雪の高野山をたずねて歩く

【和歌山県・高野町 2023.2.1】
高野山の寺院を回るのであれば、冬の雪に埋もれた風景が一番美しいと思います。また参拝客や観光客も少なくなるので、静かで厳かな空気を心ゆくまで楽しむができます。ときには、千数百年の歴史がたしかに今そこにあると感じられる至福の瞬間に身をゆだねることができるかもしれません。
絶対おすすめの、雪の高野山を訪ねてみます。

高野山の歴史については、昨年お盆にたずねた際に『aruku-52 夏の高野山をたずねて歩く』のなかで簡単にですが書きましたので今回は省略します。
『夏の高野山をたずねて歩く』https://yamasan-aruku.com/aruku-52/

高野山の寺院を回るのであれば冬が一番おすすめですが、山歩き山登りはお勧めしません。とくに高野三山をめぐるルートは道が完全に雪で埋もれてしまうため、よほど土地にくわしい人でなければ99パーセントの確率で遭難します。

極楽橋駅からケーブル高野山駅へ

極楽橋行き電車の車窓風景
極楽橋駅の内装
ケーブルカーだとわずか5分で高野山駅に到着

ぜひ高野山は訪れていただきたいので、大阪からのアクセスを書いておきます。
南海電車なんば駅 ➡ 極楽橋駅(急行)約90分 / 890円
(橋本駅乗り換えの場合もありますが接続良好)
極楽橋駅 ➡ 高野山駅 ケーブルで5分 / 500円
(積雪時でなければ、30分ほどで歩いて女人堂まで上がれます)
高野山駅から主要ポイントを周回するようにバスが1時間に2~4本の割で出ています。
1日乗り放題840円
(高野山駅から中心地を往復するだけで元は取れます。ただし歩くのが好きな方なら、すべて歩いて回れます)

高野山駅から大門へ

高野山駅を出ると一面雪でした
大門へ向かって雪道を歩きます(2.9km)
歩きながらの眺望 / 大阪と和歌山を隔てる山系

高野山へは少なくとも10回は来ていますが、バスには2,3度しか乗っていません。
大抵のところは歩いて行けるし、しかも歩いて楽しい道ばかりです。

大門
吹雪いた日があったのか仁王像も雪をかぶっています

壇上伽藍

楼門
西塔
鐘楼(左)と根本大塔(中央奥)
金堂から根本大塔をのぞむ
金堂
三昧堂、西行桜(手前) 東塔

前にも書きましたが、そもそも高野山という名の山は存在しません。
高野三山と通称される、摩尼山、楊柳山、転軸山の三峰に囲まれるようにひろがる標高800mの山上盆地全体が、金剛峯寺の境内となっており、同時にこの境内全体(山上盆地全体)を高野山とよびます。
ところで拝観料および入場料は主要なところに全部入るなら安くはありません。
この壇上伽藍の根本大塔500円、金堂(本堂にあたる)500円、金剛峯寺(主殿あるいは本坊)1000円、霊宝館(仏像などを展示保管している)1300円、徳川家霊台200円。
オススメは好みがあるのでなんともいえませんが、高野山へきた以上は密教世界を堪能したいというのであれば、根本大塔ははいった瞬間に圧倒されます。

金剛峯寺

金剛峯寺主殿のあるこの場所が、
狭義では金剛峯寺とよばれています

街をあるいて

街はすべて雪に覆われていました
つららが美しい
お坊さん、袈裟の下は極暖ヒートテックですか?

金剛峯寺本殿からぶらぶら30分ほどあるくと、奥の院に着きます。
なお高野山にはいまも117の寺があるそうで、町を歩けば当然のこと、寺また寺とつづいて目に入るのですが、食堂やコンビニ、土産屋などもあり、「全体が寺の境内」といっても「寺の多い町」をあるく印象です。

奥の院

奥の院は積雪のため一部通行止め

奥の院は、西端の一の橋から中の橋をへて東端の弘法大師御廟まで約2kmにわたり、 歴史上の有名な武将をふくめた20万基ともいわれる墓が並んでいます。
ところが西側2/3ほどは積雪のため(雪かきが追い付かない?)通行止めになっていました。
このエリアには明智光秀、武田信玄・勝頼、伊達政宗、上杉廟など錚々たる人たちの墓があるのですが、残念ですが通行止めでは致し方ありません。

奥の院の参道をあるく
個人的には、雪の高野山の奥の院はもっとも好きな地です
豊臣家墓所
浅野内匠頭と四十七士の墓

このあたりは東端の弘法大師御廟にもっとも近い場所です。
豊臣家の墓が、しかも大きなスペースをもって配されているのは、秀吉が金剛峯寺再建に尽力したためと推測できます。では浅野内匠頭と四十七士の墓は- – – やはり昔から忠義の士と称えられていたということでしょうか。それにしても墓は小さいものの、ここから弘法大師御廟は目と鼻の先、まさに特等席です。

手水鉢には水の落下点ごとに氷が盛り上がる
弘法大師御廟 / これより先は撮影禁止

徳川家霊台

家康廟
家康廟から秀忠廟をみる
秀忠廟(秀忠は江戸幕府二代目将軍)

徳川家の墓は、奥の院とはまったく異なる場所に別格のようにつくられています。規模も大きく、絢爛豪華で。
なぜかというと、徳川家は豊臣家と対立していたため、豊臣家の庇護をうけていた高野山としては、徳川の時代になると懲罰の意味で迫害される危機感を抱いたようです。そこでみずからすり寄って、墓所を進呈し、さらに東照宮に似せた装飾過剰な廟をつくったのでしょう。
なお家康廟と秀忠廟のちがいは、前者には門の前に鳥居があることだけで、それ以外はうりふたつです。

女人堂

女人堂まできました

女人堂からケーブル高野山駅まで歩くつもりだったのですが、ここでミスをやらかしました。
女人堂から駅までの道はバス専用道路であるくことができません。歩くとなると大門まで行き朝歩いた道を戻ることになりこれだと5km、雪道なので1時間はかかります。
もうひとつの方法は、女人堂脇から山道にはいり極楽橋駅までくだることができますが、のぞいてみたところ雪がたっぷり積り、通る人もない道は膝上まである雪をかき分けながらの下山になります。
どちらも嫌なので、220円払ってバスに乗りました。

【アクセス】ケーブル高野山駅から大門➡壇上伽藍➡金剛峯寺➡奥の院➡徳川家霊台➡女人堂バス停 22,000歩
【拝観料】徳川家霊台200円(今回有料施設はここのみ)
【満足度】★★★★★