梅が見ごろの、石山寺を訪ねてみる

【滋賀県・大津市 2023.3.8】
琵琶湖の南端から流れ出る瀬田川のほとりに鎮座する石山寺は、季節ごとに様々な花で彩られ、「花の寺」として知られています。いまは梅が見ごろということで、さっそく出かけてみることにしました。

東大門から本堂へ

仁王像のたつ東大門 / 山門にあたります

石山寺は、聖武天皇の勅願により良弁が開山したと伝えられています。
良弁といえば、東大寺を開山した高僧で、どうやら東大寺の建立に先立ち、近江の山から切り出した木をこの地に集めるなど、由来は東大寺に結びつくようです。
ちなみにここに集められた大量の木材は、瀬田川から淀川をくだり、そして大和川をさかのぼって奈良へ運ばれたと考えられています。

本堂 / 国宝
本堂
毘沙門堂と観音堂(右奥)

石山寺は東大寺とのつながりから華厳宗の寺でしたが、平安時代に真言密教の道場となり、しだいに真言宗寺院へと変貌してゆきます。

また創建が東大寺開山に先立ち聖武天皇直々の勅願であったことからわかるように、朝廷からの信頼があり、また京都からもほどよい距離ということもあって、公家の間では石山寺へ詣でることがちょっとした流行になります。

本堂向かいにある蓮如堂の装飾瓦
本殿にある、紫式部源氏の間

石山寺詣はとくに女性のあいだで人気があったようで、「枕草子」や「蜻蛉日記」にも石山寺のことが書かれているそうですが、なかでも気になったのは、紫式部が「源氏物語」の着想を得たということ。
よりにもよって、なぜ当時は人里離れた片田舎にぽつんとあったはずの石山寺を参詣した際に、京都の華やかな宮廷での愛欲物語のアイデアを思いついたのか。
調べてみたところ、源氏物語のストーリーのなかで光源氏が一時期ですが政権争いにやぶれ、みずから当時はずいぶんな片田舎であった須磨(いまの神戸市の西の端)へ移り住む展開があります。どうやらその箇所をこの人里離れた石山寺を訪ねた際に思いついたのではないか、そう考えると合点が行きます。
ところが石山寺にきて驚いたのは、本殿のなかに「紫式部源氏の間」なる部屋がつくられ、石山寺からみた美しい光景に心打たれ趣くままに筆をすすめて書いたのが源氏物語であると、あたかも石山寺で着想を得ただけでなく、源氏物語の大元はすべてここにあると言わんばかりの説明がしてあります。
明智光秀の名言に「仏のうそは方便という、武士のうそは武略という – – – 」というのがありますが、これも明智光秀に言わせれば、方便の類いでしょうか。

多宝塔、鐘楼

多宝塔
多宝塔と鐘楼(右)
御堂

ここは天然記念物にも指定されている硅灰石の産地で、堂塔はその硅灰石の上に建てられています。そこから石山寺と呼ばれているようです。

最初の梅林を通り
月見亭を見上げ
多宝塔 / 国宝
鐘楼 / 重要文化財

石山寺は戦国時代の戦に巻き込まれることがなかったため、多くの堂塔を当時のままの姿で残しています。

梅林

光堂(奥)
光堂は平成20年に民間企業の寄進で建立された
紫式部の像と光堂 / このあたり寺というより公園

【アクセス】京阪石山寺駅 ➡ 石山寺~瀬田の唐橋 ➡ 京阪石山駅 11,000歩
【拝観料】石山寺:600円
【満足度】★★★☆☆