長野の山城でローテクな石垣に出合って感動する

【長野市、千曲市 2024.11.6】
日本で最初に本格的な石垣を用いた城は、六角氏が近江の地につくらせた観音寺城といわれています。その築城時期は14~15世紀。
ところが推定11~12世紀に技術の上ではずいぶん初歩的ではあるものの、単なる石積みではなく十分に石垣とよべる築造をなした山城が信濃で複数つくられており、しかもずいぶん良好な状態で残っていることをネットの情報で知りました。
※ところが、さらに調べるうちにわかったことは、石垣は築城後数百年もたってから改築の際につくられようです。残念。

霞城

最初に訪ねるのは長野市松代町にのこる霞城、当時このあたりに勢力をもっていた大室氏の居城として造られたもののようです。

「永福寺」を目印に集落の奥まで入る

ここに到るまでの道は幅狭でコンパクトカーでなければ入れません。
また画像の右側は駐車スペースですが前日の雨でぬかるみひどい状態でした。

石塔のたつ道を登りはじめると、
すぐに岩が迫ってきます
山に岩が多いというより、山全体が岩という印象
堀切が残っていました

石垣

2段構えの石垣が見てきました
主郭部分全体を巻くように石垣がつづく
ごぼう積みの石垣 / なんだか整いすぎ?

この石垣の特徴は、
①城が築かれた同じ山から石を切り出している。
②運びやすいように石は小さく割ってある。
③見える外面(表面)よりも重なる面(奥行)の方がおおきく、そのぶん石同士の接着面がひろくなるため崩れにくい。この積み方を「牛蒡/ごぼう積み」といいます。

主郭

階段状の曲輪
本丸部分と思われる
この石垣は防御ではなく曲輪の区画割りのため

よくよく調べてみると、石垣が土留めの目的ではなく、曲輪の区画割りのために使われるのは室町時代も末になってからだそうで、ということは築城は11~12世紀ではあっても石垣が組まれたのはずいぶん後世のことのようです。

11世紀に組まれたものにしては保存状態が良すぎると思いましたが、かりに15世紀に組まれたものであれば納得がいきます。

鷲尾城

つぎに向かったのは千曲市、最寄り駅でいうとJR屋代駅から東へ2㎞ほどの山上にある鷲尾城。城主は武田氏と信濃の覇権を争った村上氏の庶流である倉科氏と考えられています。

鷲尾城はさっそく険しい坂登り
このあたりは本格的な山登り

石垣

石垣が現れた、ここも2段構え
石垣づたいに回る
牛蒡積みというより板状の石を積んでいる
このあたりは崩壊しかけ
後方に回ってみると、崩壊がはげしい

曲輪

一段低い曲輪へ下りる
右側には土塁跡
主郭は一段高いところにある
堀切跡
堀切
先へ先へとつづく曲輪
連続する堀切

【アクセス】車でまわる
【満足度】★★★★☆