アマテラスの祖神をまつる多賀大社へ参る
【滋賀県・犬上郡多賀町 2025.8.13】
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀のお子じゃもの」といわれる滋賀県にある多賀大社。
なぜかといえば、伊勢神宮内宮にまつられる天照大御神は、この多賀大社にまつられる伊邪那岐大神、伊邪那美大神の子であるゆえです。
言い方をかえると、イザナギとイザナミはアマテラスの祖神ということになるのですが、祖神は祖神であって「親神」ではありません。
古事記によると、男神であるイザナギは先に亡くなった妻である女神のイザナミに会うために黄泉の国へむかいます。そこでイザナギが見たのは、腐敗して蛆がわいたイザナミの醜い姿。
イザナギは恐れおののいて黄泉の国から逃げかえり、その穢れをおとすため水で身体を清めて禊をします。
その禊をするなかで、左の眼を洗った時にあられたのがアマテラス、右の眼を洗った時にあられたのが月読命、鼻を洗った時にあらわれたのがスサノオということです。
(このあたりの話は、山さんブログ『なぜ熊野三山では不吉なカラスが神使なのか』 https://yamasan-aruku.com/aruku-362/ に詳しく書いていますので、ここでは端折りました)
左の眼を洗ったらアマテラスが生まれたというのも奇異な話ですが、ここではそれはさておき、イザナギとイザナミは夫婦であるものの、この話を読むかぎり、アマテラスはイザナギから生まれたのであって、イザナミはその生誕にまったく関わっていないことがわかります。
しかも具合が悪いことに(?)イザナギは男神です。男親から子が生まれるとはなんでやねん?と誰しもが思うはずです。
このように神話の世界ではそれぞれの神々を「親」と「子」として見ると、不可解(あるいは不合理)な点が多々出てきます。
しかし「アホくさ」で片づけてはいけません、なにしろ私たち日本人の創造主ですから敬わねばなりません。
そこで教養のある先達が「親」神ではありません、「祖」神です、と断りを入れた、のではないかと私は勝手に考えている次第です。
※なお天理教では、「人間を創造し育てられた神」のことを「親神様」と呼ぶそうです。
鳥居から太閤橋

多賀大社が人気をあつめたのは、ひとつにはこのあたりが交通の要衝であり、宿場町が形成されたこともあります。

また京の都と北陸あるいは東国をむすぶ地理的に重要な位置にあり、むかしから有力な武将が近辺に居城をかまえていました。
そのため佐々木道誉(勝楽寺城)、浅井長政(小谷城)、織田信長(安土城)、羽柴秀吉(長浜城)、さらに井伊家(彦根城)の関係からか徳川家等々が多額の寄進をした記録があります。

この神橋は秀吉の晩年の寄進をもとに造られたため、太閤橋と通称されています。
むかしの画像をみると、参詣者が用心深くわたっている姿が写っているので、ある時期までは通行可能だったということでしょう。
ちなみに神橋が渡りづらい反り橋になっているのは、注意深く慎重に橋をわたることで神域に入るまえに気持ちを引き締める意図があるそうですから、本来は神橋はわたるべきものです。
神門から神域へ



奈良時代に元正天皇が病に伏されたさい、多賀大社では治癒を祈念し、強飯(おこわ)を大きな杓子に乗せて奉納したところ、 元正天皇が回復したことで、しゃもじが縁起物としてまつられるようになったとか。
なお、「お多賀のしゃもじ」がその形状から「オタマジャクシ」の語源になったとの俗説がありますが、真偽は不明です。



多賀大社の主祭神は、冒頭でも書いたようにイザナギとイザナミの夫婦神で、御利益は「延命長寿、縁結び、厄除け」


イザナミは火の神である迦具土神を生んださいに陰部を火傷してそれがもとで若くして(年齢不詳)亡くなります。
さらに、そのことに激怒したイザナギはカグツチを剣で斬って殺してしまいます。
このような伝説が残っているにもかかわらず、「縁結び」は良いにしても、「延命長寿」とか「厄除け」とか、どうにもしっくりきませんが、火の神カグツチが成敗されたことで、いくつかのご利益がもたらされたと考えるべきでしょうか。
たとえば現在愛宕神社にまつられるカグツチの主な御利益は「家内安全」。
どうやらイザナギに斬られたことで、火の神の「荒ぶる」部分が切り取られたと考えて良いでしょう。



鐘にきざまれた寄進者の名に、浅井長政の幼名もみられる
多賀大社は、主祭神イザナギとイザナミの御利益に関しては釈然としないものがあります。
むしろ楽しみ方としては、その時代々々に、だれからどのように庇護されて今に到ったかを考えながら参詣すると、感慨深いものがあります。
中枢となる拝殿、幣殿、本殿は残念ながらすべて昭和の時代に再建されたものです。
【アクセス】近江鉄道・多賀大社前駅から徒歩10分
【満足度】★★★☆☆