西宮神社境内は、走らず歩いて参詣します
【兵庫県・西宮神社 2025.5.8】
きょうは、招福の神であり商売の神様でもある、恵比須さまを祀るえびす宮の総本山、西宮神社に参詣します。
そもそも恵比須とはどのような由緒をもつ神様なのか。
いわゆる七福神のなかで、唯一日本古来の神様です。(他は大黒天、弁財天、毘沙門天がインド由来、布袋、寿老人、福禄寿が中国由来)
日本古来の神様であるなら記紀(古事記と日本書記)に記述があるはずですが、たしかに日本書紀の国生みの話のなかで1つではなく数度にわけて書いてあります。それぞれ表現は違うのですが、すべてを総合すると、「伊弉諾尊と伊弉冉尊が日の神と月の神を産んだあとに生まれたのは蛭子(ひるこ:蛭のように手足のない子、あるいは不自由で3歳になっても脚が立たなかったとも)でした。
そのためイザナギ、イザナミは古事記によると「出来がわるい」と葦の船にのせて海へ流してしまいます。
なんとも残酷というか可哀そうな話なのですが、この流された蛭子の運命はこれで尽きたわけではありません。ここから先の話は、記紀をはなれます、出典はわかりません – – –
現在の兵庫県西宮市あたりの浜に葦船が流れ着き、漁をしていた村人に拾われます。ただの蛭子であったならそれこそ「出来がわるい」とふたたび捨てられたのでしょうが、村人たちは「ありがたい」と感じるものがあったのでしょう、葦船のなかの蛭子を祀ることにします。
その蛭子が祀られたのが西宮神社であり、蛭子神として祀られたものが漁の神から商いの神となり、蛭子が蛭子(えびす)と呼ばれ、いまでは恵比須さまとして多くの人々から崇められるというよりも、福の神として親しまれているということです。
なお恵比須さまは右手に釣り竿、左手に鯛をかかえ、福々しく太り、真丸の顔は笑みにあふれ、そして両の足でしっかり立つ姿もきちんと歩く姿も描かれています。(むしろ肥満と成人病が心配)
西宮神社

西宮(神社)の名の由来ですが、もともとは鳴尾浜(甲子園球場のあたり)に祀られていたところ今ある地へ移して祀るよう、蛭子神が神託というよりもっとざっくばらんに「西のあっちに移しとくれ」と希望を言ったとか。
ほかにも諸説ありますが、この説が蛭子神のフランクさが伝わるので個人的にはこれで決まりとします。



西宮神社で行われる毎年恒例の福男選び。
1月10日朝、先着1500人のなかから抽選でえらばれた108人(煩悩の数と同じ?)を先頭集団にして、表大門が開門されると同時に本殿に向かって参道を230mを走ります。
先頭の1~3番までがその年の福男に選ばれますが、いうまでもなく一着(一番福)を誰もが目指します。
走るルートにしたがって進んでみます。



正面の道を右から左へ、そこで右折して奥へと走る


ちなみに西宮神社の福男の応募資格は、男性であれば年齢など制限はありません。
(福娘の応募資格は、18~23歳の未婚の女性)

春日造りの社殿を3棟つないだ「三連春日造り」


おこし祭り

蛭子神がもっと西にある地に移りたいというので御輿にのせて移動させることにします。ところが蛭子神は御輿のうえで揺られて気持ちよくなったのかスヤスヤと眠ってしまいます。
漁師たちは指示がないので何処へ行けばよいかわからず、そこで蛭子神の尻をつねって起こしたといいます。
なんとも微笑ましい話ですが、ここがその尻をひねって起こした地。
「起こした」と「御輿」をあわせて「おこしや伝承地」と呼ばれるのだと想像します。

西宮は硬水が湧くことから酒の製造が盛んになり、
その水は宮水(西宮の水)と呼ばれています
尻をつねって起こした故事にもとづいて、いまでも「おこしや祭り」が毎年6月におこなわれています。
西宮神社からここまで神輿が巡幸し、むかしは一緒に巡行する人たちが互いに他の参加者の尻をつねってもよいことになっていたとか。
オッチャンたちが競うように若い娘さんの尻をつねりたがったのは容易に想像できます。
なんとも大らかな時代。
念のため下心のある方に申し上げておきますと、いまそれをすると、西宮神社から巡行のはずが西宮警察へ連行されることになります。
【アクセス】阪神西宮駅から徒歩10分
【満足度】★★★☆☆