和歌浦天満宮で梅をめで、和歌の浦をあるく

【和歌山市 2023.2.27】
菅原道真を祀るのが全国に12000もあるといわれる天満宮と天神社ですが、そのなかで三大天満宮(天神社)となると、京都の北野天満宮と福岡の太宰府天満宮を別格として、のこる一枠をいくつかの宮社が、われこそはと自称自薦しています。
和歌山市にある和歌浦天満宮もそのひとつで、自称する理由は、菅原道真が太宰府に左遷されて赴くさいに、途中で暴風をさけるため当地に船を停め、ここで和歌の浦をながめながら歌を詠んだからということです。なにやら貧弱な理由ですが、そもそも三大天満宮であるかないかよりも、その和歌浦天満宮に植えられた梅が見ごろを迎えているとのことなので、その梅をを見るために訪ねてみることにしました。

和歌浦天満宮

全景
見事な枝垂れ梅
楼門へ向かって石段をのぼる
楼門から見下ろす / 海が見える
拝殿と本殿
梅と拝殿

和歌浦天満宮に植えられている梅は30本ほどで、本数だけでいえば取り立ててどうと云うほどのものではないのですが、石段を上るにしたがい変化する梅と楼門とのコラボ風景や、楼門から見下ろす紅白の梅がならぶ様は、来て良かったと思わせてくれます。

紀州東照宮

徳川家康の十男・頼宣が紀州藩の藩主となって、徳川御三家のひとつ紀州徳川家を起こすと、この地に家康を東照大権現として祀る神宮を建立します。
それが紀州東照宮ですが、和歌浦天満宮のすぐ東側に並ぶようにあります。

なお楼門から先は拝観料が必要、また社殿内部は撮影禁止です。

楼門へと石段を上る
楼門から唐門、その奥の本殿を見る

和歌の浦をあるく

不老橋 / そもそもは東照宮へ参る道として造られた?
玉津島神社から和歌の浦を見る

玉津島神社は、古くは聖武天皇が行幸した際(723年)、その美しい風景に感動し、その風光明媚を守ってもらうため、すでにあった神社にあらたに明光浦霊(あかのうらのみたま)を祀った由緒があります。
そのため小野小町をはじめ多くの歌人がここを訪れ、参拝するとともに歌を残しています。
また和歌山の語源ですが、むかしこのあたりが若々しく美しい浜だったため「わかのはま」と呼ばれ、また和歌の聖地にもなったことから和歌山の地名が生まれたのではないかと言われています。
明光浦霊も小野小町もあっちへ置いとくとしても、これから歩く和歌の浦への期待度がぐっとアップしました。

和歌の浦では有名な温泉ホテル
蓬莱岩
雑貨崎漁港
雑貨崎灯台
灯台からの眺め

和歌の浦を海岸沿いに歩いて西の端に位置する雑賀崎灯台まできました。
帰りは山沿いを歩いて元の場所、和歌浦天満宮あたりまで戻ります。

高津子山

高津子山へは整備された道を上ってゆきます
山頂展望台
展望台より北西をみる
西をみる / 先程の温泉ホテルが下にみえる
南をみる / 片男浜海浜から海南市をのぞむ
北を見る / 和歌山市街

高津子山はもとは章魚頭姿山と書き、「たこずしやま」と読みます。
山頂にあった案内板によると、むかし大雨と洪水でこの山の山頂部を残してすべて水没してしまい、翌日水が引いてから村人が山に登ってみると、木々にたくさんのタコが引っかかっていたことから章魚頭姿山の名がついたとか。
昔話とはいえ、なんともお粗末な出来で、タコ云々以前に、山頂部を残すだけの水害に見舞われたら村人全員死んでしまってるやろ、とツッコミを入れたくなりますが、こういう昔話や伝承は寛大な気持ちでおおらかに受け取りましょう。
この話はおもしろいと興味深く案内板を読めば、同じ風景でもずっと楽しく見えてきます。コレ本当です。

山道を下ってゆくと、和歌浦神社に出てきました

【アクセス】JR紀三井寺 ➡ 和歌浦天満宮~紀州東照宮~玉津島神社~和歌の浦海岸~雑賀崎灯台~高津子山~和歌浦天満宮 ➡ JR紀三井寺 33,000歩
【満足度】★★★★☆