いまなら言いたい、桜を観るなら彦根城

【滋賀県・彦根市 2023.4.1】
今年は桜の開花が早いだけでなく、開花してから満開になるまでの期間が異例の早さで、この一週間ほどの間に関西の大半の桜スポットが満開を迎えています。
満開になってからの見頃はせいぜい1週間なので、どこをどのタイミングで訪ねるか計画するのに焦ってしまいます。今後の天気も含めて考えると、いまのタイミングで、今年の大本命と想定していた彦根城を訪ねるべきと判断しました。

彦根城へ

彦根駅2階より 西口広場から彦根城をのぞむ
駅広場にあるマンホール「ひこにゃん」

駅2階から、大通りが突き抜けた先に彦根城がのぞめます。視線を駅前広場にもどすと、井伊直政公の騎馬像があるのがわかります。さらにその広場におりると、彦根市の人気キャラ「ひこにゃん」のマンホールがありました。

彦根城の歴史は比較的あたらしいものです。
関ケ原の合戦後、勝利した徳川家康は誰に遠慮することなく、vs豊臣対策としての布石を打ちはじめますが、この畿内と東国をむすぶ近江の要衝には、重臣のなかでも武勇のほまれ高い井伊直政に地行をあたえて京、大坂にニラミをきかせます。
もっとも彦根城が築かれるまでには紆余曲折があります。
そもそも今あるJR彦根駅から反対側の小高い山には、むかしから佐和山城がありました。織田信長の重臣・丹羽長秀が鎌倉時代からつたわる古城を改修し、さらに秀吉の時代にはその片腕として辣腕をふるい、さらに関ヶ原の合戦で打倒家康の先鋒となった石田三成が領していた城です。
井伊直政はいったん佐和山城にはいりますが、戦国時代のふるい縄張りのため使い勝手がわるく、より琵琶湖岸にちかい今の場所に新しい城を築くことにします。ところが計画段階で直政は過去の戦場での古傷がもとで亡くなってしまいます。
後継ぎの直継が幼少だったため、その後は家臣達が相談のうえ家康の助力も得て建造にあたったようで、そのさい近郊の佐和山城や大津城をこわして石垣やら天守、櫓などを移築しています。

彦根城・佐和口から表御門へ

中堀の向こうに天守がみえる
佐和口の多聞楼
表御門への橋
内堀

天秤櫓

表御門跡から坂をのぼり天秤櫓へ
天秤櫓、堀切にかかる木橋
天秤櫓 / 橋の下には堀切

天秤櫓は、両端が二重になった多聞櫓で、その形状が天秤のようなのでその名があります。
他の城からの移築と伝えられています。
また土台の石垣は右側が築城当時のもの、左側は江戸時代後期に改修したもので、形状があきらかに違います。
なお多聞櫓とは、長屋式の横にながくのびた櫓のことをいいます。

太鼓丸から本丸、天守へ

天秤櫓を抜け、太鼓丸を回って本丸へ
すると天守が目の前に見えます
天守は大津城から移築されたもの

彦根城の天守は3重3階と小ぶりですが、外観はなかなか凝っています。
屋根の下につく風雨の侵入をふせぐ板張りを破風(はふ)とよびますが、この彦根城では入母屋破風(最上階)、唐破風(その下の曲線状)、千鳥破風(その下の大きなもの)、切妻破風(最下段左右)と4種類が混在しており、そのぶん複雑で見映えがよくなっています。
なお天守は入城60分待ちのため、今回は入りませんでした。

西の丸

西の丸端にある三重櫓と続櫓
三重櫓から出曲輪と武家屋敷跡地を見わたす
続櫓の屋根越しに西の丸を見わたす
西の丸の桜

井戸曲輪から下る

天守と井戸曲輪の間の階段を下ります
附櫓と多聞櫓、そして見事な石垣
石垣だけでも見惚れてしまう

石垣の積み方については、自然石をそのまま積むものを野面積み、ある程度は加工して積むものを打込み接ぎ、石の表面が平らになるまで完全に加工して積むものを切込み継ぎ、と呼びます。
もちろん切込み接ぎが完成された姿なのですが、石垣ファンとしては整いすぎたものは美しくはあるけれど、面白みがない。
この彦根城の打込み接ぎの粗さと、切込み接ぎの精密さがミックスされたあたりがなんとも魅力で、しかもそこに満開の桜がコラボしているのですから感無量です。

玄宮園

広大な庭園のなかに茶屋がいくつもあります
戦のない江戸時代には、武士もやることがなかったのでしょう

堀沿いに大手御門跡へ

今回も家内が同行しています。
彦根城博物館で衣装の展示をみるという家内といったんここで分かれ、佐和山城跡を訪ねてみたいと思います。
google mapで調べたところ2km弱なので、歩いて行きます。

佐和山麓周辺

佐和口そばにある護国神社
ささっと参拝して
人の背丈ほどの城の模型 / 後方は佐和山

「三成に過ぎたるものがふたつある、島の左近と佐和山の城」という落首が残されています。
島左近はもと大和の筒井順慶の家臣でしたが、浪人していたころ、石田三成に請われて臣従することになります。そのさい三成は4万石の地行をもっていましたが、なんと半分の2万石を与えて召し抱えたと言います。そこまでして頼んだ名将・島左近とならんで評された佐和山城。
ところがこの珍奇な城模型を目の前にしては、時間を越えてその姿を思い描くことができません。なんというしょうもないものを- – -絶句

井伊家菩提寺・清凉寺
山門から境内を見る
井伊軍団の赤備え

その武勇から「赤鬼」と恐れられた井伊家の赤備えですが、元をたどれば武田信玄の家臣・山縣昌景の、天下無双と称えられた赤備えの騎馬隊にたどり着きます。
家康vs信玄がただ一度1対1で戦った三方ヶ原の戦いは家康の惨敗におわりますが、このとき家康軍を席捲したのが昌景ひきいる赤い軍団であり、家康は死の恐怖とともにこの赤い軍団を記憶に焼き付けます。
時がうつり、信玄亡きあとを継いだ勝頼が無謀に侵略行動をつづけ、ついに信長・家康連合vs勝頼が真正面から戦うことになる長篠の戦い。この戦では信長が3千ともいわれる鉄砲をつかって武田軍を撃破します。
家康は赤い軍団の恐ろしさが忘れられなかったのでしょう、信長の許しを得て、山縣軍の残兵をあつめて召し抱え、これを家臣のなかで最強と誉高い井伊直政にあずけ、自軍のなかに赤い軍団をつくり上げます。

龍潭寺は井伊家の菩提寺でもありますが、
生誕地が近いことから三成の菩提も供養されています
石田三成の像

龍潭寺と道路をへだてた向かいに、石田三成をモチーフにしたマンホール蓋がありました。
マンホールの蓋を写真にとって集めていますが、こういうチャンスに恵まれると嬉しくなります。

彦根城桜のライトアップ

彦根城の桜と夕陽

待ち合わせ時間までに彦根城に戻ってきました。
これから夕食をとりながら完全に日が暮れるのを待ちます。

ライトアップ / 表御門跡あたり
中堀越しに、良い写真が撮れました

久々にお気に入りの写真が撮れました。
スマホ撮影でこれなら立派なもの、と自己満足にひたりながら帰路につきました。

【アクセス】JR彦根駅 ➡ 彦根城~佐和山~清凉寺~龍潭寺~彦根城 ➡ JR彦根駅 22000歩
【入場料】彦根城&玄宮園 800円、プラス彦根城博物館 1200円
【満足度】★★★★★