橋本から黒河道をあるいて高野山へ参る
【和歌山県・橋本市~高野町 2023.5.27】
『いくつ峠を越えたら願いが叶うだろう。巡礼者の一途さが宿る道』
– -「 山麓の宿場町・橋本から高野山へと通じる黒河道(くろこみち)。苔に覆われた幻想的な石段を一歩一歩踏みしめて、ひたむきに聖域を目指した人々。その足音や息づかいが感じられる趣深い登山道です」 – –
上に記したのは、ある電鉄の広告コピーです。
高野山へ上がるには、もっとも一般的でもあり有名でもある「町石道」のほかに、何本もの参詣道があります。ひとつずつ登ってみようと思っているのですが、下調べをしていてこのコピーをみつけました。背景にあるのはまさに苔むした石階段の画像。
迷うことなく、まずはこの黒河道を歩いてみることにしました。
高野山ウォーキングマップ(和歌山県公式サイトより)
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130300/nanakuchi.html
橋本市から
今日は雨こそ降らないものの、青空もない100%の曇天。
なぜこの空模様の日に高野山登山を企画したかというと、高野山参詣道はたいていは長距離を歩くことになり、しかも樹林のない、要するに日差しが照りつける道がつづくことが多く、暑い季節なら、しっかり曇った日でないと歩くのは厳しいからです。
ちなみに今日の予定歩行距離は、橋本駅から高野山へ上がり極楽橋駅まで23kmほどです。
市平橋へむかって
高野山にのぼる参詣道の中で、町石道は文字通り1町(109m)ごとに石の標が並んでいて、参詣者は今自分がどこまで来たかを随時確かめながら歩くことができます。
それに対してこの黒河道は、町石はないものの最近になって作ったのでしょう、出発してじきに通過した定福寺から500mごとに数字を書いた柱を立ててくれています。
ここで【7】ですから、定福寺から3km(橋本駅から5km弱)歩いたことになります。
やっと市平橋まで来ました。
この橋を渡る手前でミスをして、一旦出た車道を反対方向に歩いたため30分ほどロスしてしまいました。
じつはその前、明神ヶ田和でもミスをしてやはり30分ほどロスがありました。
いまは日が長いので特に問題はないはずですが、さらにもう一度ミスるとさすがにまずいので、十分に気をつけて行きます。
粉撞峠へむかって
この石階段ですが、参詣道そのものではなく、参詣道から上に見える祠へ上がるためのもの。さして苔むしていないし – –
はっきり言うと、参詣道には「苔に覆われた幻想的な石階段」どころか、石階段そのものがない!
ところで高野山は山の名前ではなく、高野山と呼ばれる全域が寺の境内であり、中心になるのは金剛峯寺。空海上人が開祖した真言宗の寺です。
ほぼ同じ時期に最澄上人が比叡山に天台宗の寺院・延暦寺を開いています。
この二人は時代が同じというだけでなく、おなじ18代目の遣唐使として唐に留学し、密教や禅を学んで帰国、ともに朝廷の庇護のもと、新しい宗派を興しています。
確証はないのですが、空海上人はどちらかというと口下手で、とくに説法は得意でなかったのではないでしょうか。そのぶん伝え残したいものは、口承ではなく文字に書き残すことを主としていたように思います。
空海上人が能筆家だったことは有名ですが、文字が美しいだけでなく、たいへん立派な文章を書き残しています。
その文字と文章のすばらしさに天皇(嵯峨天皇)さえも感動し、そのため空海上人に目をかけたとの説もあります。
ずいぶんアップダウンをくりかえし、やっと粉撞峠につきました。広告コピーにある「いくつ峠を越えたら – -」の部分は事実です。
脚がシンドイよりも、歩くのに飽きてきた心境です。
ここからは下りのみなので、あとひと踏ん張り。
高野山
橋本駅をスタートしたのが10時30分、高野山町役場についたのが17時。6時間30分かかっていますが、道を間違えて1時間ほどロスしているので、それを差し引けば5時間30分ということになり、ほぼ標準タイムといったところです。
ここまでは距離にして20kmほどでしょうか。そこそこ趣のある道を楽しめましたが、最後の方は歩くのに飽きてきました。
【アクセス】JR橋本駅~定福寺~(黒河道をあるく)~明神ヶ田和~市平橋~久保小学校跡~粉撞峠~高野山町役場~女人堂~南海極楽橋駅 37000歩
【満足度】★★★☆☆