中将姫の雲雀山から明恵上人の白上山へ

【和歌山県・有田市~湯浅町 2023.12.26】
大阪から和歌山県へ山登りに行くことを企画する場合、まず最初に思い浮かぶのが高野山です。その高野山にはもう何度も行っています。
大阪府との県境には和泉山系が横たわり数々の山がありますが、なにしろ和歌山県であると同時に大阪府の南の端でもあるため、いまひとつピンときません。高野山から奥へはいると奥高野、熊野に数多の登りごたえのありそうな山々があるのですが、交通の便がわるくて日帰りではほぼ無理です。
そうなると海南市から有田あたりで瀬戸内海を眺めながら標高200~500mぐらいの低山をハイキング気分で歩くのも悪くないかな思い、山のガイド本を見ていて見つけたのが雲雀山です。

得生寺

有田川をわたる / 前方に雲雀山

中将姫はご存じでしょうか。
奈良の當麻寺につたわる当麻曼荼羅を蓮の糸をつかい一晩で織り上げたという伝説の女性が中将姫です。
中将姫は、藤原鎌足の曾孫で奈良時代の右大臣・藤原豊成の娘として生まれます。美しく聡明で豊かな才能にめぐまれた娘でしたが、継母からはげしく妬まれ、あげくにこの雲雀山に捨てられ、さらに家来の伊藤春時に殺されかけます。
しかし春時は姫を刃にかけることはできず、逆に剃髪して得生と改名し姫を守り育てます。

雲雀山のふもとにある得生寺
得生寺は春時がむすんだ草案を起源としています。

雲雀山

ここが登山口になります
みかん畑の中の、思わず唸るほどの急坂
そこを過ぎると、おだやかな山道になります
スタートした紀伊宮原方面をのぞむ
中将姫が仏行にはげんだ行場跡
雲雀山山頂
山頂からは有田川と麓の町が一望

白上山

みかん畑での作業のための舗装道(一般道ではない)
12月末ですが、収穫前のみかんがたくさん
白上山から海が見えた

ここには白上山西遺跡と東遺跡があります。
遺跡とはいっても古墳や寺院跡ではなく、鎌倉時代の僧・明恵上人が庵をむすび修行をつんだ場所に卒塔婆が立てられているというものです。

東古墳から西古墳へ

明恵上人はより厳しい修行の道にはいるため自らの耳を切ったということですが、なぜそれが厳しい修行になるのか理解しがたいので見学がずいぶん雑になりました。
上人は最初は西古墳に庵を結んでいたようなのですが、より厳しい環境をもとめて山中の東古墳の場所に移動したそうです。どうりで薄暗い眺望もないところでした、そのため写真を撮り忘れました。

西遺跡の卒塔婆
ここからは眺望抜群
にわかに曇ってきたのが残念です
林道なのか整った道を下ります
施無畏寺(せむいじ)は明恵上人により開山
上の坊より下の坊へ
桜の名所だそうですが、桜ナシではなんとも寂しい
海沿いの道を湯浅へと歩きました

【アクセス】JR紀伊宮原駅~30分~得生寺~40分~雲雀山~90分~白上山~15分~施無畏寺~50分~湯浅 19000歩
【満足度】★★★★☆

本格的な山登りを考えているなら★★といったところでしょうが、山歩き、あるいは長めの散策と考えるなら山、寺、海、そしてこの時期限定のみかん畑が風物詩となりけっこう楽しめました。