剣山の磐座をたずねて、神に接することはできるのか

【徳島県・つるぎ町~美馬市 2025.9.18】
磐座いわくら信仰とは神が降臨し、あるいは神霊が宿る岩あるいは石を崇めることを言います。
古代の日本人の信仰は自然崇拝であり、太陽や風や雨を畏れ崇めていました。 
その自然の脅威あるいは慈悲のなかに神の存在を感じ、神の存在をもっと身近に意識し、手を合わせて拝みたいすがりたいと望んだのでしょう、太陽や山や海や河から神様が巨岩や巨木に降臨しそこに神霊が宿るとかんがえるようになります。その巨岩や巨木(小振りの石や成長途上の若木の場合もある)を神が宿る(依る)対象(代)という意味で「依代よりしろ」といいます。
依代は御神体といっても良いですし、神がとり憑くとされた巫女みこも依代であったとする考え方もあります。

小難しくいうとここまでが古神道の時代です。
やがて社をかまえてそこに神様が常にいると考えるようになります。ここからは神道の世界であり、自然崇拝は「元々は 自然崇拝」となり、神話のなかで描かれた個別の〇〇神、〇〇尊への信仰にかわってゆきます。

今日は古神道の時代にさかのぼり、霊峰・剣山の周辺に点在する磐座をたずねてみます。
主題は、磐座で神に接することはできるか。

清頭岡磐座

徳島県つるぎ町にある清頭岡きよずがおか神社は、吉良忌部きらいんべ神社の奥宮とされています。どうやら阿波忌部氏の古代祭祀場だったようなのですが、現地の資料では磐座遺跡と、すでに過去の遺物あつかいになっています。

左の車道脇に車をとめて、右の坂道を上がります
古代より神聖な場所だったゆえか
灌木や下草を刈る程度で自然のままです
なにやら見えてきました
岩ごろごろで、いかにも磐座にふさわしい地
これが磐座の主体
中央の四角いものは祠
手前にみえる板石の石積は人の手による
反対側からみる
上の突出部は切れ目があるので乗っかたものか
うしろに回ってみました
下を見下ろすと、ここも岩ごろごろ
ももともあった岩盤がくずれて散乱したのか?

磐境神明神社

美馬市穴吹町にある磐境神明いわさかしんめい神社は白人しらひと神社の奥宮にあたります。
まず「磐境」について。磐座が神が降臨する岩そのものであるのに対して、磐境は降臨した神を祀るよう岩石で囲んだ聖域のことをいいます。
つぎに一風変わった白人神社の名の由来について、は見学を終えた後で書くことにします。

白人神社
拝殿と奥に本殿
白人神社脇のこの鳥居をくぐり、石段を上がる
石積みが囲む、これが磐境です
この磐境は入口が3つ、なかに5つの祠(社)があり、
五社山門の形式とよばれるそうです
板石をつみあげる石組の様子は、
北関東でみた山城の石組とおなじです
信心のうすい私がこの神域に入るのは畏れ多く、
外から見るにとどめました。

白人神社の由来について書いておきます。
「日ユ同祖論」なるものがあります。私は西洋の歴史には疎いので読んだまんまを大雑把に書きますと – – –
紀元前8世紀にアッシリア帝国に迫害され追放されたイスラエル王国の10支族が世界を彷徨い、そのなかの一部が日本にたどり着いたとされます。
ここでいう10支族にはユダヤ人は含まれません。ユダヤ人と共通の先祖をもつ同族という意味で、そこから日本人とユダヤ人がおなじ先祖をもつということになり「日ユ同祖論」となったのでしょう。
信じる信じないは自由ですが、一部の人にとっては笑止千万といった説には違いありません。

ということで白人神社はユダヤ、またはイスラエル王国の10支族を祀っているのかというと、さにあらず。
祀られているのは瓊瓊杵尊ににきのみこと天照大御神あまてらすおおみかみ伊弉冉尊いざなみのみことなどなど古代日本神話のそうそうたるメンバー。
白人は「はくじん」ではなく「しろひと」と呼んでいるように、白髪白髭の老人を介した神託によりここに社が建てられたことが名の由来ではないか。これが有力です。

それではなぜここで「日ユ同祖論」がでてきたのか。
先ほど見た磐境について入口が3つ、祠(社)が5つあることから「5社3門」形式であると書きましたが、じつはこれは古代イスラエル王国の祭祀場とおなじ形式なのです。
日ユ同祖論を端から信じない人にとっては単なる偶然の一致ということになるのでしょうが、妄信的といってわるければ熱狂的に信じる人々の間ではさらに「日本版ソロモン王伝説」が生まれます。
イスラエル王国を繫栄させたソロモン王の秘宝が、アッシリア帝国に追われ日本にたどり着いたイスラエルの支族によって四国の剣山に秘匿されたという、夢のような?お話です。この秘宝のなかには「失われた聖櫃アーク」も含まれているそうですから、インディ・ジョーンズも一度はこの地に足を運んだのでしょうか?

石尾神社

石尾神社は磐境神明神社からさらに山奥に入った、まさに秘境の地にあります。
さきに言ってしまいますが、ここは心魂を震わせるほどの超自然的な力がただよう、たしかに神域です。

ここが石尾神社への入口です
磐境神明神社から12km山奥へ、
案内板はありません、Googleマップをたよりに
山中を縫う細い車道沿いに車をとめる
4WC車ならもう少し先まで行けなくもないですが
300mもあるくと山道にかわります
ここも巨岩ごろごろ
社が見えてきました
神社の社ではなく、寺院の堂でしょうか、
どちらにしろ廃屋状態です。このまま斜面を登ります。
岩と石だらけ
鳥居と磐座らしき巨岩が見えてきました
右に狛犬と石灯籠らしきものが見えるので回ります
このあたりから敬虔な気持ちというより
強烈な緊張感に心臓がバクバク状態です
すると、狛犬のもとにワンカップ酒が!
思わず力が抜け、おかげで緊張感も緩みました
たしかに石尾神社とあります
すこし離れてみると、磐座の大きさが実感できます。
まわりを回ってみます
ところどころに古びた案内板を見かけます
これは風がぬける風穴と書かれていました
そして裏に回ると、この巨岩
公式には高さ20~30mと書かれている
左下の社と比較してみると、巨大さがわかる
恐る恐る写真を撮っていたので、
社が傾いているのか、
いつのまにか力んで右肩が下がったのか不明
御神木にしても良いような巨樹
これは間違いなく木が傾いている
下りながらふり返って撮影
正体不明の石組
城の曲輪でなければ、ここに人が住んでいたのか
あるいは大掛かりな祭祀場があったのか
最後に、上がるときに通った堂の裏手に何かあるので、
回りこんでみると、荒廃した墓地
それでなくても緊張しっぱなしなのに、勘弁してくれ
大急ぎで下山しました

さて今回の磐座巡りで神に接することができたかというと。
神に接するには本人の心掛けも必要でしょう。私のように信心が薄いうえに精進の足りないものには、好意的な神様が近くにいても感じることができないに違いありません。
しかし神に接することができなかった私ですら、とくに石尾神社では経験したことのない緊張感を覚えたのは確かです。
これほどの衝撃的な体験は、全国をあれこれ見てまわった経験上でもはじめてかもしれません。その意味ではオススメどころかイチオシとしたいのですが。

そういえば、石尾神社への坂道を上がっているときには目前の斜面を野生のシカが駆け抜けて行きました。奈良公園でシカを見慣れている私としては驚きもしなかったのですが、よく考えてみると目のまえを野生のシカが走る環境というのは、クマに出くわす環境とどれほどに違うのでしょうか。
そう考えると、イチオシどころかオススメするのもためらわれます。

【アクセス】車でまわる
【満足度】★★★★★