夏の高野山をたずねて歩く
【和歌山県・高野町 2022.8.15】
今日は高野山をたずねてみたいと思います。
お盆にたずねることに宗教的な意味はなく、ともかく下界は暑くてかなわないので高野山まで上がってしまえば少しはしのぎやすいだろうと、理由はいたって単純です。
ところで高野山という名の山は存在しません。「高野山」とはその地域一帯の名前で、1000m級の山に周囲を囲まれた標高850mの盆地全体が金剛峯寺の境内となっており、すなわち高野山イコール金剛峯寺の寺町となります。
紫色のマークが今回訪れた場所です。
極楽橋から登ってゆく
大阪なんば駅から南海電車高野山行に乗ると、九度山あたりから電車は上りにかかり、ついに極楽橋駅に到着します。
ここからさらに高野山ケーブルに乗り換えることもできますが、いったんは駅舎を出て歩くことにします。
かつて女人禁制の地へ
高野山はかつて女人禁制でした。
そのため女人堂まできてここに籠り祈りをささげることが、女人にできる限界だったそうです。
すなわちここから先の道は、男性のみしか歩けなかったわけですが、いまはもちろんそんな時代錯誤はありません。
高野山の、女人禁制解除への道のり
https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20180530-001.html
途中の宿坊・蓮華定院は真田昌幸、信繁(幸村)親子が、関ヶ原の合戦での敗北をうけて高野山へ追われた際、最初に身を寄せた場所です。
いまは真田家の菩提寺のひとつになっていて、信繁の兄・信之と息子の信政の墓があります。
高野山には現在117の寺院があり、そのうち52寺が宿坊です。
なぜそれほど宿坊が多いかというと、むかし参拝者は麓から半日かけていわゆる高野山までのぼってくるので、それから参拝してその日のうちに下るなんてことはとてもできませんでした。
ですから必ず高野山のどこかで宿泊することになり、結果として宿坊がたくさんつくられたということでしょう。
さらに驚くのは、かつては実に2000に達する寺院があったとか。その内いかほどが宿坊だったのかはわかりませんが。
金剛峯寺
僧・空海は高野山周辺で山岳修行をつみ、やがて唐へ留学し密教の奥義を学びます。
帰国してからは、嵯峨天皇からよほど信頼を得ていたのか、京の東寺を密教の布教の場として、高野山ぜんぶを修行の場として下賜され、ここに修行のための道場をつくります。これが今の「高野山」のはじまりです。
空海の足跡と高野山の開創
https://www.shukubo.net/contents/about_koyasan/history.html
主殿の屋根の上に桶が設置されています。
これは天水桶といい、普段から雨水を溜めておき、火事のときには梯子でのぼってこの桶の水で消火につとめるそうです。
主殿には入って見学することができます。襖絵などたいへん見ごたえがあります。
(拝観料 1,000円)
金剛峯寺・主殿
https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/jinai.html
壇上伽藍
根本大塔も入ることができます。
塔内の曼陀羅世界はすばらしい。
(拝観料 500円)
大門
大門は、町石道(表参道にあたる道)を登ってくるとたどり着く総門。
まさに大きな重層の楼門です。
通常はここから金剛峯寺の中枢へ向かうのですが、今日は逆にここから町石道をくだって九度山まで降りてみたいと思います。
【アクセス】南海電車・極楽橋駅より
【満足度】★★★★☆