことがなにもありませんでした。 別子銅山・端出場地区 別子銅山の見どころはこんな山の中にある 新居浜駅から7.5km南へ。初めは市街地を走りますが、突然に山のなかへと入りこんでゆきます。そして到着したところはこんな山中。雨雲が垂れ込めているので心細ささえ感じる風景です。 トロッコ列車にのって鉱山入口までゆきますが、その出発時まで時間があるので先に発電所を見にゆきます。 水力発電所 別子銅山が操業していた当時使われていた水力発電所 レンガ造りのしっかりした建物 建物内の様子タービンと発電機 建物下にある放水口ここから噴出する水の勢いでタービン(水車)を回す 坑道 実際に使われていたトロッコ列車 観光客が乗るのはこれ... Read More | Share it now!