日本200名城のひとつ田丸城を知っていますか
【三重県・玉城町 2024.3.21】
「日本100名城」はよく知られていますが、そのあと「続日本名100城」も選定されています。これらを合わせると、「日本200名城」ということになるのですが、そもそも日本全国には2万5千ほどの城があったといわれているので、そのうちの200に選ばれたのであればずいぶん名誉なことではあります。
もっともその200のなかには、単独で世界遺産に登録されるほど著名な姫路城もあれば、天空の城として有名になった竹田城、どうする家康ゆかりの城として脚光をあびた浜松城や岡崎城、あるいは県庁所在地の地名がそのまま城名になっているためそこそこ知られている福井城や津城など、その知名度にもずいぶんな差があります。
城の人気ランキングというのがありますが、あまりに影がうすく地元の人以外にはほとんど知られていないような城もこの200のなかには相当数あるわけで、その意味では「知名度を無視した人気ランキング」とすべきでしょう。
ところで田丸城、ご存じですか?
田丸城跡へ
JR田丸駅から徒歩10分ほどで田丸城に着きますが、まず目にはいってきたこの光景を見たときには、(わざわざ訪ねてきて)失敗した、と思いました。
田丸城の存在は織田信長の次男・信雄について調べている過程で知りました。
ネットで調べてみて興味は覚えたのですが、わざわざ見に行くほどのものなのかと迷いはあり、さらに検索したところ石垣や堀など興味深い画像を目にしました。
それでもこの城のみ単独で見に行くことには躊躇があり、近隣にまだ見たことのない日本100名城のひとつ松坂城があることからセットで訪ねることにしました。
田丸城
田丸城は南北朝が争っていた時代に、南朝側の北畠氏が伊勢への道を抑えるため砦をつくったのが始まりと伝えられています。
時はうつり戦国時代、織田信長は伊勢侵攻をすすめるなか硬軟とりまぜる戦法で、相手を完全包囲したうえで和睦をもちだし、次男の信雄を養嗣子として北畠家におくります。
養嗣子とは家督をつぐことを前提にした養子のことで、やがて信雄は北畠家の当主になるとさっそく田丸城に居をうつし、水堀と石垣にまもられた三層の天守を持つ城につくりかえます。
田丸城は完成して数年ののち、放火(?)により天守が焼失したため信雄は縁起がわるいと考えたのかさっそく松ヶ島城へ移ってしまいます。
これより先に訪ねた松坂城のところで書きましたが、さらに時がながれ秀吉の命により松坂に入封した蒲生氏郷がまず入ったのが、その松ヶ島城であり、そこから松坂城を築いて移ったという順になります。
なお信雄は北畠家に居た当時はいうまでもなく北畠姓をなのり、下の名も具豊(ともよし) → 信意(のぶおき) → 信雄(のぶかつ)と変えています。
田丸城。ほとんど無名ともいえる城で、松坂城見物のついで、くらいの気持ちで寄ったのですが、むしろこちらがメインになりました。
見ごたえあります。
【アクセス】JR田丸駅から徒歩10分
【満足度】★★★★☆