紅葉の高取城址へ高取山をのぼる

【奈良県・高取町 2022.11.12】
「巽高取雪かとみれば 雪でござらぬ土佐の城」と唄われた名城が、かつて奈良県中西部、標高583mの高取山にありました。(土佐とは高取の旧名)
城内の周囲3km、城郭全域の周囲は実に30kmにもおよび、日本国内では最大の山城であり、日本三大山城に数えられています。(ほかは岡山の備中松山城と岐阜の美濃岩村城)
当時は天守をふくめ27の櫓、33の門を有し、山麓から見上げるとそれらが積み重なるさまが白い花が咲き乱れるか、あるいは雪化粧しているかのようで、そこから冒頭の唄になったとのことです。
歴史的には、高取周辺を地盤にしていた豪族・越智氏が基礎となる城(おそらくは砦レベルのもの)を築き、筒井順慶が大和国を領有すると、支城のひとつとして改修しこの時点であるていど城の形になってきたようです。
豊臣秀吉の時代になり、筒井氏が伊賀上野に転封されると大和国は秀吉の弟・秀長の支配下となり、秀長自身は大和郡山城を居城とし、重臣の本多利久に高取城を与えます。この本多利久の手により本格的な築城普請がおこなわれ、日本三大山城といわれるまでの巨城ができあがりました。
その高取城、いまは石垣を残すのみですが、そもそも石垣がたいへん立派で見応えがるうえに、ちょうどいま紅葉が見ごろになっているとのこと。これは見に行かないわけにはいきません。

紫色のマークが今回訪れた場所です。

高取山へ向かう

近鉄壺阪山駅をおり、土佐街道をあるく
旧城下町にのこる家老屋敷の長屋門

近鉄壺阪山駅をでるとすぐに土佐街道につきあたります。土佐とは高取の旧名ですから高取街道と思ってください。四国の土佐とも坂本龍馬ともなんの関連もありません。
1kmほど趣あるとまでは言えませんが、のんびりとした旧道を歩きます。

高取山へ登るには2つルートがあり、今日は北側から宗泉寺の前を通ってのぼり、南側から壷阪寺前を通ってくだることにします。

高取山登山口あたりからみる風景
これが登山口入口

写真を時系列では前後逆にしましたが、せっかく前の写真のような美しく穏やかな風景を眺められる道にもかかわらず、登山道入口は看板だらけでうんざりするような光景です。

高取山をのぼる

宗泉寺前を通り過ぎると、
やがて高取城址の石柱があります。
曲がりくねった道

高取城の城郭内に入ると、ここからは城への本道いわゆる大手道ですが、道は曲がりくねります。
これは敵が襲来したときに登りにくくしているためで、当時は道に竹筒をころがしたり濡れた竹の皮を敷いたりと、さらに歩きにくくしていたそうです。

高取城址につく

大和の古代文化にはおなじみの猿石があります
猿石の先が二の門跡。池の形で堀が造られている
城郭内に入りました。本丸はまだ先ですが、
崩れかけた石垣があちこちに見られます
国見櫓跡への分岐 / 本丸へはまだ520mあります。
国見櫓跡からは奈良盆地が見わたせます

門跡を通りぬけて

ふたたび本丸へ向かいます / 矢場門跡
宇陀門跡
千早門跡
大手門跡
十三間多聞跡

大手門はどこから登ってきても本丸へ入るためには必ず通らなくてはいけない最重要な正門です。
そして十三間多聞は二の丸御殿へ通じる虎口にあたります。

二の丸・本丸

二の丸から本丸をのぞむ
本丸の石垣
二の丸
二の丸
本丸跡
天守台

紅葉

高取城址を後にして

壺坂口中門跡をぬけて下山します
登った大手道よりずっと細い山道を下る
五百羅漢
車道に合流した、そのあたりの風景

壷阪寺

車道から壺阪寺を見る
壷阪寺 / これが全景ではない

壷阪寺については、由緒であるとか宗派であるとかそういったものは無視して、むしろ仏教テーマパークと思って楽しめば良いのではないでしょうか。
神だ仏だ信仰だとかふかく考えず、単純に視覚的に楽しめば、なかなかよく出来ていると思えます。

壷坂大仏 ほか多数
大仏、納骨堂、中興堂、うしろにも礼堂ほか多数
慈眼堂から三重塔を見る
多宝塔から仁王門を見る
大石堂(納骨堂)はインドの石窟寺院風
大涅槃像もあれば大観音像もある / すべて大がつく

【アクセス】近鉄壺阪山駅から、壺阪山駅へ 26,000歩
【料金】高取城址:無料、壷阪寺(拝観料)600円
【満足度】★★★★★