能登半島一周 その弐(總持寺祖院~白米千枚田)

【石川県・輪島市 2023.5.17】
前回の続きです。日付は替わっていません。

總持寺祖院

この御寺は鎌倉時代中期に禅寺として開かれ、その後は曹洞宗の中心道場として栄えます。
越前(いまの福井県)の永平寺と、どちらを本山とするかその地位や権利を争うこともあったようですが、当面は「能登の大本山」として立ち位置を落ち着かせます。
江戸時代になってから幕府より永平寺と總持寺の双方が曹洞宗の総本山として認可されるのですが、明治31年(1870年)、この總持寺は火災で焼失。再建はされますが、福井と石川に隣接して大本山があるのもどうかということだったのか(?)、「能登の大本山」の地位は横浜市にあった總持寺に移されることになります。
ですから現在は、曹洞宗の大本山といえば、福井の永平寺と横浜の總持寺であり、この御寺は「總持寺祖院」と呼ばれ親しまれています。

これは山門(三門)ではありません。「敷地入口」です
山門へ向かって歩くと、しだいに寺院の雰囲気に
不思議なことに、山門の外(手前)に経堂があります
経堂の中はなかなか見られないのですが、
ここでは建物の中にまで入れました

経堂(きょうどう)とは、寺のなかで御経をおさめておくためにつくられた建物のことをいいます。
中心にある六角形の塔のようなものがありますが、この中に納めているそうです。(中は見ていないので今あるのかどうかは知りません)
ところでこの六角形の塔ですが、「六角経蔵」と呼ばれています。数人で力を合わせて押すと、全体が回転するようになっているはずです。
そうやって一周させると、一切経を読み通したにひとしい御利益があるといいます。
(それなら御経も修行も必要ないでしょうに)

山門
美しい山門ゆえ、別角度からもう一枚
山門から見た境内 / 大祖堂(左)、仏殿(右) 
反対側を見ると、鐘楼(鐘鼓楼)がある
仏殿

日本仏教の流れを簡単に書いておきます。
1)中国から大和へつたわり、聖徳太子らがひろめたものは「奈良仏教」とよばれ、一般信仰というよりも学問的なものでした。
このころ一般人が信仰していたのは「神様」すなわち「神道」です。
2)平安時代になって学問としての仏教研究がすすみ、中国へわたって密教や禅を学んできた最澄は比叡山で天台宗を、空海は高野山で真言宗の教えをひろめます。
しかしこの頃もまだ仏教は貴族皇族にありがたがられ帰依されるだけのものでした。

仏殿から大祖堂を見る

3)鎌倉時代になり、ひろく一般大衆を救いたいと考えた僧の中で、念仏を唱えればだれでも極楽浄土へ往生できると、まったく革命的なことを唱えたのが法然であり浄土宗。
法然の弟子で、自力を捨て阿弥陀如来の本願力を信じることで救われると説いたのが親鸞であり浄土真宗。

大祖堂内

4)さらに座禅をしながら公案という禅門答をおこなうことで悟りに近づけるとしたのが栄西であり臨済宗。
いやいや目的や意図をもたず、ただひたすらに座ること(只管打座)、すなわち座禅そのものが悟りになると説いたのが道元であり、これが曹洞宗です。

大祖堂から放光堂へつづきます / 放光堂は納骨堂

さてここで疑問が生じます。
この總持寺祖院はそもそも禅寺としてひらかれ、曹洞宗の禅修行の中心道場として栄えたはずです。
そして曹洞宗では、必要なのはただ座ること、座禅そのものが悟りになる(悟りにいたる)と教えています。それならば教義も念仏も要らない、であれば経典もいらない – – なぜ御経を収める経堂があるのでしょうか。

とはいえ、たいへん素晴らしい御寺だったので、無粋なことを考えず、ゆっくり見物して帰りましょう。

放光堂の天井
放光堂と大祖堂

白米千枚田

總持寺祖院は輪島市の南、門前町にありますが、そこから北へとすすみ一旦輪島市街をぬけてそのさらに北へ向かうと白米千枚田があります。
日本海に面した海岸丘陵地帯にひろがる棚田で、4ヘクタールの斜面に1004枚もの田が連なっているそうです。

正面上の高台が駐車場になる

この棚田は地元住民とボランティアの方々により管理されているそうですが、他にも「オーナー制度」というものがあって、正会員になることで自分自身で管理できるマイたんぼを持てるそうです。いくつか木札が立っていますが、そのオーナーの標柱です。

白米千枚田のオーナー制度について
https://wajima-senmaida.jp/owner/

待つこと一時間、
こんな夕焼けを見ることができました

【アクセス】總持寺祖院、白米千枚田、(レンタカーで移動)
【拝観料】總持寺祖院:500円
【満足度】★★★★★