津城にて藤堂高虎が築いた名城のなごりを偲ぶ
【三重県・津市 2024.9.9】
津とはかつて港(あるいは湊)を意味する語でした。
それゆえ津市とは港町を意味するわけで地名としてなんとも舌足らずですが、歴史をたどれば安濃津(あのつ)、すなわち安濃の港とよばれていました。それがいつのまにか津に短縮されたわけで、ここが最初に「津」を名乗ったゆえに大津や今津(ともに滋賀県)などは先を越されたと悔しがった(?)かもしれません。
そもそも伊勢湾に面する重要な港であり室町時代には小規模ながら城があったようですが、戦国時代に織田信長が侵攻して弟の信包(のぶかね)がこの地に入り大規模な城に改修します。
その後秀吉の時代には、富田某が移封されて安濃城(津城)を居城としますが、その富田某は関ヶ原の役においては東軍(徳川方)に与します。
関ヶ原の役というと、いまの滋賀県関ケ原での合戦ばかりがクローズアップされますが、実際には全国各地で戦の火は上がっていました。
西軍は関ヶ原での合戦にさきだち豊臣秀頼のいる大坂城から出陣し、近畿内で東軍につく武将たちの城を攻略してゆきます。
このとき大津城(滋賀県大津市)と田辺城(京都府舞鶴市)はすくない守兵でよく持ちこたえ結果として両城を攻める各1万5千、合計3万におよぶ西軍の軍勢は関ケ原での合戦に間に合わず、これが西軍が敗れた一因ともされています。
ところで安濃津城ですが、開戦からわずか3日目に降伏し開城します。
この安濃津城攻めには守兵1,500に対して西軍からじつに3万の軍勢が攻め寄せたようで、文字どおり多勢に無勢だったのですが、無責任な?歴史ファンとしてはあまりにもあっさり開城いるのでこのあたりには興味を覚えません。
津城に対する興味と言えば、築城の名手といわれた藤堂高虎の手によりつくられたということ、いかほどの名城かと期待しながら訪ねました。
津城・内堀と石垣
現在の津城は本丸を中心とした一角しか残っていいません。
そこで内堀の周囲を、石垣を見ながら歩いてみます。
そもそもは水城だったようですが、なにしろ外堀はまったく残っていないので現状から想像してみるしかありません。
ところでこの堀の水、藻がたまっているだけなのかもしれませんが、見ていてあまり気持ちのいいものではありませんでした。
西の丸
本丸
石垣と堀だけでもよいので城郭全体を見られたら良いのですが、ないものは致し方ありません。
それでも十分に楽しめました。
なお藤堂高虎の見事な城の石垣をぜひもっと見たいという方は、高虎の本城でもあった伊賀上野城を尋ねてみることをお勧めします。
【アクセス】JR阿漕駅から徒歩20分
【満足度】★★★★☆