金閣寺の金箔は総重量20kg、その値段は?

【京都市 2024.1.23】
金閣寺は壁面に金箔を貼っています。金価格が高騰している今、その金箔の価格はどれほどなのか興味がわきました。品のない、下世話な話になりそうですが、金閣寺の造られた歴史を考えたとき雅(みやび)な話題を求めるにも無理があります。
金閣寺は足利3代将軍義満により建立されています。
足利幕府は初代尊氏から15代義昭までおよそ240年にわたって続きますが、尊氏の孫にあたる義満の時代に早くもピークを迎えています。ただ義満があまりにも貪婪に足利家を隆盛させたがために、4代目以後の将軍たちの存在がかすんでしまった感は否めません。
義満は朝廷より征夷大将軍の宣下をうけ足利3代将軍になると、幕府の要職につく足利家一門である細川氏などの守護大名に守られながらしだいに力をつけ、朝廷と幕府に二分化していた行政権や課税権を幕府主導にあらためます。また、いまだ南北朝にわかれていたその南朝の武力をそぎ落としたうえで、後亀山天皇から三種の神器を返還させることで南朝を消滅させます。
義満の朝廷への介入は、この時点ではまだ「国のため」と(無理をしてみれば)見れないことはありません。しかし義満は征夷大将軍となって武家の頂点に立ち、朝廷に働きかけて太政大臣となって公家の頂点にも立ち、さらには寺家の頂点にも立とうと画策します。
天皇の子弟が有力寺院の住職を務めた場合、それを門跡といいますが、義満は自分の子弟を次々に寺院に門跡として送り込み(もちろん出家させたうえで)、寺家での天皇家の地位を弱体化させ、自身の地歩を固めてゆきます。そして室町御所に隣接して臨済宗相国寺を開山します。
(ちなみにこの相国寺の京都五山における寺格ですが、義満存命中はその意向により第一位とされ、没後に天龍寺が入れ替わり、今は第二位に位置付けられているという顛末があります。)
そのようにして義満は足利家の地盤を確実なものにすると、将軍職を嫡男の義持にゆずり自らは広大な敷地をもつ北山山荘をつくってそこで院政を敷きます。
この北山山荘が義満の死後その遺言により相国寺の境外塔頭・鹿苑寺となり、その境内に鏡湖池にせり出すようにして建つ舎利殿が金閣です。
(伽藍のひとつである舎利殿が金色でありそれがあまりにも有名なので金閣とよばれ、金閣のある鹿苑寺が金閣寺と呼ばれるようになっています)

鹿苑寺

鐘楼
庫裏

金閣

ここから先は拝観料が要ります。観光客がもっとも少ないと読んで訪れた1月のたいへん寒い平日にもかかわらず、拝観券売り場には数十人の列がありました。

鏡湖池の周囲をめぐりながら金閣をいろいろな角度から撮影してみます。

金閣は入れないだけでなく、これ以上は近づけません

はじめの3枚は曇天で日差しがないのでむしろ陰鬱なくらいです。さいごの1枚はたまたま雲の切れ間から日差しが当たり輝いて見えはしましたが、さて荘厳といえるかどうかは個人の見解によるでしょう。

鹿苑寺の金閣は1950年に住み込みの青年僧により放火され全焼します。
そして1955年に再建されるのですが、当時は日本全体がまだ貧しく、一口に金閣再建といってもお金がありません。そこで政府の補助にくわえて寄付を募った結果なんとか建物は建て直すのですが、肝心の壁面に貼る金箔を用意する資金は十分ではなく、金を薄く薄くのばして薄い薄い金箔をつくり、さらに重ね貼りはせず全面に一枚だけ貼ったそうです。そのため風雨にさらされるうちに次第にはがれ下地が見えるようになってしまいます。
そこで1987年に昭和の大改修が行われます。当時は日本がバブル景気の時代、お金には余裕がありました。そこで金箔を1955年当時のものから一気に5倍の厚さにし、さらに2枚ずつの重ね貼り、計20㎏の金を使用したそうです。調べてみると1987年の金相場は平均すると1gあたり2133円だそうですので、20㎏というと4266万円ということになります。もっともそれは金そのものの価格だけで、諸費用をあわせるとこのときの費用総額は7億円超だったとか。
なお、今現在金価格は高騰しており1gあたり10,500円くらいになっています。すなわち金20㎏をつかって今貼り換えをするとなると、金そのものだけで2億1千万円となります。

方丈

方丈 / ここもこれ以上は近づけない
方丈脇にある陸舟の松

鏡湖池の背後、丘陵を活かした庭園

水場
瀧門滝 / 左に金閣寺垣
金閣寺垣は上に続く(一般通行不可)
不動堂 / このあたりは自由参詣できる

金閣(鹿苑寺の舎利殿)は、入ることができないどころか近づくこともできません。
それゆえ空模様のさえない日に訪れるくらいなら、青空のもとの画像を見ている方がよほど満足感が得られるかもしれません。

わら天神

入り口の石鳥居

帰るまえに金閣寺から徒歩5分ほどのわら天神に寄ってみます。
正式な名称は敷地神社。安産の神様で、お参りするとお守りとして藁(ワラ)を授けられることからわら天神と呼ばれるようになり、今では鳥居の額にも「わら天神宮」と書かれています。

すぐに参道は右に折れ、中鳥居をくぐります
舞殿から拝殿を見る
本殿の屋根を見る

本殿の屋根に注目してください。
手前と奥の両端でV字に立っているのが千木(ちぎ)で、棟と直角に数本並べられているのが鰹木(かつおぎ)です。
仏教が入ってくるまえに建立された社においてもっぱら使われていた屋根の装飾で、千木に関しては先端を水平に削ったものは女千木、垂直に削ったものは男千木といい、女千木の本殿には女神が、男千木の本殿には男神が祀られていると屋根だけ見れば区別がつきます。

【アクセス】京阪出町柳駅→(京都市バス)→金閣寺道バス停~ 鹿苑寺(金閣寺)~わら天神
【拝観料】鹿苑寺金閣庭園:500円
【満足度】★★★☆☆