龍岡城は、星型要塞すなわち五稜郭
【長野県・佐久市 2024.11.7】
龍岡城は戦国時代の城ではありません。それどころか江戸時代も末、大政奉還が1867年ですからそのわずか3年前、三河奥殿藩主の松平乗謨(のりかた)が信濃田野口へ移転のさいに幕府の許可をえて新城の建築をはじめます。
乗謨は西洋軍学をまなんでおり砲撃戦を想定して、ちょうどこの年に完成したばかりの函館五稜郭にならって星形要塞をつくります。これが龍岡五稜郭とよばれる日本にふたつしかない(ふたつだけあると言うべきか)陵堡式城郭です。
外周をあるく
1864年に築城をはじめたものの時代は幕末にむかって激動のときをむかえ、松平乗謨も陸軍奉行として幕政に参与するなど時間的にも経済的にも余裕がなくなり、城は未完のまま明治維新をむかえることになります。
たとえばこの写真に映っているあたりは石垣は出来上がっているものの堀がありません。
城内へ入る
城郭内は小学校として使われていたようですが、最近廃校となり、今後は校舎もこわして完全に龍岡城跡として整備保存する予定だと聞きました。
地上を歩いたかぎりでは星形五稜郭の全貌はとうてい把握できません。
佐久市の観光局のHPに上空からの写真がありましたが、転載は不許可、サイトのリンクすらも許可制だそうなので、これにて終了します。
よほど熱心な城郭ファンでなければ、上空からの写真1枚をみておけば満足できるかと思います。
【満足度】★★★☆☆