平群には、なぜ神はたくさんいるのに仏は少ないのか

【奈良県・生駒郡平群町 2025.8.16】
大阪府(西側)と奈良県(東側)の境界をなすように北から南へと伸びているのが生駒山系。
その生駒山系のほぼ南端にあるのが中腹に朝護孫子寺を擁する信貴山。
生駒山系は大阪側では傾斜がきびしく、奈良側では緩やかという特徴がありますが、信貴山から北東への緩やかな山腹と、そこからひろがる平地部を合わせた一帯の土地を平群(へぐり)とよびます。

平群の地名については、古代に大和の中心であった飛鳥や桜井からみて奈良盆地(大和国の領域)とは対角の北西にあることから「辺の国:へのくに」とよばれ「へぐり」に変化したという説もあるようですが、それでは「平群」という特異な文字があてられた理由がわかりません。
やはり当地の豪族が平群氏を名乗っていたゆえとするのが妥当でしょう。

さて平群の地ですが、googleマップで見ていると、神様はたくさんいるのに仏様がずいぶん少ないことに気づきます。
意味不明な表現になりました。神が祀られるのが神社、仏が祀られるのが仏寺ですから、平群には神社はたくさんあるけれど、仏寺は少ないということです。
もちろん理由はあります。

さて今日も大阪、奈良ともに猛暑日予報のため、早朝に家を出て午前中に平群一帯を歩いてみることにします。

石床いわとこ神社、消渇しょうかち神社

石床神社(元の地)
横10m、高さ6mの巨岩が御神体
ここには拝殿も祠もない
この巨岩は、陰石(女性器)と見なされている

古代において信仰とは自然の中の万物に神が降臨する、あるいは神が宿ると考え、その自然を崇拝することで神に感謝することでした。
たとえば岩がその対象(ご神体)になる場合は磐座いわくら信仰とよばれ、そもそもは岩に向かって手を合わせるだけのものだったのでしょう。
そののち鳥居がたてられるようになり、さらに岩の上や脇に祠がたてられ、なかには前面に拝殿が建てられるようになりますが、それは自然信仰が神道しんとうとして確立されて以後のことです。

現在の石床神社

300mほど離れた地に、現在の石床神社があります。
拝殿と本殿がつくられてはいるものの、これがなんとも貧相で、なぜここに勧請(神の霊をうつす)したのか理解できません。

消渇神社

石床神社のすぐ上に消渇神社があります。
江戸時代には女性の病気(おもに性病)を治すといわれ、遠方(の遊郭など)からも多くの参拝者があったようです。
なぜ女性の性病なのかは、石床神社のご神体が陰石であることから容易に想像できます。

地蔵、西宮古墳

路傍の岩に彫られた地蔵

地蔵は地蔵菩薩ですから本来は仏様ということになりますが – – –
地蔵の多くが路傍に祀られていることから考えると、民間信仰による道祖神(集落の入口や道の分岐などで悪霊や疫病が侵入しないよう見守ってくれた)が地蔵尊の姿で立っていると解釈すべきです。
すなわち仏教的解釈からすると菩薩ですが、民間信仰からすると法衣をまとった神様ということになります。

西宮古墳 / 墳丘が見えてきた
一辺36mの方形墳 / 被葬者は不明
7世紀後半に造られているゆえ、平群氏の血縁者かも?

平群へぐり神社、平群坐紀氏へぐりにますきし神社

平群神社 / 平群氏の祖神をまつる神社
ここはかつての平群郷の中心に位置するとのこと
竜田川にそって歩く
大阪市への通勤圏ゆえ新興住宅地がめだつ
田園の中をあるく
平群坐紀氏神社・「平群に鎮座する紀氏神の社」の意
紀氏は平群氏と先祖を同じくする氏族、その氏神をまつる

神社と仏寺、言いかえると神道と仏教の根本的な違いは、教え(教義)があるかないか。
仏教はそもそも学問です。その学問を苦学しておさめる、あるいは修行して会得する、そうすることで(資格を得た)僧侶が、仏像(仏)をまつる仏寺で、民衆に仏の教えを説く。すなわち仏の教えを授かるには教師(僧侶)がいて、学校(仏寺)がなくてはなりません。
言いかえると、そこそこの数の人が住む地域でなければ、教師が常駐する学校が成り立つことはありえません。

それでは神道はどうでしょうか。
神道でも神道の源である自然崇拝でも、そこには教えはありません。教えがないのですから誰からまなぶ必要もありません。
たとえば磐座信仰のように、「そこにある岩」に手を合わせることで神に感謝の意を届けられるのであれば、(ゲスな表現になりますが)金も労力も要りません。要るのは個人の真心のみ。

こうして自発的にひろまったのが、日本古来の「神への感謝と敬慕」で、それが体系化されたものが神道です。
一方の仏教は6世紀に日本へ渡来。
7世紀からはじまる天皇と貴族が支配する律令制の中央集権国家の基盤をかためるために仏教を利用(といって悪ければ活用)し、さらには神仏習合というあきらかに仏教優位の思想で神を仏のなかに取り込みながら急速に日本全土にひろまります。

楢本ならもと神社

楢本神社
拝殿から本殿をみる

楢本神社は菊理媛神くくりひめのかみを主祭神としています。
菊理媛神は白山比咩神しらやまのひめのかみと同一神であり、白山はくさんから流れ出る豊富な水を起源とする山岳信仰上の水の神、さらに農業の神でもあります。
もしかすると背後にそびえる生駒山を白山にみたてたのでしょうか。

楢本神社から生駒山口神社への道
生駒から流れ下る水で平群の土地は潤されている?
背後に連なるのが生駒山系

生駒山口神社

拝殿と、奥に本殿

生駒山口神社は生駒山の守護神を祀っているといわれています。

横から本殿をうかがう

一方、大和国十四所山口社のひとつとする説もあります。大和国では、皇居や神社をたてるための用材を伐り出す山には、その山の神霊を祀る社を「山の口」に建てる慣習がありました。これを山口社とよび、全部で14社あったそうです。

いまの仏寺は死後の世話をしてくれるところです。葬式、法事などなど。すべてにお布施(経費)が必要です。相場は葬式なら10万円から、法事は3万円前後。
むかしは平群は人口のすくない土地でした。それゆえむかしから暮らす檀家がほとんどいません。
いまは増えています、とはいっても大阪への通勤のためにマイホームを手に入れた人たちが中心で、この地に墓をもとうという人もいないでしょう。

一方の神社はというと、現世での世話をみてくれます。
家内安全、病気平癒、学業成就、商売繁盛、金運上昇、恋愛成就、良縁祈願、安産祈願、厄除け、交通安全 – – – なんでもござれで、神前で「二礼、二拍子、一礼」して願うなり、頼るなり、祈るなり。必要な経費といえば、賽銭のみ。(ちなみに賽銭は必須ではなく、気持ちの問題です)

平群には、なぜ神はたくさんいるのに仏は少ないのか? 自明の理です。

【アクセス】近鉄竜田川駅~石床神社の磐座~石床神社・消渇神社~西宮古墳~平群神社~平群坐紀氏神社~長良王の墓・吉備内親王の墓~楢本神社~生駒山口神社 14000歩、3時間30分 (長良王の墓と吉備内親王の墓はこのブログでは省きました)
【経費】賽銭のみ
【満足度】★★★☆☆(気候のよい時なら快適な散歩を楽しめますが、あまりにも暑かったので★三つどまり)