そこかしこに信長を感じる岐阜のまちを歩く
【岐阜市内 2022.2.11】
織田信長が出身国の尾張をほぼ全域にわたって平定したのが1559年、そして隣国・美濃を攻略し岐阜へ移城するのが1567年。
その翌年には伊勢、および畿内の山城、摂津、河内、大和などをいっきに平定しているので、美濃とその核になる稲葉山城(のちの岐阜城)を落とすのがいかに困難だったか、言いかえると美濃を手中にしたことで天下獲りが間近になったことを物語っているようです。
今回は「関西」から外に出て、岐阜のまちを歩いてみます。
岐阜駅前
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これが有名な黄金像ですか。
たしかに目立ちはしますが、趣味がよいとは言い難いような – – –
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岐阜駅前からメインストリートを歩てゆくと、左側に円徳寺があります。
ここは信長が稲葉山城(のちの岐阜城)に移城すると、すぐにこの地(当時はもっと広大だった)を寄進し、門前に楽市をひらいたそうです。
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お濃の遺髪塚
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さらにメインストリートをすすみ、長良川手間まできて、そこからしばらく捜してみつかりました。
信長の正室・お濃(濃姫または帰蝶)の墓です。
説明板によると、お濃が本能寺の変で討たれた際、家臣のひとりがその遺髪を切ってこの地まで逃れ埋葬したとあります。
お濃が本能寺の変においてその現場に居合わせた可能性はほぼゼロなのであくまで俗説でしょうが、お濃に関してはその後の記録がなにもないので、信じてみたくもなります。
お濃はいつどこで死去したのか
(結論:不明です)
https://rekan.jp/1389/
伊奈波神社
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伊奈波神社につきました。
美濃地方には3,200の社があるそうで、その中でも3番目に格式のたかい、由緒ある神社だそうです。
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伊奈波神社のパワースポット
https://wondertrip.jp/1124379/#:~:text=
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前方に金華山、その山頂に岐阜城が見えます。
岐阜城について見て歩いた詳細は、
https://yamasan-aruku.com/aruku-17/
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斎藤道三の菩提寺・常在寺です。
訪ねてくる人もいないのか、左側の住居もかねた建物のベルを鳴らして本堂の扉を開けてもらいます。
(拝観料150円)
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この川灯台は時計がついているくらいですから完全にレプリカでしょうが、金華山とともに写すと写真映えするので記念に。
崇福寺
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小走りで崇福寺に着いたのが16時35分。
なんとか間に合ったと思ったですが、冬場は16時半までだそうで。
ここは岐阜における織田家の菩提寺で、信長と嫡男・信忠の墓があるのですが、残念ながら見ることができませんでした。
鷺山城跡
最後の目的地である鷺山城(さぎやまじょう)跡へむかいます。
鷺山城は明智光秀の出身母体でもある土岐氏が築城し、内輪で獲ったりとられたりしながら最終的に美濃のマムシとよばれた斎藤道三の居城となります。
道三の娘・帰蝶は美濃から信長のもとへ嫁いだので、嫁ぎ先では「濃姫」、信長からは「お濃」とよばれ、また鷺山城から嫁いで行ったので「鷺山殿」とも呼ばれていました。
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下に見える平地部の手前側が、道三と息子の義龍が戦い、そして道三が討死した「長良川の戦い」の場です。
実は2代にわたった斎藤道三の国盗り物語
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7562
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さんざん歩いて岐阜駅まで戻ってきました。
【アクセス】JR岐阜駅~JR岐阜駅 36,000歩
【拝観料】常在寺150円、崇福寺200円(今回は入っていません)
【満足度】★★★★☆ (岐阜城もふくめて)