「天空の城」にハズレなし、今回は津和野城で感動する

【島根県・津和野町 2025.3.22】
「天空の城」を英語でいうと「the castel in the sky」となるようです。
日本語でも英語でも観光案内にはもってこいのフレーズで、このフレーズに誘惑され今までにそこそこ訪ねて歩きました。
いくつか列記してみます。
【★5】高取城(奈良県)、竹田城(兵庫県)、備中松山城(岡山県)、鬼ノ城(岡山県)
【★4】郡上八幡城(岐阜県)、犬山城(愛知県)、越前大野城(福井県)、黒井城(兵庫県)、米子城(鳥取県)

個人的な評価ですが、上段は★5つのイチオシ、下段が★4つのオススメ、それ以下の評価のものはありません。
とうことで、今回たずねる津和野城も観光案内では「天空の城」と紹介されており、知らず知らずのうちに期待が高まってきました。
いざ出発します。

登城

津和野川から山城をのぞむ
後方の霊亀山のふたつの峰に本丸(左)、出丸(右)

SLやまぐち号は春から秋の週末に1日1本、津和野駅~新山口駅間をいまも走っているそうで、この橋上を通過するタイミングが撮影スポットになっています。

太皷谷稲成神社の鳥居をくぐり、
社殿の手前で山道に入り、
山麓から城へのリフト下を通り抜け、

津和野城の歴史を簡単に書いておきます。
鎌倉時代、吉見氏により築城されています。
吉見氏と言ってもなじみがないかもしれませんが、起源をたどれば源氏、しかも源頼朝の異母弟を先祖とする武家の中では超名門です。
そのなかで石見に住みついた一族を石見吉見氏と称し、戦国時代には毛利氏に臣従してこの地方の統治を任されますが、関ヶ原の役で毛利氏が敗北すると石見吉見氏も津和野を去ることになります。
そのあと(徳川の命で)津和野に転封されたのは坂崎某(宇喜多秀家の従弟)、この人物が石垣をくみあげ津和野城をいまの姿に仕上げた功労者です。

出丸

出丸 / この石垣は津和野の街から見て裏側
こちら側が麓から見えているはずです
排水に配慮して曲輪内を水路がはしる
出丸から本廓へと向かいます

本郭 / 台所、馬立場

現地にあった案内図から抜粋
現在工事中箇所があり、仮設階段で上がります
とくに明記されてもいないのに、
たいへん立派な登り石垣がありました
台所曲輪から
馬立場から天守台と本丸(三十間台)
西門 / 左は櫓台

本郭 / 三の丸

天守台横を通り、三の丸へ
ふり返ると、
三ノ丸から人質曲輪の石垣、本丸の石垣をみる
南門 / 外に出て下から見上げる

本郭 / 太鼓丸、本丸

太鼓丸から本丸へ
本丸から太鼓丸をみる
本丸から人質曲輪(手前)、三の丸を見わたす
本丸上から津和野の町を見わたす

津和野城は見応え十分、それほど城郭に興味のない方でも写真映えするので上がってみる価値はあります。
リフトでも上がれますが(平日も運行していました)、坂道もゆるやかで最初に紹介した津和野川にかかる橋あたりから徒歩30分もあれば登れます。

【アクセス】JR津和野駅から徒歩40~50分
【満足度】★★★★★