有田焼と伊万里焼は違うのか

【佐賀県・伊万里市、有田町 2023.1.19】
有田焼と伊万里焼は違うのかというと、むかしは同じもの、いまは違うものということになります。
江戸時代には現在の有田周辺は磁器の一大生産地でしたが、出来上がったものを伊万里の港から輸出していたため伊万里焼と呼んでいたようです。(雑学の余談ですが、イランで採れた青い石をトルコを経由して欧州へ運んでいたたためその石をトルコ石とよびます。これと同じ発想です)
やがて明治時代になると、生産地を重視するようになり有田で焼かれた磁器は有田焼、伊万里のおもに大川内山で焼かれたものは伊万里焼と呼ばれるようになります。同時に江戸時代の有田産の磁器は古い伊万里焼ということで古伊万里とよばれます。

大川内山

町の地図も磁器製、もちろん伊万里焼

伊万里焼の窯元があつまる大川内山にきました。ここに興味をもったのはネットでひょっこり街並みを紹介する画像を見たことに始まります。

ネットで見たのはこの橋の画像でした
素人がスマホで撮影ではあまり魅力が伝わりませんか
河原に下りて橋を見ると、こんな感じです
ずいぶん手を加えた歩道ですが、気持ちよく歩けます
風鈴ではなくベルで、近づくと鳴ります

焼物(陶器)は大きく陶器と磁器にわけられます。
陶器は長石という石の成分がすくない陶土を中高温で焼くため肌のあらい素朴な仕上がりとなり、磁器は逆に長石の多い磁器土を高温(1300度)で17時間以上焼くため、硬く丈夫で肌のなめらかな仕上がりとなります。
また磁器土はもとが白いため染付、絵描きするのにも向いています。

街の通りは店舗や窯元など、大半が伊万里焼関係
途中に登り窯がありました
高台からこじんまりした街をのぞむ
川岸の側面に伊万里焼がびっしり
高台(展望台?)から町へもどる

今回の旅行は、家内と同伴しており、それほど長距離は歩けないので、レンタカーを借りて移動し、ポイントごとに散策しています。

伊万里

伊万里駅前 / 伊万里焼の人形飾り
橋もたくさんの伊万里焼で飾られている
伊万里焼の皿
こちらは鍋島様式

有田焼(伊万里焼もふくむ)には3つの様式があります。
1)古伊万里様式 – – 江戸時代におもに輸出用につくられたもので、濃い藍の染付のうえに赤や金で豪華に装飾をほどこし、多様な文様が全面を埋めつくすように描かれています。
2)柿右衛門様式 – – 乳白色の地肌を活かし、黒い繊細な線と赤、黄、青、緑で花鳥風月を絵画的に描くのが特徴。もちろん創始者が柿右衛門さんでしょう。
3)鍋島様式 – – 鍋島藩御用達で献上品として使われていたものです。図案はおもに春をテーマとし、青白い地に赤、青、緑の3色を基調として精密な模様を描いています。

陶山神社

陶山(すえやま)神社
本殿・拝殿へあがる階段 / 有田焼が多数
なんと鳥居も磁器製

もともとの祭神は応神天皇のようですが、その後有田の焼物が広く末永く隆盛するよう願いをこめて、鍋島藩主・鍋島直茂を相殿神として祀ることになった、地元では「やきものの神様」と親しまれている神社だそうです。

鳥居
境内には有田焼があふれるほど
なんと本殿にもあります
配置等のセンスには少々???

有田

陶器祭りの際にはすごい人出だそうですが – – –
トンバイ塀 / 登り窯の耐火煉瓦でつくった塀
「アリタセラ」で見かけた茶わん神輿

アリタセラは市街から車で15分ほどのところにある、有田焼の専門店をあつめたショッピングプラザですが、それにしてもここだけでなくどこもが、「これで成り立つのか?」と心配になるほど人がすくない。
この伝統工芸を残すためには、さてどうしたら良いのでしょう。

【アクセス】レンタカーで移動
【満足度】★★★★☆