高野山、今日は三谷坂をのぼって丹生神社をまわる
【和歌山県・かつらぎ町~九度山町 2024.6.26】
以前にも書きましたが、そもそも高野山という名の単独の山は存在せず、空海上人(弘法大師)が信仰の地としてひらいた一帯を高野山とよぶゆえに、「高野山にのぼる」というのは、登頂するということではなく、高野山を歩いて回ること全般を指します。
過去に高野山にのぼったことは何度もありますが、つねに金剛峯寺などの寺院がある高野町までは上がっていました。今回はすこし趣向をかえてかつらぎ町の丹生酒殿神社から三谷坂をのぼり丹生都比売神社に参詣、そこから高野山町石道に合流して登るのではなく九度山方向へくだり、慈尊院と丹生官省符神社をたずねてみます。
通常であればこれは〇〇山の麓から中腹を歩いたということになるのでしょうが、高野山の場合は上に書いた事情で高野山にのぼったということになります。
丹生酒殿神社
JR妙寺駅から丹生酒殿神社は直線距離では近いのですが、紀ノ川をわたるための三谷橋が東寄りにあるためぐるっと迂回しなければなりません。
これから登る山を眺めながらのんびり30分ほど歩くと神社に着きます。
丹生酒殿神社ですが、丹生都比売(にうつひめ)大神がこの地に降臨したさいに酒を献じたことからその名がついたようです。
なお丹生都比売大神については天照大神の妹神であるとか、酒殿であることからここが神酒の起源だとか書いたものもありますが、神話の世界のことですから真偽のほどはよくわかりません。
なお丹生都比売大神が祀られているのがこれから参る丹生都比売神社なのですが、かつては酒殿神社が山中に鎮座する都比売神社にたいして「里社」のような存在で、神主も通常はこの里社で起居していたようです。
三谷坂
丹生都比売神社
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は空海上人が金剛峯寺を建立するさいに神領を寄進し、また空海上人が白黒二匹の犬に導かれて高野山にいたったとの伝説から、犬をつれた神が高野御子大神として祀られ、犬が御神犬とされています。
ところで丹生とは丹を産する土地を意味し、丹は硫化水銀を主成分とした辰砂(しんしゃ)のことで赤色染料の素となる鉱物です。
そして丹色(赤色)が魔除けになるとの考えから、むかし神社は鳥居や社を丹で赤く塗られていました。
小都知ノ峯
ふたつ鳥居で高野山町石道に合流しますが、なんとまあ上がってゆく道は(路肩崩れ?)通行止めになっていました。今日はここから下るので問題ないのですが、この道が通れないのは高野山ファンには痛手です。
ところで昔は丹生酒殿神社から丹生都比売神社に参拝し、ここふたつ鳥居で町石道に合流して金剛峯寺へと上がってゆくのが人気の参拝コースだったようです。
途中で町石道をそれて小都知ノ峯に登ってみましたが、残念ながら眺望もなく、これは無駄足でした。
下山する
慈尊院、丹生官省符神社
空海上人は高野山参詣のための正面入口にあたるこの地に高野山の庶務をおこなう政所、また参詣者のための宿泊所も兼ねて寺を建立します。多宝塔があるのでもともと大日如来をまつる真言宗の寺だったのでしょうか。
空海上人の故郷は讃岐の国ですが、そこから実母が訪ねてきます。本心としては息子(空海、本名は佐伯真魚)と一緒に暮らしたかったのでしょうが、高野山は女人禁制のため山上へは上がることができません。(もっとも男であっても高齢で上がれなかったと思われますが)。そこで母公はこの寺で起居することになり、空海上人はたいへん母親想いであったため毎月9回のペースで山を下りここまで母公に会いに来ていたということで、それゆえこのあたりは九度山と呼ばれるのだとか。(あくまで伝承です)
その母公が亡くなり、篤く崇拝していた弥勒菩薩像と母を弔うために弥勒堂をあらたに建立します。なぜ慈尊院と呼ばれるようになったかというと、慈尊とは弥勒の別名だそうです。
慈尊院に隣接するように丹生官省符神社がありますが、これは神仏習合の時代ゆえ寺を守るための神社、すなわち慈尊院を守るために丹生官省符神社が建立されたのでしょう。
【アクセス】JR妙寺駅~丹生酒殿神社~(三谷坂)~丹生都比売神社~ふたつ鳥居~(高野山町石道)~小都知ノ峯~(高野山町石道)~慈尊院・丹生官省符神社~JR九度山駅 / 26000歩、5時間40分
【拝観料】すべて無料
【満足度】★★★★☆