出雲大社をカップルで詣でると別れる?わけがない
【島根県・出雲市 2024.7.30】
まず出雲大社の由緒から始めましょう。
日本神話の中での最高神が天照大御神(アマテラスオオミカミ)であり、その弟に素戔嗚尊(スサノオノミコト)がいます。
スサノオは日ごろから粗暴な振る舞いがめだち、乱暴者の烙印を押されていました。そんなスサノオに怯えるわ呆れるわでアマテラスはとうとう天の岩戸(洞窟)に隠れてしまいます。
アマテラスは太陽神です。そのアマテラスが岩戸にこもってしまったために世の中からは太陽の光がなくなり、あらゆる作物が育たなくなり動物たちも病に倒れ始めます。
さあ大変ということで八百万(やおよろず)の神々は話し合って策をねり、岩戸の外でどんちゃん騒ぎをはじめます。すると外の様子が気になったアマテラスは岩戸をすこしだけ開けて外の様子をうかがうのですが、そのすきに外に引き出されてしまったため世の中に太陽の光が戻されることになります。
【このとき神々がやったどんちゃん騒ぎについて「古事記」には神々は踊り狂って、さらには女神が着物の裾をまくり上げ**と、ずいぶん過激な表現もあるのですが、こうして騒いで踊り狂ったことこそが「祭り=祀り」の起源とされています】
そして神々はアマテラスがふたたび天の岩戸に隠れることがないように、岩戸を封鎖し端から端へと縄をかけます。【この岩戸にむすんだ縄が、注連縄(しめなわ)の起源です】
一方スサノオはというと、父から命じられた海をおさめるための仕事はしない、亡き母がいる国へ行きたいといつまでも子供のように駄々をこねる、粗暴な行動から姉のアマテラスに愛想をつかされる – – そのためついに天上界(高天原:たかまがはら)から追放されてしまいます。
そのスサノオが最初に天上から降ってきたのが奥出雲の地でした。
【古事記には、スサノオの母イザナミが葬られたのは出雲と伯耆の境にある比婆山とされており、じつは天上界を追放されてからもスサノオは母のもとを訪ねようとしていた、それほど家族思いの優しい性格だったとも考えられています】
参道をあるく
スサノオが地上界(葦原中国:あしはらのなかつくに)に降りてきてからおこなった冒険のうち、もっとも有名なのが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したことでしょう。
八岐大蛇はひとつの身体に八つの頭と首、八つの尾をもつ怪物ですが、この八岐大蛇が毎年里にあらわれては娘を一人ずつ食べてしまうと恐れられていました。
【奥出雲を源にする斐伊川は出雲市内を流れていますが、過去には毎年のように氾濫してそのたびごとに出雲の人々に苦難と不幸をもたらせていました。
八岐大蛇の八本の首と尾がくねる様はまさに斐伊川の氾濫をあらわすようで、この神話のもとになっているのではないかとの説があります。
すなわち治水事業をおこなったことを示唆しているというわけです】
大国主命(オオクニヌシノミコト)は、スサノオの息子とも数代あとの孫ともされていますが、地上界において人々に作物を育てること、漁のやりかた、あるいは医学についてなど多くの知恵をさずけて国づくりをおこないます。
国づくりに携わった神を国津神(くにつかみ)とよびますが、オオクニヌシは国津神のなかの主宰神にあたります。
一方天上界(高天原)に住む神々は天津神(あまつかみ)とよばれ主宰神が天照大御神です。
そのアマテラスからの使者が、地上界(葦原中国)の支配権を天津神に譲るよう国津神の主宰であるオオクニヌシに対して要請します。
紆余曲折のすえオオクニヌシは地上界を譲ることを承諾し冥界(死後の世界)を司ることになります。
このとき条件として、自分のために天上界にあるような立派な神殿を建てて欲しいと希望を伝えます。そこで建立されたのが出雲大社ということです。
上の話が「国譲り」の概略ですが、この話が生まれたのには理由があります。
【飛鳥時代に天皇を中心にした国づくりが始まりますが、天照大御神の子孫であり現人神である天皇が国の中心(頂点)であることを既成事実とするためには、この国譲りの神話はなんとしても必要でした】
【同時に中央集権をすすめる上で、中央=大和朝廷が、地方(の代表)=出雲を支配管理することを正当化する目的もあったのでしょう】
拝殿、十九社
大和朝廷の出雲大社に対する位置づけはたいへんわかりやすいと言えます。
天照大御神(天皇の先祖)を祀る伊勢神宮は大和の地からみて日出る処(東)にあり、出雲大社は日沈む処(西)にあります。
西とは仏教でも西方浄土というように冥界のある方角です。
旧暦10月に全国の神様が出雲に集まって会合を開くとされています。
そのため10月のことを一般には神様が出雲へと出払っていて居ないということで神無月といいますが、出雲地方だけは神在月とよびます。
(出雲大社では10月に神在祭がおこなわれている)
この十九社は、全国からあつまった神様たちの宿舎とされています。
19の扉をもつ建物が東西2棟では、八百万の神々が宿泊するには足りないだろうと思われがちですが、ここにもこだわりがあります。
【そもそも数字のゼロが発見されたのは6世紀にインドにおいてとされています。すくなくとも古代の日本にはゼロの概念はなく、1を始まりとし9を終わりとしていました。
そのため19とは無限をあらわす数字です。】
それでは出雲にあつまった神々はどんなことを話し合っているのかというと、「縁」についてです。
【大国主命は縁結びの神様として信仰されていますが、この縁とは男女の縁だけではありません。人と人のあらゆる繋がりを意味します。
すなわち神々は自分たちで地上界の在り方を決めようというのではなく、人々の縁をつむぎほぐし、そのうえで後は人々の行動に任せようとしています。人は神に従属するのではなく、人は神を支えとしながら自活する、ということでしょう】
本殿
本殿周囲は塀で囲まれていて全容を見ることができません。
大社造りがどのようなものであるかわかるよう、松江市郊外で立ち寄った神魂(かもす)神社の本殿を撮影した写真をうしろに掲載します。
高床式の倉庫を大きくしたような建物で、切妻屋根に入口は妻入りになっています。入口が右に寄っているのは中央に柱があるゆえです。
神楽殿
出雲大社をカップルで参詣すると別れてしまうというウワサがあります。これは迷信というよりも流言のたぐいです。
そもそも出雲大社は縁結びとは言っても男女の縁ではなく、ひろく人と人のあらゆる繋がりにかかわる縁をさします。
たとえば山の神は女神でありしかも醜女なので女性が入山すると嫉妬するから女人禁制とまことしやかに言われていましたが、実際のところは山道が険しく危険なので女性は立ち入らない方が良いとのアドバイスと考えられます。
日本の神話は概して荒唐無稽ですが、熟考するとなるほどと頷けるところは多々あります。それどころか民衆が納得するよう工夫して書いてあるなと苦笑させられるところもあります。
それではなぜカップルで参詣すると別れるといった迷信あるいは流言がひろまったのでしょうか。考えられることはカップルの中には仲良く手をつないだり、腕をからませたりして参詣している人もいるかもしれませんが、出雲大社にかぎらず信仰の場ではそれはふさわしい行為ではありません。
また若いカップルならば参道をあるくマナーについて知らない人もいるでしょう。参道の中央は正中といって神様が通るところで参詣者すなわち人は参道の端を歩かねばなりません。悪気がないとはいえ参道の真中を手をつないであるくカップルがいたらこれは困りものです。
まあこんなところから作為的に?デマ情報がひろまったのではないでしょうか。
仲の良いカップルを別れさせてしまうほど神様は狭量ではありません。もし出雲大社をカップルで詣でて別れたとすれば、それは出雲大社とはなんら関係もなく別れるべくして別れたということでしょう。
古代の出雲大社
発掘調査からみつかった本殿の柱とおもわれる木材の規模などから推測して、古代の出雲大社は高さ48mにおよぶ巨大な建物だったのではないかと考えられています。(現在の本殿は高さ24m)
ところでこの模型は古代出雲歴史博物館に展示されているものですが、この模型を見ているうちに「天国への階段」というフレーズを思い浮かべました。
出雲大社はオオクニヌシの希望にそって建てられたとされています。オオクニヌシは天上界(高天原)へもどりたかったのでしょうか?
【入場料】歴史博物館:300円、出雲大社は拝観無料
【満足度】★★★★☆