日露戦争といえば「坂の上の雲」ということで司馬遼太郎記念館をたずねる

【大阪府・東大阪市 2024.8.21】
日露戦争に関して調べていたところ、当然のように司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を読み直すことになりました。この「坂の上の雲」は司馬氏の最高傑作のひとつとされている作品で、たしかに主人公の秋山兄弟などは実に生き生きと描かれているのですが、脇を固めるはずの乃木将軍はというとまるで能無しであるかのような。
「坂の上の雲」における乃木将軍の描かれ方があまりにも酷いということで以前から物議をかもしていたようですが、とくに21世紀になって乃木将軍の名誉を回復するというより司馬氏のことを勉強不足と逆批判することを目的としたような書籍が複数出版されているようです。

司馬氏はひろい意味での天才を描くのが好きなのでしょう。坂本竜馬「竜馬がゆく」、千葉周作「北斗の人」、吉田松陰「世に棲む日々」、戦国の武将を取り上げたものでも北条早雲「箱根の坂」、斎藤道三「国盗り物語・前編」、秀吉「新史 太閤記」など。
「坂の上の雲」においては、天才は秋山兄弟であり児玉大将ということになるのでしょうが、では乃木将軍はかれら天才を際立たせるためにまるで道化のように登場させているのかというとそうでもない。
なにやら司馬氏にとっては乃木将軍を心情的に、あるいは生理的に受け入れがたいという一種嫌悪感のようなものをもちながら描いているかのように思えるのです。
なぜ司馬氏は、きっと乃木将軍についてそれほどの無能ではないと理解していながら(この部分は推理です)、なおも徹底して愚物ときめつけたのか。

そんなモヤモヤを解消する手がかりでもないかと思い、自宅からそれほど遠くないにもかかわらず今まで訪れる機会のなかった、東大阪市にある司馬遼太郎記念館をたずねてみました。

小阪はえらい下町

近鉄河内小阪駅からつづく下町っぽい商店街へ

司馬遼太郎記念館へゆくには近鉄河内小阪駅で降りますが、小阪はえらい下町です。
(ここでつかう関西弁の「えらい」は、偉いではなく「ずいぶんな」といった意味合いです)

屋根の上にあるのが小阪城

グーグルマップを見ながら歩いていたところ、途中に「小阪城」とあるので寄ってみることにしました。
現場についてもそれらしきものはなく、ふと見上げたところ民家の屋根の上に??!!
それでなくても暑くてうんざりしているのに、コケそうになりました。
まったく大阪人のやりそうなことです、きっと「小阪城」の名も「大阪城(大坂城)」に対するシャレでしょう。

小阪神社の参道(?)を抜ける

こんなところに司馬遼太郎記念館なんてあるのか?と不安になるかもしれませんが、それがあるんです! 
それが大阪です。

司馬遼太郎記念館

司馬氏の宅地の一角に立てられた記念館
真正面から
ぐるっと回って入口へ

先に書いておきますと、ここは司馬遼太郎の信奉者というくらいの熱烈ファンか、なにかの目的あって訪ねた人でなければ、すくなくとも大満足できる人はちょっといないと思います。

見るものといえば、膨大な蔵書(の一部)だけ。ほかは繰りかえし流れる映像を観るくらい。しかも館内すべて撮影禁止。
入り口に「カフェOPEN スペシャルコーヒー400円」と書いてあるので行ってみたところ、コーヒーマシーンが1台置いてあった。「小阪城」につづくショックでふたたびコケそうになりました。

庭は司馬氏の好んだ雑木林をイメージしたもの
実際に使っていた書斎 / 住宅でみられるのはここだけ
直筆の花供養碑
庭の木立からのぞく記念館の建物
記念館入口へ / 建物は安藤忠雄氏の作

この記念館をデザインした安藤忠雄氏も、司馬氏と同じく大阪市の出身です。
司馬氏が産経新聞の記者から作家になったのに対して安藤氏の経歴は実にユニークです。

安藤氏は高校を卒業するとプロボクサーを目指します。実家が貧しかったのか、そのファイトマネーに惹かれたのが主たる理由らしくプロテストに合格し6回戦ボーイくらいまで上がったところで、所属ジムに練習に来ていたファイティング原田(のちの世界チャンピオン)のスパーリングを見て才能の差を痛感し引退。
その後は大学にはいかず(貧しくて行けなかったのでしょう)独学で建築の猛勉強をして建築技師の資格を取ったとか。

さて司馬遼太郎記念館をたずねてみてなにか収穫はあったかというと、どうやらヒントになるものを得たように思います。
暑くてかなわないのでもう少し涼んでいこうと館内で映像をぼんやり見ていたのですが、司馬氏本人がなぜ物書き、それも歴史をあつかう文筆家になったかを語るくだりがありました。
司馬氏は大阪外大に在学中に学徒出陣で満洲へ出兵、帰国後栃木県で終戦を迎え急死に一生を得ます。その経験のうえで「いったいこの戦争は何だったんだろうか」と考えたとき、「日本はなんという愚かな戦争をしたのか、日本はどうしてこんな愚かな国になり果ててしまったのか」という思いにとりつかれ、そこから歴史をたどってみることにした、ということです。それゆえ終戦を迎えたのが22歳のときだったそうで、自分が書いてきた作品はいうなれば22歳のときの自分に対する手紙(報告)のようなものだ、というのです。

司馬氏が大戦を愚かなこと空しいものと感じたこと、その大戦が国粋主義と尊王思想でぬりかためられさらに粉飾され国民をあざむき駆りたてた結果が悲惨な敗北にいたったこと、さらにさかのぼれば大日本帝国が「英雄」をつくりだしそれを神格化することで国民を感化し鼓舞したこと、ここに日本はなぜこんな愚かな国になってしまったのかの真実があると考えられないでしょうか。そしてその神格化された「英雄」のひとりが乃木希典すなわち乃木将軍であったとすれば- – - すこしモヤモヤが晴れてきました。

この後のことは、後日まとめてみます。

【アクセス】近鉄河内小阪駅から徒歩10分
【入館料】800円
【満足度】★★★☆☆