日本最大級の海城・高松城をたずねてみた

【香川県・高松市 2023.6.26】
豊臣秀吉による四国平定ののち、讃岐一国は生駒親正にあたえられます。
親正は野原庄とよばれていた港にあたる地を高松と名をあらため、ここに海城(水城)を築きます。海城とは海からの海水を外堀、内堀に引き込み、海から直接出入りできるように築城したもので、設計(縄張り)は築城の名手であった黒田如水(もと黒田官兵衛)ともいわれています。
その後、徳川家康の孫であり徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる松平頼重が常陸の国から12万石で転封され、改修していまに残るものとなったそうです。

高松城については、歴史的にはそれほど強く惹かれる人物も関わっておらず、その意味では関心がなかったのですが、現存する海城(水城)を見たことがない上に、日本百名城に選定されているということで所用で岡山県の児島へ行ったついでに回り道をしてみました。
◎ちなみに児島から高松までは電車で30分、高松から大阪へは高速バスで4時間。児島から岡山を経由して新幹線で大阪へ戻るより時間的には長くかかりますが、料金的には安く上がりました。

艮櫓、旭橋、旭門、桜御門

JR高松駅を出ると、すぐ横に高松城址が見える
先ずは南へ回って艮櫓へ、旭橋と旭門より城内へ

艮櫓の艮(うしとら)ですが、そもそも丑寅と書いて北東を指します。ところが現在のこの位置は城全体からいうと南東です。不思議におもって案内を読んだところ、もとは北東(丑寅)の位置にあったものを移築したのだとか。
昭和40年に移築したそうですが、どのような意図があって移動させたのやら。
(このあたりからこの高松城に関しては、胡散臭いというか、歴史の品格を感じられない空虚感を感じはじめました)

城内から艮櫓をみる
桜御門 / 近くだと木の新しさが一目瞭然なので

披雲閣

もとは藩主の住居や政庁があったようです
庭園

この披雲閣のさきに当時のものが現存する月見櫓と水手御門があるのですが、改修中とのことでシートをすっぽりかぶされていました。 (どうやら縁もないのか)写真を撮る気にもならなかったので掲載するものがありません。

二ノ丸から本丸へ

海からつながる内堀
内堀越しに天守台をみる
二の丸への入口
二の丸と本丸をつなぐ鞘橋
鞘橋から天守台をみる

あとから振り返ってみると、この鞘橋あたりは良い雰囲気を保っていました。

本丸、天守台

本丸の三角コーン、天守台の鉄柵、ああ最悪
天守台から水門をみる。水門の先は瀬戸内海
方向をかえて鞘橋と二の丸をみる
最後にこの石垣をみて西口から駅へ戻ります

最終的な感想:いま地元では天守閣を復元するために尽力しているそうですが、かりに見事復元されても個人的には見に来ることはないと思います。

【アクセス】JR高松駅から徒歩10分
【入場料】200円
【満足度】★★★☆☆