京都・鹿ヶ谷から二条城へと、狩りをしない紅葉狩り

【京都市 2025.12.1】
「紅葉狩り / もみじがり」の言葉の由来は、「野山に分け入って自然の恵みを探し求める = 狩り」ところにあるそうです。その言葉の由来から考えると、いまの時代の紅葉見物はとうてい仰々しくて紅葉狩りとはいえないように思えるし、同時に若い人が紅葉狩りと聞いて紅葉を狩り集めにいく(葉を拾うだけでなく千切るのか?)と勘違いしていても笑うことはできません。
マスメディアさらにネットであふれるほどの情報を容易に得て、車や電車で簡単に訪ね、老いも若きもスマホ片手に探索するのであれば、紅葉狩りという言葉そのものに文学的な意味合いを探すというのも陳腐な話で、そろそろ死語として葬ってやっても良いのではないでしょうか。
ましてや若い人が言葉を知らないと失笑するのも嘆息するのもお門違い。
若い人に紅葉狩りの語源を説明するヒマがあったら、(若い人が軽快にやるように)スマホを片手で扱う練習でもした方がよいというものです。

さて今日はテレビ番組で見た「二条城のプロジェクションマッピング&ライトアップ」をメインに、その前段に加えるべくスマホで探索した鹿ヶ谷(銀閣寺の南~南禅寺の北あたり)をふくめて紅葉狩りに出かけることにします。
スマホの扱いですか? もちろん左手に本体をもち、右手人差し指でプチプチと入力しています。

哲学の道

哲学の道
この道沿いは桜の名所ゆえ、紅葉はすべて散っていました

「哲学の道」とは京都大学の教授でもあった哲学者の西田幾太郎氏が思索にふけりながら歩いたことから名付けられたそうです。
しかし、(私をふくめ)西田幾太郎なる方をしらない日本人にとっては、ずいぶん古ぼけた名のように感じられます。

たとえば、「哲学の道で紅葉狩りをしよう」と彼氏から誘われ、「すてき」と目を輝かす彼女がいたら、むしろ漫才でしょう。

法然院

法然院へは哲学の道を折れて、脇道から入りました
山門をくぐって
山門をふり返ります

法然院の写真といえば、まずこの写真。山門を表からではなく、くぐって内側から見たもの。
現実には、私が立つ位置を最前列にしてずらっとスマホやカメラを構えた観光客が並んでいます。
それでも訪れる観光客は他の人の撮影の邪魔にならないよう皆が気配りするので良い写真が撮れました。

観光客のマナーが良くなったというよりも、高市総理の発言に反発した某国が日本への渡航を自粛させているため、問題アリの集団が激減しているというのが理由です。

真正極楽寺 (真如堂)

真如堂への脇からの入口
総門
総門から本堂へ

全国には多数の極楽寺と称する寺がありますが、こここそが正真正銘の極楽寺だ、という意味合いで「真正極楽寺」と名付けられたそうです。
仏に仕える身でありながら「俺が俺が」とずいぶん我欲のつよい発想ですが、それもそのはず、煩悩のかたまりの比叡山延暦寺を本寺とする寺だそうです。

三重塔
本堂 / 本堂の名称・真如堂が通称の寺名になった
本堂裏

歴史好きの方へ:
この寺の境内墓地に、斎藤利三の墓があります。

ちなみに斎藤利三は明智光秀の重臣、山崎の戦いで敗死(正確には捕縛されて斬首)。
その娘が福、のちに徳川三代将軍・家光の乳母となり春日局かすがのつぼねとして歴史に名をのこす。

金戒光明寺

山門
山門から御影堂を仰ぎ見る
御影堂への階段から山門をふり返る

金戒光明寺こんかいこうみょうじは法然上人が建立した知恩院とならぶ浄土宗の巨刹ですが、残念ながら趣きがない。
そこで写真はこれだけにして、いくつか金戒光明寺の(観光)案内に対する間違いを指摘。

➀江戸時代末期に、京都守護職に任ぜられた会津藩主・松平容保かたもりはここに千名の藩兵が駐屯する本陣をおきます。
その千名の藩兵でも治安維持に足りなくて浪人を雇い入れ、かれらが新選組となりますが、新選組はこれから行く二条城にも近い壬生みぶに駐屯したことから当初は壬生浪士組と呼ばれます。
一部の案内に「新選組発祥地」と書いていますが、こじつけに過ぎません。

➁ここの墓地に、先に書いた春日局の墓があるという情報。
春日局は東京・湯島の麟祥院を菩提寺とし、そこに立派な墓があります。
では金戒光明寺にあるものは – – – 春日局は三代将軍・家光の乳母、いっぽう二代将軍・秀忠の正室がお江(家光の実母であり、信長の妹・お市の三女)。
そのお江を供養するために春日局が供養塔を金戒光明寺に建てたということで、まったくのガセです。

二条城

ライトアップされた東大手門、東南隅櫓(左奥)を見る

現在のこる二条城の正式名称は元離宮二条城。
徳川家が京都での滞在所として、あるいは京都において大名衆と会見するため、さらには天皇と謁見するために造ったとのこと。

縄張の段階では築城の名手・藤堂高虎も協力したようですが、その後は造園には小堀遠州、内部の装飾は狩野派がうけもち、戦のない時代だけに城郭というよりも芸術作品というべき建築物に仕上がっています。

驚嘆すべき内装についてはあとで語るとして、まずはプロジェクションマッピングとライトアップをご覧ください。

観月への誘い / 唐門
名月の径 / 二の丸と二の丸御殿
月待ちの光景 / 二の丸御殿
二の丸庭園
十三夜月華 / 本丸石垣と水堀
左は本丸櫓門
清流園と香雲亭
二の丸北の径
これは赤いライトで照らされた「作り物」です
観月の華庭 / 二の丸東の通路沿い

さてこのプロジェクションマッピング&ライトアップですが、入場は昼夜入れ替え制で、
〇昼の部は入場料800円、二の丸御殿の観覧料セットで計1300円。
〇18時から始まる夜の部は二の丸御殿の観覧はなく外を回るだけで、月~木:2000円、金土日祝2400円。
私が訪れたのは月曜日ゆえ2000円ですが、満足度はと問われると、今回はじめて入城した家内は「満足、満喫」と喜んでいましたが。

私は過去に昼の部で二の丸御殿の内装を堪能した経験があります。
さきに言いますと、二の丸御殿でみられる障壁画はすべてレプリカです。
2011年から始まった二条城の障壁画の模写よりも以前の同作業は、「現状模写」とよばれるシミやヨゴレまで再現するものだったそうで、そのため膨大な時間がかかっていたうえに、退色具合をどこまで再現するかといった問題もありました。
そこで「古色復元模写」という技法が考案されたそうです。
これはオリジナル画の製作時とおなじ材料と技術で再現します、すると色彩が鮮やかすぎて歴史の重みが感じられないため、科学的に400年なら400年の時をこえた退色を意図的に加えるという手法です。

先に言いましたように、すべてレプリカです。
レプリカとわかって見ても、この内装には瞠目するはずです。
この昼の部を1300円で鑑賞しているだけに、2000円払う夜の部は – – – ?

ところで、障壁画の原画は見られないのかというと、収蔵館で見られます。
収蔵館の入館料はわずか100円。
それならば原画を見ればよいと思うでしょうが、じつはここに問題があります。
現在保管されている原画は1000面以上、たいして1度に公開できるのは30面のみ、年に4回に分けての公開のため毎年4回通っても10年近くかかります。
つぎに入館料の100円ですが、どこからでも入れるのではなく入城料800円でいったん城内に入ってからのことで、要は毎回900円必要ということです。

【アクセス】京阪・出町柳駅~哲学の道~法然院~真正極楽寺(真如堂)~金戒光明寺~京都地下鉄・東山駅 ➡ 二条城前駅~二条城
【入場料】二条城プロジェクションマッピング&ライトアップ2000円(月~木限定)
【満足度】★★★★☆