国東半島をめぐる古寺巡礼の旅-いざ国東六郷満山へ
【大分県・宇佐市~豊後高田市~杵築市~国東市 2026.1.19~1.21】
国東六郷満山とは、国東半島の六つの郷(田染、来縄、伊美、国東、武蔵、安岐)に古来つたわる山岳信仰を土台にして、そこに神仏習合の発祥地とされる宇佐神宮(宇佐八幡宮)の影響のもと神と仏が融合し、さらに天台密教の修験道がくわわり独自の山岳仏教がはぐくまれた、その寺院群の総称です。
最盛期には100をこえる寺院が建てられていたそうですが、その後の数々の戦乱や切支丹大名・大友宗麟による仏教寺院の破却、さらに明治新政府による神仏分離令などの影響でしだいに衰退してゆき、いまでは31の札所寺といくつかの廃寺を残すのみとなっています。
1年ほど前から神仏習合について調べているのですが、(解説書とかガイド本ではなく)専門書を読んでもまるで頭に入ってきません。
一番の理由は私のお頭が耄碌して学術的な文章を理解するレベルにないということなのでしょうが、あえて言わせていただくと、一般に先生とよばれる学者とか研究者とかいわれる人たちは、なぜあれほどに文章を書くことが下手なのでしょうか。なにが下手かといって、読んでいて欠伸もでないほどに文章が面白くない。面白くないから興味が続かずまるで内容が頭に入ってこない。
これらの本は大方がすでに廃版になっておりアマゾンとかメルカリを利用して中古本で手に入れるのですが、本の奥付をみると必ずと言っていいほど「初版発行」「第一刷」となっています。
著者に知名度のない学術書の初刷はせいぜい3千~5千部です。
どれだけ高尚なことや学識豊かなことを書いても、本があまりにも売れない(すなわち読む人がいない)のでは知識や情報をひろめるという意味でまるで役に立っていません。せっかく本を出すのであればその本が社会の役に立つことを考えていただきたい、そのためには多くの人が興味深く読めるものを書いてもらいたいものです。
ということで、本を読んだだけではどうにも神仏習合の本質が理解できないので、その発祥地にゆき現地を見てまわり肌感覚で真髄に迫ろうと、(本音はそれほど大層に考えたわけではありませんが)建前だけは立派なものをかかげ、いざ国東半島へと向かいました。

一般に言われる巡礼の場合、一番札所から時計まわりに番号順に回っていく「順打ち」が通常のスタイルのようです。
わたしの場合は信仰としての巡礼ではなく、徒歩ではなく車でまわるうえに、その日の移動先で宿をとるのではなく宇佐市に連泊して移動するため、自分の都合を最優先させました。(もちろん御利益は期待していません)
しかし一定の規則をつけた方が分りやすいので、
ブログの中では1番札所から番号順に並べました。
※すべての寺を掲載はしていません
1番・宇佐神宮、2番・宇佐宮弥勒寺


宇佐神宮と宇佐宮弥勒寺については、他のブログ『宇佐神宮の謎・ご神託事件は神と仏と権力者の戦いか』に書いています。
https://yamasan-aruku.com/aruku-400/
4番・富貴寺


国東六郷満山の仁王像はほぼすべて石造です


国東塔は基礎(方形)と塔身(臼形)のあいだに台座(底をあわせた上下の碗形)があり、笠(屋根形)の上の相輪が長いのが特徴
すなわちスラリとしてカッコイイ
6番・胎蔵寺(熊野摩崖仏)



熊野摩崖仏は像本体に繁茂した植物を除去するなど大掃除のため、昨年末から今年の3月いっぱいはこの状態です。
拝観券売り場だけでなくネットにも「足場が組まれており見えづらい」とは書いてありましたが、これは見えづらいというより「ほぼ見えない」というべきでしょう。
国東半島の山と岩




むかしむかしこの周辺にあった火山が大噴火して国東半島ができたと考えられています。それゆえこのあたりの山は岩だらけで写真にあるようにあちこちで特異な景観をみせています。
八幡神を祀るために宇佐神宮(宇佐八幡宮)がつくられたのち、神仏習合の影響でその隣接地に弥勒寺が建立されます。弥勒寺の僧は古来の山岳信仰に天台密教の修験道がミックスされると、修行にはもってこいの急峻な峰々のそびえる国東の山深くにこもります。
まず押さえておくべきは、国東半島の岩山だらけという地質学的な特徴が山岳信仰を産み出したともいえます。さらに、そこに仏教でも修験をともなう天台密教が加わったことは土地柄ごく自然なことだったのではないでしょうか。この岩山だらけの険しい土地は修行をする僧にとっては申し分ない好適地だったということでしょう。
8番・長安寺


9番・天念寺、10番・妙覚寺


11番・應歴寺



さて国東の山にこもって修行にはげむ僧侶ですが、岩だらけの山中では寝るところも瞑想のために座すところもありません。
そこで岩を削って生活の場(修行の場)をつくったのがこの「岩を穿つ」ことの始まりで、やがてそこが神や仏を祀る場になったとの説もあります。
岩に穿たれた神と仏




切り出した(あるいは掘り出した)石を材料として削ってつくったものが石仏、山肌や川岸などの岩肌を画面としてそこに彫りこんでつくったものが摩崖仏。
そこからわかるように摩崖仏は動かすことができません。山にこもった修験者が文字どおり雨にうたれ風にふかれながら修行の一環として彫り続けたのでしょう。小さなものはひとりの僧が、大きなものは幾人もの僧が集団でつくったはずです。
大分県なかでも国東半島は全国でも突出して摩崖仏が多いと言われています。理由は明白で、半島全体が岩山で摩崖仏を彫る岩肌がそこここにあるということでしょう。
13番・無動寺




17番・千燈寺(旧千燈寺)

背景から半身だけが浮き上がる半肉彫り

石仏






国東半島の各所にのこる石仏を見てまわっていると、山岳信仰でもなく、ましてや体系化された仏教とも無縁の、この土地で生きてきた人々が日常生活の中で純粋に神を崇め無垢に仏にすがってきた姿が見えてくるような気がします。
18番 岩戸寺


21番・文殊仙寺




23番・泉福寺



ここまで(読んでいなくても)見ていただいた方は気づいたかもしれませんが、宇佐神宮以外の寺社では人の姿がまったく写っていません。
基本的にはできるだけ人の姿が写り込まないよう気をつけながら撮影しているのですが、今回は国東半島の付け根あたりの胎蔵寺(熊野摩崖仏)や両子寺にすこしばかり参拝者がいたくらいで、他ではほぼ他の参拝者に出合うことはありませんでした。
真冬の閑散期の平日とはいえ、これで大丈夫なのかと、何が何にたいして大丈夫なのか説明できないながらも心配してしまいます。
路傍の石塔



路傍の石塔を撮影した画像を並べてみましたが、目を凝らしてみても偶然にすら人の姿が写っていません。
3日間にわたって国東半島を回って、昼飯を食べるところもコンビニもなくて難儀することがしばしばだったのですが、思いだしてみると人の姿をほとんど見かけませんでした。
たまに見かけたかと思うと、ずいぶんな高齢者が家の前で掃除をしているとか。住民の数が少ないだけでなく大半が高齢者で外出することも稀なのでしょうか。
国東半島を巡って、できることなら神仏習合の真髄に触れることができないかと期待していました。
しかし琴線に触れるようなものがなく、神仏習合を肌感覚で理解する糸口すらつかめません。
なぜなのか。
じつは2日目の夕刻頃にぼんやりとその理由はわかりかけていました。
28番・報恩寺


31番・両子寺




国東六郷満山を3日にわたって巡りました。
宇佐神宮をべつにして、ほかの参拝者(あるいは観光客)の姿を見かけたのは、4番・富貴寺、5番・傳乗寺(真木大堂)、6番・胎蔵寺(熊野摩崖仏)、31番・両子寺のみ。
移動する間も人の姿を見かけることは稀で、住民らしき人がこれらの社寺を参拝する姿は一度も見ていません。
社寺とはいっても参拝する人がいないのでは、そこは祈りの場でも願掛けの場でもありません。
人が祈り崇め縋るからこそ神にも仏にも「居てもらいたい」のであって、参拝する人がいないのであれば神にも仏にも居てもらう理由がありません。
要するに、わたしが3日間にわたって巡ったものは社寺ではなく、社寺とよばれる遺跡だというべきなのでしょう。遺跡をいくつ訪ねても、神仏習合の真髄を理解できるはずもありません。
誤解がないように言っておきますと、国東六郷満山をめぐる旅そのものは素晴らしいの一言で、文句なしのイチオシです。
しかし100年後どころか50年後までどのようにして今の姿を残してゆくのか、あるいは近い将来大きな地震でもあって被害があったときに誰が修復するのか、そんなことを考えると一抹の10倍くらいの不安をおぼえました。
【アクセス】レンタカーにて / 電車は走っておらずバス便もごく少なく、車でまわるか巡礼のつもりで歩くかのどちらかになります。
【拝観料】寺によって境内参拝が有料あるいは宝物館の入館のみ有料のところがあります。
【満足度】★★★★★





