明智光秀が本能寺へと向かうのに、唐櫃越えを通った?
【京都府・亀岡市 2025.10.13】
まず亀岡市の所在について、関西在住以外の方にはピンとこないかもしれませんので述べておきます。
亀岡市は京都市の西隣にあります。紅葉時期の京都観光でひときわ人気の保津峡下りはこの亀岡市からスタートして京都市の嵐山がゴールとなります。
歴史好きの方に対してなら、明智光秀が居城とし織田信長を討つため本能寺にむけて出発した丹波亀山城のあるところといえば、より興味を持っていただけるでしょうか。
明智光秀とその軍勢が本能寺へひたひたと進んだのは旧山陰道ですが、その北側の山系の尾根をむすぶように通じる間道があります。距離的には長くはありません。亀岡市の東寄り(馬堀)から京都市の西寄り(桂)まで11kmほど。この道を「唐櫃越え」と呼びます。
唐櫃とは、唐からつたわった脚のついた櫃のことです。
話は歴史をずっとさかのぼりますが、西暦4世紀ごろ朝鮮半島(三韓)を征伐したとされる神功皇后が帰国したさいに、武器や武具とともに黄金の鶏を唐櫃にいれて埋めたとの伝承があります。
ではこの地がその唐櫃が埋められた地なのかというと、そうではありません。
唐櫃という地名は西日本に何ヶ所かあります。そのなかで兵庫県の六甲山の山中にも唐櫃という地名があり、そこを通る道を唐櫃道とよびます。
その六甲山の唐櫃道を越える(より険しい道の意か?)ゆえに「唐櫃越え」と名づけられたのだとか – – – なんだか説明にこじつけ感があるような。それを承知で納得したとしても、唐櫃道と唐櫃越えを実際に歩いてみれば、コチラがアチラを越えていないことは容易にわかります。
名の由来はともかく、今日は唐櫃越えを歩いてみることにします。
みすぎ山へ


さきに言いますと、唐櫃越えは途中でやめました。
というのはこの道は10年ほど前にまったく同じルートで歩いたことがあり、馬堀をスタートしてから前半分は眺望を楽しみながら歩いたものの、後半分はどちらかというとつまらなかった記憶があります。
それ以上に – – – あとは順を追ってお話しします。





通常こんなところには蜘蛛の巣が張りまくりですが、
この道上では顔に蜘蛛の巣ベッタリはありませんでした


見下ろす平野部を旧山陰道が通じていた

木立の上に山頂をのぞかせているのは愛宕山
唐櫃越えを歩いていると、「からと越え(本能寺への道)」と記した道標を随所で見ることになります。
じつは明智光秀は慎重に慎重を期して本能寺への進軍を数手にわけ、本体は旧中山道を進み、ほかにもこの間道・唐櫃越えも使ったとの説が地域限定で伝わっています。
地域限定とは、いまの亀岡市限定。
歴史学者や歴史愛好家の誰一人としてそのような説は唱えていないので、亀岡市が(わるく邪推すると)観光宣伝のために「俗説」として流布したのではないでしょうか。
亀岡市のHPを確認したところ、2本では足りないのか全部で3本の道をつかったとなっています。
最後の1本は、(俗な俗説では)「明智越え」だとか。明智越えならば、わざわざ保津川の急流を北へと渡り、愛宕山への細く急峻な道をのぼり、大きく北に迂回して本能寺へむかうわけで、到着するのは翌日になるのと違いますか。
沓掛山へ向かうはずが





気が変わって林道を直進した
当初の予定では、沓掛山をへて桂へ抜ける予定でしたが、ここまで来るうちに気が変わりました。
理由1:以前にあるいた経験から後半部はイマイチであるのが分っている。
理由2:10年前から変わらず、性懲りもなく無理矢理にでも本能寺と結びつけようとする案内板の乱立に嫌気がさした。
理由3:明智光秀が間違いなく通った旧山陰道の老ノ坂峠、その近くにある京都イチの心霊スポットといわれる首塚大明神、これらを見にゆくならここから南へ下山するのがベスト。
ということで、山道には入らず林道を麓にむかって直進しました。
下山


老ノ坂
そして国道9号線をわたると、いかにも鄙びた集落に出くわします。
先ず、老ノ坂へ。


以下、司馬遼太郎『国盗り物語』より明智光秀が老ノ坂をこえて本能寺へとむかう行。
「ついに老ノ坂を越えた。時刻は零時をすぎているであろう。
(越えた)
という実感が、馬上の光秀の状態を、心理的なものから物理的なものに変えた。越えた以上、もはや光秀はこの物理的な勢いに自分の運命をゆだねてゆくしかない」
司馬遼太郎氏は、老ノ坂を越えることを光秀が(信長を討つ)迷いを振り払う演出につかっており、この一節から老ノ坂は鮮烈に記憶に残ることになりました。
ここを訪ねるのはじつは2度目です。小説の一節からその地を2度も訪ねてみる気持ちになれるのは、ある意味で幸運です。
首塚大明神
盗賊の頭目で酒好きだったことから酒呑童子とよばれる鬼がいました。
あまりに悪行がすぎるため、勅命をうけた当時の伝説的な武人・源頼光によって成敗され首をはねられます。
ところがその首を見せしめにでもするつもりだったのか京の都まで運んでいたところ、この地でとつぜん重くて重くていかにしても動かせなくなります。
そこで仕方なくこの地に埋めたのが首塚大明神の成り立ちです。
さて怖い話はいろいろあります。心霊写真がうつる、携帯が通じなくなる、動画を撮ると妙な音が入る等々。
もっといろいろ細かく知りたい方は、「首塚大明神、怖い話」で検索すると我も我もと怖い話が出てきます。


で、私自身の体験と感想ですが – – –
SNSですっかり有名になったのか訪れる人(あえて参拝者とは書きません)が多いようで、周囲にはペットボトルやらスナック菓子の空き袋やらが散らかり、「きたねえ」「行儀悪る」「こんもん捨てんなよ」などとぶつぶつ独り言をいいながら歩いていたため、心霊の存在に気づく暇もありませんでした。
そうそう、酒吞童子は酒にくわえて女好きだったそうで女子がひとりでここを訪れると呪われるとか誘われるとか、そんな怖い話もあるそうで、そこに独り言をブツブツいいながら歩くヘンなオッサンがいたなら、先方としても願い下げだったのかもしれません。

いま、どんな心霊よりも怖いのは熊かも
帰りは国道9号線まで戻ると目の前に、老ノ坂峠バス停があります。
そこからJR桂駅または阪急桂川駅へ行けます。
【アクセス】JR馬堀駅~唐櫃越え登山口~みすぎ山~沓掛山への分岐~京都西山霊園~老ノ坂峠~首塚大明神~老ノ坂峠バス停➡阪急桂川駅 18000歩
【満足度】★★★★☆