伊勢神宮-外宮は左側通行、内宮は右側通行の不思議
【三重県・伊勢市 2024.4.10】
伊勢神宮の存在を知らない方はほとんどいないでしょう。
神社の中でも皇室に関係した神様を祀るところを神宮と称し、そもそも〇〇神宮は〇〇神社よりも格上として扱われます。伊勢神宮はその格上の神宮のなかでもさらに最上位にあり、すなわち日本中でもっとも尊いとされる神社です。
伊勢神宮が内宮(ないくう)と外宮(げくう)に分かれていることを知らない方は結構いるかもしれません。
祀られている神様も、創建された歴史もまったく違います。
内宮は正式には皇大神宮とよばれ、祀られているのは天照大御神、太陽を象徴する神で皇室の祖神とされています。およそ2000年前にその基となるものが建てられたと伝わっています。
その500年後に外宮、正式には豊受大神宮が建てられますが、祀られているのは豊受大御神、天照大御神の食事をつかさどる神様であり、現在は衣食住、さらには産業の守り神として崇敬されています。
一般には内宮であれ外宮であれ、どちらか一方だけを参るのは「片参り」といって良くない(十分ではない)とされていますが、祀られている神様のことを考えると外宮だけ参ったのでは伊勢神宮にまいったことには全然ならないといえます。(だから内宮だけなら良いというのではありません)
それでは内宮と外宮はどういる順番で参るべきかというと、これは重要なものほど最後にの常で、外宮から内宮への順であることは容易にわかります。
ところが外宮に参り、つぎに内宮へとむかい鳥居の前にたつと思わぬ指示に戸惑います。
外宮では参道は「左側通行」と指示されています。ところが内宮では「右側通行」の指示があります。このことをあらかじめ知っている方はほとんどいないのではないでしょうか。
外宮・豊受大神宮
神社の参道は。中央を正中といい神様が通るところとされているため参詣者は左右どちらかに避けて歩くのがマナーです。
さらに社殿に向かって右側が上位、左側が下位となるため、いまから社殿にまいる人は下位にあたる左側をあるき、参ったあとの退出する人は上位の右側を歩くのがより正しいマナーです。
古殿地は伊勢神宮に独特のものです。
伊勢神宮の正宮は20年ごとに建て替えられます(これを弐年遷宮といいます)が、旧いものをこわした更地に新しいものを建て直していたのでは、本宮がない空白期間ができてしまいます。
そのため隣接した場所にあらたに建て、20年後には前の場所に戻りを繰り返し遷宮をつづけます。
ですから前に本宮が建っていた場所を古殿地と称し、同時につぎの遷宮ではふたたび本宮が建てられる御敷地でもあります。
内宮へ
外宮から内宮へは4km弱です。バスもあるようですが、大した距離ではないので歩きます。
ところでこの区間ですが、食事するところというと、このさきに小さく赤い看板がみえる「すき屋」のみでした。
内宮・皇大神宮
さて外宮は左側通行、内宮は右側通行の不思議について考えてみます。
神宮もふくめた神社の参道は、先にも書いたように中央をさけて端をあるくのが基本です。
「さらに丁寧に」ふるまうなら、左側をあるいて参詣し右側を歩いて退出します。しかしそれに優先されることがあります。神社あるいは神宮が左右どちらかの通行を促していたらそれに従うことです。
内宮では右側通行を促しているのですからなんらかの理由があるのでしょう。
ひとつ気づいたことがあります。外宮では表参道火除橋の手前に「左側通行」の立札がひとうありましたが、内宮では宇治橋の手前と渡り終えたところ二ヶ所に「右側通行」の立札がありました。すなわち内宮では右側通行をさらに厳守すべしということでしょう。
さて神域にはいって本宮に向かいますが、案内図を参照してください。
当然のことですが、本宮は上(かみ)にあります。すなわちかたわらの五十鈴川でいえば上流にむかって歩き、途中で左折しつづいて島路川の上流にむかって歩きます。
この本宮と参道の配置は意図したものと考えるべきでしょう。すると参道途中にある手水舎(ちょうずや)と御手洗場(みたらしば)ですが、必然的に参道の進行方向にむかって五十鈴川のある右側につくられることになります。
もし神域に入り左側をあるいて進むと、手水舎あるいは御手洗場で身を清めるためには、けがれた身体のまま参道の中央(正中)を横切らねばなりません。これを避けるために内宮は右側通行になったのではないでしょうか。
(あくまで個人的な推理です)
【アクセス】JR伊勢市駅~外宮・豊受大神宮~月夜見宮~猿田彦神社~内宮・皇大神宮~月讀宮~近鉄五十鈴川駅 / 18000歩、4h00m
【入場料など】入場料、参拝料に類するものは要りませんが、お賽銭用の小銭はたくさん用意しておくことをお勧めします。
【満足度】★★★★☆