日吉大社は延暦寺の守護社となって泣いてないか
【滋賀県・大津市 2025.2.9】
関西以外の土地に住んでいる方でも大抵は比叡山・延暦寺はご存じでしょうが、日吉大社となるとどれぐらい知られているのでしょうか。
では関西の方で延暦寺と日吉大社の関係をご存じの方はどれほどいるのでしょうか。
正解は、日吉大社に祀られる大山咋神が地主神(この場合は比叡山の地主神)であり、そこから日吉大社が延暦寺の守護社となっています。
もうひとつ質問です。
平安時代に延暦寺の僧兵(山法師)が自らの要求を認めさすために強訴をくりかえし、当時の白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話は有名ですが、その強訴のさい山法師が脅しとして振りまわした神輿はどこから出てきたものかご存じでしょうか。
正解は日吉大社の神輿であり、けっして延暦寺の仏具を持ち出して振りまわしたり乱暴に扱うことはありませんでした。
以上のことを考えたとき、延暦寺にとっては日吉大社は守護社というよりも利用するには便利な存在であり、日吉大社にとっての延暦寺はただただ厄介者でしかなかったのではないか、と思えてきませんか?
鳥居をくぐり日吉大社へ


(そう伝わっているだけで確証はありません)


日吉大社の由緒について触れておきます。
冒頭でも書いたように、比叡山(古事記には日枝山と記されている)の地主神としてその山頂に大山咋神が祀られていました。
※「咋」は「杭」のことで大山に杭を打つ意味から山の地主神とされたようです。
崇神天皇の時代に山頂から山麓、すなわちいまの地に移されたといいます。崇神天皇は紀元前の方ですからこのあたりの話は後世の創作の域を出ませんが、時がうつって天智天皇(飛鳥時代、7世紀中ごろ)により大和の三輪山から大己貴神(国づくりをした神であり大国主神に同じ)を勧請して、ここで2大祭神がそろいます。これから訪ねる日吉大社の東本宮の祭神が大山咋神であり、西本宮の祭神が大己貴神です。
※「勧請」とは神様の分霊を請うて別の地に移ってもらうことを意味します。

日吉大社に到着


西本宮がかつて大宮と呼ばれていたためこの名があるとか


では延暦寺の由緒はというと、いうまでもなく最澄上人が平安遷都の直後に開きます。
比叡山は京の都からみて北東すなわち表鬼門の位置にあり、しかも日吉大社の主祭神である大山咋神が祀られていた山ですから京の人々(このときはおもに皇族や貴族)の信仰をあつめるには絶好の地です。
現に桓武天皇の帰依をうけて延暦寺は飛躍的に存在感を増し、それまで京の鎮護社であった日吉大社を守護社とすることで鬼門除けの地位さえも奪ってしまいます。
最澄上人にどれだけ野心、といってわるければ願望があったのかはわかりません。結果としてそうなっただけなのかもしれませんが、こうして延暦寺が強力な支持をえることでやがてそれが巨大な権力となっていき、純粋な修道や伝道とはかけ離れた存在になってゆきます。
山王鳥居


神仏習合の考え方は奈良時代からありました。
そもそもは日本古来の神道を信じる皇族や貴族が仏教にも関心をもち学ぶようになったことから、神と仏が別々に存在したのでは混乱するということで最初はできるだけ、のちにはずいぶん無理をしてまで合体させてしまったというものです。(これは私の自説ですが、そこそこ的を射ていると自負しています)
さて延暦寺はそもそも天台宗の寺として開創されますが、平安時代も終盤になるころ比叡山古来の山岳思想と神道をむすびつけた山王神道がうまれます。山王とは山の地主神のことですから、ここでは、大山咋神と大己貴神を信仰する神道ということです。
仏を拝み仏をたよるだけでなく、同時に神に拝して神にすがることができれば霊験あらたか間違いなしと皇族や民衆が思ったかどうかは定かでありませんが、天台宗(仏教)と山王神道をセットにして布教することで飛躍的に信者を増やしたのは事実です。
西本宮、宇佐宮、白山宮



前面と左右に庇がめぐらされた日吉造り

西本宮、宇佐宮、白山宮は横並びですが、独立しています


ここはオススメの撮影スポットです
神仏習合の考え方がいつどのように変化したのかわかりませんが、いつの頃からか、仏は人々を救うために神という仮の姿であらわれる、と教えられるようになります。
これはとても奇妙な考え方です。
初期仏教は、人は悟りにいたることで煩悩から解放されそのときブッダ(目覚めた人)になると教えています。
また延暦寺の開祖である最澄上人はすべての人が仏になれるという法華経の教えを重視し、すべての人が救われるよう大乗仏教の布教につとめます。すなわち「人は仏になれる」、さらに突き詰めれば「仏ももとは人である」とも言えます。
それに対して神は人ではありません。それどころか日本の天皇は神の子孫(現人神)とされているからこそ崇拝されているのであって、「すべての人がなれる仏が、天皇の先祖である神に姿を変えて」いるのであれば、人々の天皇に対する敬意はなりたちようがありません。
ここには明らかに仏教関係者からの作為的なものを感じます。
東本宮、樹下宮



東本宮拝殿(中央)へあるく、不思議な配置です



延暦寺の歴史は黒い歴史、と言い切ってよいのではないでしょうか。
最澄上人が入滅したあとも円仁、円珍といった名僧を排出しますが、やがて円仁派と円珍派が名目上は宗教観のちがいで反目をふかめ、ついには激しくぶつかり合うようになり円仁派は円珍の住まいだった千手院などの堂宇を焼き払い、円珍派の僧をすべて比叡山から追い出します。
一方の円珍派は山を下りて延暦寺の別院であった園城寺(いまの三井寺)に入って延暦寺からは独立するのですが、つぎには独立して新しい宗派をつくったことが気に入らないようで、再三にわたり園城寺に放火し全焼した記録だけでも7回に及ぶそうです。
また延暦寺で修行をした親鸞が開祖となる浄土真宗は、8世宗主・蓮如の時代に「仏敵」とまで指弾されて徹底して迫害され、ついには京を去って流浪せざる得なくなります。(のちに摂津・いまの大坂城のあるあたりで石山本願寺を開きます)
三宮、牛尾宮






延暦寺は相手を迫害しただけでなく、迫害された歴史もあります。
1571年の織田信長による焼き討ちがそれで、全山の堂宇がことごとく焼失し数千人の死者が出たと記録にあります。この事件から信長は魔王と怖れられるようになりますが、いまでは悪の巣窟のような寺を魔王に変わって信長が大掃除したと解釈する考えが主流になりつつあります。(信長人気から信長贔屓になっているところもありますが)
寺には五戒のひとつとして不飲酒戒がありますが、酒も適量なら百薬の長ということでまったく飲酒がなかったわけではありません。そこで憚りながら飲むという意味で、酒のことを般若湯と呼んでいました。般若とは無常や無我を理解する能力のことを指すので、適度に飲んで健康を保ち修行にまい進するといった意味でも込めていたのでしょうか。
ところが延暦寺の僧のあいだでは憚るどころか、酒は酩酊するほどに飲むのが常態化しており、般若は般若でも泥酔していきなり無常無我の境地にトリップしていたようです。
『帰蝶』のタイトルで信長の正室を主人公にした小説を書いている作家がいます。この方はよほど信長が嫌いなようで、その文庫本のあとがきの中で「数千ともいわれる僧侶や女子供もろとも比叡山を焼き討ちしたり – – – -想像しただけで身の毛がよだつ」と言い切っているのですが、自分で書きながら女人禁制の比叡山になぜ女がいたのかを疑問に思わなかったのでしょうか。
延暦寺では妻帯は認められていませんでした。すなわち比叡山の焼き討ちで殺されたもののうち女がいたとするなら、それは僧侶のだれかが愛人を囲っていたか遊女を呼んでいたということです。
石積のまち坂本をあるく




信長が比叡山を焼き討ちにした理由は、生臭坊主がみずから品行を正さないのであれば仏罰を下すしかないと決断したことがひとつです。
つぎに、敵対していた朝倉氏・浅井氏の軍勢を延暦寺が援護し、ときには比叡山にその軍勢をかくまうこともあり、信長は再三にわたり「(信長側に)味方しなくてもよい、朝倉・浅井を援護することで(信長側に)敵対さえしなければこちらから手出しはしない」と注意勧告をくりかえします。
それでも延暦寺は朝倉・浅井を援護することで信長に敵対し続けます。理由としては、延暦寺が朝倉氏、浅井氏に金を貸していたことがあげられます。
当時の寺は多額の寄進だけでなく、寺領に関所をもうけて通行税をとる、商売の権利(座)を売る、など収入をえる手段は多岐にわたり、さらにそこから得た利益を高利で貸し付ける貸金業までやっていました。
僧兵という職業は、そもそもこの貸しつけた金を取り立てるためにつくられたものです。
延暦寺としては信長に敵対せず朝倉・浅井軍がやぶれて貸金が焦げつくぐらいなら、貸金をきちんと回収できるよう朝倉・浅井に賭けたといったところでしょうか。
日吉東照宮




21世紀になっても延暦寺の不祥事は止みません。
反社会的勢力(大阪ではカジュアルにヤッチャンと呼びます)の法要が延暦寺で大々的に行われました。
この法要については香典の名目の資金集めにつながるからと警察からあらかじめ中止の要請がありました。また全国の寺が所属する全日本仏教会はかねてより反社組織の法要を行わないことを宣言しており、延暦寺の動きに遺憾を表明します。
のちに延暦寺側は謝罪して今後は反社組織とは縁を断つと宣言するのですが、周りからなにを言われようがいっさい耳を貸さないあたりは、昔ながらの特権意識が抜けきらないのでしょう。
唐崎神社


延暦寺を批判するだけでなく、今後の延暦寺に期待するという形でこのブログを終えられないかと思い最近のニュースを探したのですが、逆にやれやれの思いに打ちのめされました。
昨2024年の記事です。
四国に住む尼僧が親の法要の件で延暦寺のなかでも最高位にある大僧正に相談したところ、一番弟子の僧Aを紹介されます。ところがこの僧Aは大僧正の紹介であることを盾に恫喝と暴力で尼僧に対して性行為を強要し続けます。尼僧は救いを求めるつもりで相談するのですが、大僧正からは「私の言葉が仏の言葉であるように、Aの言葉も仏の言葉だ」と諭され、この性暴力は14年に及んだとのこと。
延暦寺を擁護するどころか、いまの気持ちを顔文字で表すなら、 ( >_<,,)
何て言っているのかですって?
比叡山だけに、ひぇ~
【アクセス】JR比叡山坂本~生源寺~日吉大社~慈眼堂~日吉東照宮~唐崎神社~JR唐崎駅 / 18000歩
【料金など】日吉大社:入苑協賛料500円、日吉東照宮:殿内拝観料:300円
【満足度】★★★★★