応仁の乱ゆかりの地を歩く VOL.2

【京都市内 2023.12.6】
2週間前に、上御霊神社と西陣を中心に応仁の乱ゆかりの地を歩きましたが、今日はその続きということで、以下の予定で歩いてみます。
1)華開院(日野富子の御墓がある、ただし未公開)
2)等持院(足利家の菩提寺、開祖は足利尊氏)
3)龍安寺(東軍の首領であった細川勝元により建立)
4)船岡山城址(西軍の山名氏が急きょ築きたてこもった激戦地のひとつ)
5)大報恩寺(応仁の乱の戦火からのがれ洛中で唯一のこった仏閣、堂内に刀槍による傷跡がのこる)

なお歩いているうちに、寄り道することもあるかもしれませんが、それもまた楽しみのひとつと言うことで。

華開院から等持院

JR円町駅から徒歩5分ほどのところに華開院(けかいいん)はあります。御深草天皇の勅願で建立された皇室ゆかりの寺で、公家にまじって足利将軍家の、たとえば日野富子の墓もあるそうです。
皇室ゆかりの寺となると非公開のところが間々あるのですが、ここも案の定「特別公開日なし」の非公開。
それがわかっていたゆえか、門前に立って入れないことを確認しただけで納得してしまい、写真を撮るのをすっかり忘れていました。ゆえに写真はありません。

等持院 / 後ろは衣笠山と、立命館大学の校舎が少々

華開院から北西へぶらぶら歩いて30分足らずで等持院につきます。
ここは足利尊氏が発起し、夢窓疎石が開山した、臨済宗天龍寺派の禅寺です。

昔はもっと広大な寺院だったそうですが、財政難から寺領地を切り売りし、結果として民家や大学が隣接することになったとか。

インパクト抜群の達磨図 / 天龍寺の元管長・関牧翁師作
方丈と前庭 / 突き当りの霊光殿に足利歴代将軍の像
夢窓疎石作の庭園、のちに造られた茶室
茶室から方丈を眺める
足利尊氏の墓

明治政府は天皇を敬う尊王思想をもとに、江戸幕府を倒してはじまりました。
そこからかつての歴史を見直す風潮がうまれ、建武の中興をかかげて南朝を興した後醍醐天皇を正統とし、北朝を支持するのは見せかけでみずから将軍として君臨した足利尊氏は国賊のごとく忌み嫌われました。
そのため官民両者からの支援もなく、この等持院は衰退したとも言われていますが、どうなのでしょうか。
たしかに尊氏の墓は、室町幕府初代将軍のものとしては、貧相にも思えます。これはかつてあった立派なものが壊され、立て直したものかもしれません。

龍安寺

龍安寺・山門

等持院から立命館大学の校舎の前や横をぬけるように歩くと、龍安寺に着きます。
龍安寺(りょうあんじ)は、先にも書いたように細川勝元が公家の山荘を譲りうけて寺院として建立したもの、臨済宗妙心寺派に属する禅寺です。

ところで龍安寺といえば、方丈の前庭にあたる石庭があまりに有名ですので、まずはそこに向かいます。
(方丈:ほうじょうはもともと住職、僧が住まう建物。いまの座禅会では、この方丈の板敷きの縁側で庭に向かって座禅を組むのが一般的です)

庫裡から入ります
方丈広間の襖絵「雲竜図」/ 細川護煕筆(元総理大臣のあの人)
石庭 / まず感じたのは小さい、そして見学者が多い

この庭は極端なまでに象徴化されており、作庭の意図は謎に包まれているといいます。
むかしエリザベス女王がこの庭を訪れ、忙しいスケジュールの中でしばし見惚れていたそうです。そして記者からの質問に石庭に宇宙を見ていたと答えたことがニュースでながれ、それからこの石庭には世界中から観光客が訪れるようになったそうです。

いまも多くの観光客が黙然と石庭に対面し、心を空にして- – – それにしては人が多すぎます。その多すぎる見物客にたいして庭が小さすぎます。
悠久であれ永劫であれ、そういうものを求める環境ではない、と思います。
女王が見学に来たときには、SPくらいしか近くにはいなかったはずで、たしかに宇宙が見えたかもしれませんが。

龍安寺の石庭を抽象的ではなく、作庭技術の視点から解説した、ちょっと面白いサイト
https://garden-guide.jp/spot.php?i=ryuanji

石庭のある方丈を出て、境内をのんびり歩きました。やや時期を逃したとはいえ、ここの紅葉も見事でした。
解説抜きで、画像を並べます。

平野神社

船岡山城跡へむかう途中、平野神社に寄りました
季節はずれ!の彼岸花が咲いていました
本殿(左)、拝殿(手前)

ここ平野神社で見ておきたかったのは、本殿の造営様式です。
いまひとつ見づらいのですが、ここでは4神を祀っているため4殿あるのがわかります。
ところが屋根をよく見ると、左の第一と第二殿、右の第三と第四殿はそれぞれ連結しており4殿2棟になっています。
この様式はここにしか見られないもので、殿そのものの様式が春日造りのため「比翼春日造り」、あるいはこの神社の名から「平野造り」と呼ばれています。

船岡山城址

住宅街の背後に、ひょっこり山というか丘陵が
船岡山の西側は公園に、東側は建勲神社に
公園の一角に、応仁の乱で戦場になったと
正規の道から外れてみました。すると空堀のような
これは堀の跡では? / 案内板はまったくない
これは切岸の跡?
となると、ここは曲輪の跡?/ 案内板はなし
ここが山頂 / これは後の時代に整備したものか

大報恩寺(千本釈迦堂)

大報恩寺というより、千本釈迦堂の方が通りがよい

大報恩寺は鎌倉時代につくられた真言宗の寺ですが、なによりもその価値を高めているのは、応仁の乱のさいに、洛中では唯一戦火から奇跡的に逃れて焼失することなく、結果として洛中一古い寺院として残っていることです。

本堂
本堂内柱にのこる、応仁の乱の戦のさいの傷跡

白峯神宮

白峯神宮は和歌と蹴鞠の宗家・飛鳥井家の邸宅跡に
建立されたことから、蹴鞠の守護神とも崇められ
いまでは球技の神様として参詣されています

大報恩寺から京阪出町柳駅まであるく途中、白峯神宮に立ち寄ってみました。
このあと京都御所の北縁をあるき、賀茂川をわたるとまもなく出町柳駅です。

【アクセス】JR円町駅~華開院~等持院~龍安寺~平野神社~船岡山城址~大報恩寺(千本釈迦堂)~白峯神宮~京阪出町柳駅 / 23000歩、6時間50分
【拝観料】等持院:500円、龍安寺:600円、大報恩寺:600円
【満足度】★★★★☆