埼玉古墳群は関西の古墳群とは一味ちがう
【埼玉県・行田市 2024.5.25】
埼玉古墳群は「さきたま古墳群」と読んで、埼玉県(さいたまけん)の北部・行田市の埼玉(さきたま)と呼ばれる地にあります。ややこしい話ですが、そもそも埼玉(さきたま)があって、この地名が埼玉県の呼び名の由来になったようです。
関西で古墳というと、百舌鳥古墳群がもっとも有名で、そのなかでも代表格は仁徳天皇陵でしょうか。ところで仁徳天皇陵はべつに「大山古墳」の呼称があります。
古墳とは3~7世紀の古墳時代につくられた墳丘をもつ墓のことをさします。そのなかで天皇および皇族を埋葬しているものを陵墓と称し、さらに天皇、皇后については〇〇陵、皇子、皇女については〇〇墓と区別します。いまではそれらはすべて宮内庁で管理されています。
埼玉古墳群がつくられたのは5~7世紀とされており、その時期に皇族がこの地に居たはずはないのであきらかにすべての古墳はこの地の豪族など有力者のものと断定できます。ところが現在のこる大型古墳9基のうち1基のみが円墳で、のこりの8基は前方後円墳です。
古墳を形状で区別すると。前方後円墳のほかに円墳、方墳、双円墳(円墳2個ならび)、双方墳(方墳2個ならび)ほかに前方後円墳の変形で前方後方墳、前方後円墳の簡易形のような帆立貝型古墳などがありますが、なんといっても前方後円墳が「古墳の華」であり、絶大な力をもった人を埋葬するために造られていました。
さきたま古墳群
古墳群を回りはじめるまえに「さきたま史跡の博物館」に入りました。
入館料は200円、予備知識を得るためには安い出費だと思います。
前方後円墳については、後円部に石室がつくられ埋葬者の遺体や遺品が埋葬されています。
それに対する前方部の存在理由についてはいろいろ説がありますが、この前方部で祭祀を執り行っていたのではないかとする説が有力です。
それにしてもさきたま古墳群のなかでもっとも大きな二子山古墳は全長132mとずいぶん大きなものです。よほど力をもった豪族がいたということなのでしょうか。
それにもまして気になるのは、8基ある前方後円墳のすべてが同じ方向(ほぼ南西)に前方部をむけて並んでいることです。古墳とはそもそもその埋葬者の生前の力を誇示するためにより大きくつくったものですが、どの方向に前方部を向けるかは決まりはなく、人々があつまる場所からよりよく見えるように、たとえば船がつく海岸線、あるいは人がたくさん通る街道などにむかって前方部を並べていました。
ということは、ここから南西部には当時交通の要衝があったのか、従えるべき土豪衆の集落が固まっていたのか。いまとなってはわかりませんが、いろいろ勝手に(!)想像してみるのも歴史探訪の楽しさです。
将軍山古墳
稲荷山古墳
丸墓山古墳
さきたま古墳群がつくられた詳細は結局のところよくわかりませんでしたが、関西の百舌鳥古墳群(大阪)、飛鳥古墳群(奈良)とはまた一味ちがう古墳群が見られたことで十分楽しめました。とくに古墳に関心のある方にとっては、関西の古墳だけ見て終わりでは片手落ちです。ぜひ足を運んでみてください。
なお私は城を見てまわるのが主目的のため訪ねていませんが、群馬県・高崎市にある保渡田古墳群とセットにすればより充実するはずです。
【アクセス】秩父鉄道・行田市駅~忍城址~さきたま古墳群公園~行田市駅 21000歩、4h50m
【入場料】さきたま史跡博物館+将軍山古墳展示館:入館料200円
【満足度】★★★★☆