丹波・摂津・播磨の三国を半分ずつのぞむ半国山
【京都府・亀岡市 2023.11.26】
京都市の西に隣接して亀岡市はあります。
亀岡市は観光で有名な保津川下りの出発地点であり、ここから舟は水流にのって嵐山まで下ってゆきます。
サッカーチームの京都(パープル)サンガのホームスタジアムがあることでも知られています。
もうひとつ、歴史ファンにとっては明智光秀との関わりを忘れるわけにはいきません。この亀岡には明智光秀の居城であった丹波亀山城がありました。
その亀山城から北西13kmの地点に半国山(はんごくやま)はあります。たいへん見晴らしのよい山で、まるで三国をそれぞれ半分ずつ見わたせるということが(現実には丹波の半分、摂津のすこし、播磨を遠くのぞむくらいですが)山の名の由来になっています。
三国の半分はさておき、ともかく見晴らしがよいのは事実で、この半国山に東からつらなる尾根にそい、ちょうど山陰道を見下ろすように、室町時代には神尾山城(かんのおさんじょう)が築かれています。築城当時は砦ていどのものだったのでしょうが、明智光秀が丹波攻略の際にここを拠点とするため大修築をほどこし、石垣もつみあげた立派な山城に仕上げたのではないかと推測されています。
今日は、半国山にこの神尾山城側からのぼって山頂に立ち、音羽渓谷のハイキング道を散策しながら下ってみたいと思います。
宮川バス停からスタート
金輪寺へ
金輪寺は、登山口にあった宮川神社の神宮寺にあたり、過去には多数の堂宇をもつ寺院でしたが、やはり光秀が丹波攻略の拠点としたことから戦場となったこともあるのか、すべて焼失してしまったようです。
神尾山城跡
この神尾山城は、光秀が改修する50年ほど前に、天台密教の霊地を利用して造られたもので、途中にあった石垣は、もと寺のものなのか、城のものなのか判然としません。
しかし現存する堀切や土塁、曲輪などを見ただけでもけっこう堅牢につくられているのがわかり、幅(東西)70m、長さ(北南)350mと実寸を知ると、その巨大さに驚きます。
半国山
ここからたしかに丹波半国が見わたせました。
なお後からわかったことですが、この方面の眺めは、山頂からよりもここからの方が素晴らしかったように思います。
このような何ら危険の感じられない、普通の場所こそ道を見失う危険が大です。
まず歩く速度を落とし、目印としてつけてくれたテープがないか探します。つぎに、ほかの登山者の足跡、踏み跡を探します。
どちらも見つからない場合は、まっすぐ100m進んでは戻り、右へ、左へ、100m進んでは戻りを繰り返せば、かならずテープか踏み跡がみつかります。
ここまで道なり踏み跡があったのに、ここから先は忽然と消えてなくなるなんてことはありえません。
一番大切なことは、焦らないことです。
山歩きにおいて、「道を見失う」のは「自分を見失う」ゆえ、先人から教えられた格言です。
下山をはじめる
音羽渓谷
今回あるいたルートですが、案内板にハイキングコースとあるように、たしかに危険な箇所はありません。しかし、なにをもってハイキングコースというのかそこが意見の分かれ目なのでしょうが、けっこう登山経験豊富な方でも、「思った以上に登りがきつい」と言われていました。
歩いてたのしい道程ですが、楽チンな道程ではありません。スニーカーで登れないことはないでしょうが、岩場もあるので怪我防止のため登山靴をおすすめします。
とはいえ、たいへん有意義な山歩きを楽しめました。
【アクセス】JR亀岡駅➡京阪京都交通バス・宮川バス停~金輪寺~神尾山城~半国山~牛つなぎ広場~音羽渓谷~赤熊バス停
【満足度】★★★★★