戦いの歴史にも翻弄された吉野山

【奈良県・吉野郡吉野町 2023.11.19】
吉野山には3万本といわれる桜が植えられ、毎年春には全山が桜色に染まります。
日本人の、おそらく99%かそれ以上の人達は、「吉野山といえば、桜」のイメージではないでしょうか。
もちろん、吉野山といえば、まずは桜です。それだけでもかまいません。しかしちょっとばかり吉野山の歴史に目をむけてみると、吉野山観光が2倍も3倍も楽しくなる、かもしれません。

そもそもなぜ吉野山といえば桜なのか。奈良時代のまえ白鳳時代のころ修行道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が一千日間の山ごもり修行のすえ、金剛蔵王大権現を感得し、その姿を山桜の木に刻んで祀ったことに由来するそうで、その後は修験者がご神木として桜を植えはじめたとのこと。もとは観賞用ではありません。

おなじころ天智天皇のあとには、次の天皇候補が2人いました。天智天皇の息子・大友皇子と、天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)。天智天皇本人が息子に肩入れしていることを知り身の危険を感じた大海人皇子は、剃髪し出家して吉野山にのぼります。しかし冬の吉野山で山中に桜が咲く夢を見たところ、それこそ王になる吉兆と告げられ、挙兵することを決意します。これが壬申の乱のはじまりであり、大友皇子に勝利した大海人皇子は即位して天武天皇となります。

時代がくだって平安時代末期には、源頼朝と不仲になった義経が、追討から逃れてこの吉野山にのぼり、しばらくの間(数日間?)かくまわれていた史実もあります。その時にはわずかな伴回りしかおらず、愛妾の静御前が捕縛されその後処刑、義経は身一つで奥羽まで逃れますがその後自刃しています。
(ただし、この話には ???があります。吉野山は修験道の山であり、高野山や比叡山と同じように女人禁制の山でした。その女人禁制の山に愛妾をつれてのぼれるはずがないし、かくまってもらえるはずがありません)

さらに鎌倉時代の末期には、討幕をこころみた後醍醐天皇が隠岐に流されるものの、息子の護良親王(もりよししんのう)や楠木正成(くすのきまさしげ)の援助で隠岐を脱出、帰京して幕府を排し天皇中心の建武の新政をはじめます。ところが足利尊氏の離反で失権、この吉野山にあがりここを拠点として北朝(京都)にたいして南朝を興します。これが南北朝時代のはじまりです。

後醍醐天皇が隠岐に配流されていた時期に、息子の護良親王はここ吉野山の金峰山城で、金剛山の千早城にこもる楠木正成と呼応して討幕のため挙兵しています。幕府軍数万にたいして自軍は数千、それでも護良親王は果敢に戦いますが、内通するものがおりやがて攻め落されます。

吉野山をあるく

吉野山観光協会・公式サイトの地図から一部抜粋

当日は吉野駅から、地図でみると下にある道をすすみ上の道をもどってきました。
ブログでも山歩き編ではその順で書いていますが、ここでは分かりやすくするため時間を逆転させ、地図で見た上の道をすすみ下の道をもどる形にします。

なお山歩きか紅葉狩りが主目的なら下の道から、歴史探訪か観桜が目的なら上の道から歩きはじめるのがオススメです。
吉野山の山歩きと紅葉狩りを主としたブログに関心のある方は、下記アドレスよりアクセスしてご覧ください。
https://yamasan-aruku.com/aruku-201/

銅鳥居

吉野駅から九十九折の急坂をのぼり、さらに真直ぐな坂道をのぼりつづけると、銅でつくられた鳥居があらわれます。
これは発心門とよばれ、ここから修行の聖山である山上ヶ岳(大峯山)までの間に、発心、修行、等覚、妙覚の四門があり、そのスタート地点ということです。

金峰山寺

金峰山寺仁王門は残念ながら見られません
金峰山寺蔵王堂へ
蔵王堂

金峯山寺(きんぷせんじ)は、金峯山修験本宗(俗にいう修験道)の総本山で、蔵王堂がその本堂にあたります。
堂内には、蔵王権現立像3躯が安置されており、これは秘仏のため通常は拝顔することができませんが、いまは秋の特別御開帳期間にあたり、今回はじめて実物を見ることができました。

素直に感銘しましたが、特別拝観料1600円は率直に高いと思います。

見どころは蔵王堂のみ
南朝妙法殿ほかはコンクリ造りのため遠望しただけ

吉水神社

書院

吉水神社は、もとは役行者が創建した吉水院とよばれる僧院でした。
源義経はここに隠れていたと伝わっており、また後醍醐天皇はここを南朝の皇居としていました。

この書院には入れます。
歴史ファンであれば、拝観料600円は高くないと思います。

北闕門(ほっけつもん)/ この門前で邪気払いをした

さらに時代がくだると、豊臣秀吉が吉野山へ花見にくり出した際には、この場を自身の本陣としたそうです。

北闕門から金峯山寺・蔵王堂がみえる
書院に飾られていた、秀吉の吉野山観桜図(コピー)

諸寺参詣

喜蔵院 /金峰山寺の塔頭であり別格本山
桜本坊 / 桜の吉夢への御礼に天武天皇が建立
竹林院 / 聖徳太子建立(と伝わる)
小屋が建つ丘は、南朝時代にのろし台として使われた

吉野水分(よしのみくまり)神社

花矢倉手前から中千本一帯を見おろす
吉野水分神社は水の分配をつかさどる神を祀り、
また子授け、安産、子守りの「子守宮」
秀吉が子授け祈願し、その子秀頼を授かったことに由来

金峰神社から奥千本

金峰神社は吉野山の奥千本に建ち、山の地主神を祀る
金峰神社から奥千本に向かう
西行庵 / 西行はこの庵でしばらく暮らした

元は武士だった西行は、俗世を捨ててこの吉野山にのぼり、修験道をきわめます。
その後全国行脚の途上でこの地に庵をかまえ2年余りひっそりと暮らします。
桜を愛した西行が、桜の歌を多数のこしたことで吉野の桜は全国的に有名になったともいえます。

「雲にまがふ 花の下にて ながむれば おぼろに月は 見ゆるなりける」

如意輪寺

如意輪寺へつづく石畳の道 / 左の裸木はすべて桜
イチョウの大木 / 下後方は桜の中千本
如意輪寺・山門
山門にさがる菊花の玉 / この下をあるくと幸せになる
本堂 / 如意輪寺は後醍醐天皇の勅願により建立
本堂の裏、坂を上がると後醍醐天皇の御陵がある

このブログの中で紹介した社寺をすべて回るのは、社寺巡りというより山歩きになります。登山靴は必要ないですが、足元のしっかりしたウォーキングシューズを履いて、自然と歴史をぞんぶんにお楽しみください。

吉野山の山歩きと紅葉狩りを主としたブログに関心のある方は、下記アドレスからアクセスしてご覧ください。
https://yamasan-aruku.com/aruku-201/

【アクセス】近鉄吉野駅~金峰山寺~吉水神社~桜本坊~吉野水分神社~金峰神社~西行庵~如意輪寺~後醍醐天皇御陵~吉野駅、24000歩、5時間20分
【料金】金峰山寺・蔵王堂特別拝観料:1600円、吉水神社・書院拝観料:600円
【満足度】★★★★☆