荒木村重を読みあるく ー 雨読寸評 4
黒部亨氏の小説『荒木村重 惜命記』は、タイトルからして謎掛けのようです。
日本語に「惜命 せきめい? しゃくみょう?」という語はありません。ところが中国語になると「惜命 シーミォ」と発音してまさに「命を惜しむ」という意味の語があります。
結論的なことをさきに述べることになりますが、この小説は唯一「荒木村重はなぜ死ぬことから逃げ続けたのか」に対する疑問に対して、じつに真摯に向き合い読者にその答えを示そうと努めた作品といえます。ほかの小説はというと、自作のストーリーをより興味深いものにするために「荒木村重はなぜ – – 」の疑問に対して自己流の答えを創作したとみるべきです。
残念というべきでしょうか、疑問に真摯に向き合いすぎたため作品にあっと驚くような展開は盛りこめず、全体的に盛り上がりを欠く印象は否めませんでした。
村重は思います。これほど非道なことをやりつくす信長がまっとうな死に方をするはずがない。(信長と)戦っても勝ち目はない、(家族や家来を)救おうにも手立てがない、(自分が)自決してみたところで何が変わるわけでもない。ならばいかに謗られようが、どれほど蔑まれようとも、道に落ちた糞となり果てでも生きて生き抜いて、あの信長がいかに無様な死にざまをさらすか見届けてやろうではないか。
そう念じながら落ちぶれた生きざまをさらし生き抜いて行く村重の姿は、「命が惜しい」感覚とはあきらかに違います。しかもこれほど荒木村重と真摯に向き合った作者ならば、村重の生きざまを「惜命 シーミャオ」と簡単に片づけるはずがありません。
「不惜身命 ふしゃくしんみょう」という語があります。身も命も惜しまずに仏の道を極めるという意味の仏教の言葉です。荒木村重は信長の死にざまを見届けるため、それこそが信長への復讐であり、先に死んだ(信長に殺された)者たちへの自分ができる唯一の供養だと信じて、不惜身命の心境で生き抜いた。
こう考えると、惜命記のタイトルに納得がいきます。
黒部亨『荒木村重 惜命記』★★★★☆
上田秀人氏の小説『傀儡に非ず」(くぐつにあらず)は、本文が388頁の小説です。冒頭は村重の青年時代から始まります。
荒木村重といえば、信長に対する反逆により有岡城で籠城する事変あたりから世間一般に認知されるほどで、青年時代が描かれるだけでも珍しいと言えます。ところがこの作品では実父・義村から戦国の世を弱小の者が生き抜く術を教えられるところから始まり、主君である池田勝正・知正に重用されながらも新参の家柄ゆえに苦みを噛みしめるといった描写がずっと続きます。
197頁でやっと、織田信長に臣従するため対面し、信長が饅頭をいくつか抜き身の刀に刺して面前に突き出したところ、村重は刀の切っ先ごとかぶりついたという有名な場面に到ります。
このとき他の将が見守るなか、大口をあけて食らいついた村重の心理を他の多くの作品は「豪胆」かあるいは「屈辱」として描いています。しかしこの作品では、村重は生き残るためには信長に気に入られねばならなぬと、卑屈になるのではなく計算したうえでこのように振る舞っています。作品の前半部を通して村重が弱小の悲哀を痛感しながら生きてきた描写があるため、この重要なポイントはすんなり理解できます。
後半部に入ると、村重がいかに慎重に信長に接し、その命に忠実にしたがい懸命に戦働きをするかがくどいほどに描かれます。そして350頁目あたりでやっと有岡城籠城の真相(上田氏の解釈による)がはっきりと見えてきます。伏線がしっかり引かれているので無理なくストーリーの急展開を楽しめます。タイトルの「傀儡に非ず」の意味もここにきてなるほどと理解できます。
しかし最後の20ページ程に、黒田官兵衛の幽閉、有岡城の降伏、城内の家族家来の処刑、村重自身の大物城から花隈城さらには備後への逃避と大事件がポンポンとはめ込まれたには閉口しました。感動がついて行けません。
作品の終わり方にもう一工夫あればと残念に思います。
上田秀人『傀儡に非ず』★★★☆☆
上の2点の画像は【aruku-83】より https://yamasan-aruku.com/aruku-83/
米澤穂信氏の小説『黒牢城』は直木賞受賞作です。氏の作品といえば、なんといっても『満願』。ミステリーの短編集ですが、まさに全品粒ぞろい。謎解きの楽しみはありません、謎が解けると毎回背筋がスーッと冷たくなります。
そんな米澤氏の、しかも直木賞受賞作ということでこれは期待して読んだのですが、どこまで読みすすめても背筋がスーッとなることも、胸がホッコリすることも、思わず天を仰ぐことも膝を打つこともありませんでした。
大きく4章に分かれています。章ごとにミステリアスな事件が起こり、荒木村重が謎をといて真相に迫ろうとします。しかし毎回迷路に迷いこみ、そこで地下牢に閉じ込めている黒田官兵衛のもとへ謎解きの相談にゆきます。
黒田官兵衛が狭い牢に入れられ身体が縮んだかの様子のため、謎を解くさまがまるで「名探偵コナン」の江戸川コナンをつい連想してしまいます。そうなると村重は毛利小五郎といったところでしょうか。作品のなかではもう少し重々しく思慮深いのですが、それがためか本人が現場を検証しながら真相を究明してゆく姿が、まるで古畑任三郎のように見えることがあります。どこで毛利小五郎から古畑任三郎にチェンジするかは読んでのお楽しみ、と言うことで。
さてそのミステリアスな事件ですが、その真相をなぜそこまでして究明しなければいけないのか、その理由付けが弱いと思います。それゆえ中には不埒な読者もいて、コナンだの古畑任三郎だの、あらぬ連想をして勝手にほくそ笑むケースも出てくるのでしょう。
最終的にはそれぞれの事件の真相が結びついて、なるほどそれで荒木村重は、どうりで黒田官兵衛は、と結論に至るのですが、それで満足できるのはよほど性格が素直な読者だけではないでしょか。
米澤穂信『黒牢城』★★★☆☆
火坂雅志氏の小説『うずくまる』は、短編集『壮心の夢』の冒頭をかざる荒木村重をえがいた小品です。
30ページほどの短編であるにもかかわらず、半ばまで村重本人は登場しません。
前半部は村重に身請けされることになった遊女が、主人の村重の実像に思いをめぐらす描写により、読者に村重の紹介をする形をとっています。
後半残りわずかなページ数でどのように印象深く村重を描くのかと期待していると、遊女との性交場面(エッチをする描写ですよ)があり、村重が求めるいびつな性交渉に彼の屈折した心理を遊女が感じとり涙するという、なにやら肩すかしのような終わり方です。
この『壮心の夢』は、480ページのなかに14編の小品がおさめられています。それぞれに時代背景を正確におさえながら事例を効率よく配分して、短いストーリのなかで壮心の夢をいだいた人物の苦悩と挫折を描こうと試みているのでしょうが、いかんせんどの作品も短すぎて主人公に共鳴する間もありません。
もうひとつ気になったのは、14編の作品のなかの半数以上に男女の性交場面が含まれています。いったいどのような読者層を念頭に書いているのでしょうか。もし1時間に100ページの速読でこの本を読みすすめたならば、1時間に2度くらいの割合で性交場面に出くわします。「壮心」には縁遠い草食系には、満足どころか辟易してしまいます
火坂雅志『うずくまる』★★☆☆☆
花隈城は神戸・元町駅の近くにあります。それ自体は、模擬的に再建したもので、上は公園、中は駐車場になっており見る影もありません。村重は大物城からこの花隈城へうつり、さらに毛利の庇護下に入るべく尾道まで逃げてゆきます。
画像は【aruku-97】より
https://yamasan-aruku.com/aruku-97/
天野忠幸氏の解説書『荒木村重』は、A6サイズの本で最後の年表まで含めて103ページ、全紙面のざっと4割は写真や図表なので文章による説明はあまりに物足りないです。しかし他には、荒木村重についての研究書や解説書で一般人が容易に入手できるものはなかなかありません。
たとえばネットで調べた結果、AMAZONで荒木村重の研究書が8800円で売られているのを見つけても、内容さえわからないのに、プレミアム会員なら送料無料だラッキーとクリック一発で買うかといえば、なかなか出来るものではありません。
天野氏は天理大学の准教授で、その天理大学のサイトによると、おもに戦国時代の権力、宗教、地域社会、そして三好氏(三好長慶と三好三人衆でしょう)と松永氏(もちろん久秀でしょう)が現在の研究テーマとのこと。ですからその研究の一環として荒木村重についても調べてこられたということなのでしょうが、言い換えれば、それだけ荒木村重クラスでは専門に調べる人が少ないということでもあり、本にして出版してもそれだけ売れないか、あるいは元々の発行部数がすくないため高価になって一層売れなくなるのか。
そもそも大学で准教授をつとめるほどの専門家が、調べ得るかぎりしらべても一般人が興味を示して読んでくれる事項は、A6サイズの、103ページの、その6割ぐらいに綴るぐらいしかないということなのでしょう。
あまりに物足りないですが、容易に手に入るという条件で、これだけ荒木村重の実像に迫った内容を示してくれた本は、ほかに見当たりませんでした。
天野忠幸『荒木村重』★★★★☆