佐柿国吉城-敦賀から若狭への侵攻はこの城が守った

【福井県・美浜町 2024.8.9】
室町時代から越前・敦賀を領する朝倉氏が若狭へ侵攻しようとするたびに、その国境で断固としてその進軍をはばむ城がありました。それがいまの福井県美浜町の東部にある佐柿国吉城です。城のある周辺の地名が佐柿で、城のもとをつくったのが〇〇国吉なる人物だったため、佐柿城とも国吉城とも呼ばれてきました。

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佐柿国吉城・居館跡

登城口近くにあった案内板より抜粋
当時の屋敷風につくられた歴史資料館

若狭の国の守護・武田氏の重臣・粟屋勝久が本格的に築城し、それこそ毎年のように侵攻する朝倉氏を退けたというのですから、ひとえに勝久が城づくりにも戦にも秀でていたということなのでしょう。

発掘調査の結果、周辺から石垣のものと思われる礫が大量に出土し、このあたりに居館があったことがわかりました。
いまある石垣は組み直したものです。

家臣の住居があったと思われる曲輪群
下からみても上からみてもずいぶん大規模です

山上へ

山上へは険しい坂を登ります
山上の縄張図
二ノ丸曲輪
土塁
くい違い虎口
本丸へ向かう途中に見られる曲輪側面の急斜面

本丸

くずれた石垣の礫が散乱する?それとも投石用?
下界を見下ろす
本丸への虎口跡
曲輪数が多いぶん本丸は小さめ
本丸からは若狭湾(日本海)が見える
本丸の先にある堀切
堀切に下りると、曲輪がつづいていた

連郭曲輪群へ

本丸を下りて、連郭曲輪群へ
石垣もつかった堀切跡 / 下半分は埋もれているとか
たしかに連郭式に曲輪が連なっている
これは土塁がくずれた虎口跡
曲輪はどこまでも続くため、ここから引き返す
石組か石垣があったのか礫が散在する

【アクセス】レンタカーで回る
【入館料】歴史資料館:100円
【満足度】★★★★☆