大阪府民の森から交野山へと歩いてみる。

【大阪府・交野市、枚方市 2022.5.22】
今日は、徳川家康ゆかりの地である「家康ひそみの藪」を見にゆき、そこから直線距離では16kmほど北にある明智光秀ゆかりの洞ヶ峠まで歩くつもりですが、一般道を通ったのでは面白くもないので、大阪の森林地帯といわれる大阪府民の森から交野山を歩いて行きたいとおもいます。

星田妙見宮

星田妙見宮(小松神社)

JR星田駅をおりて、宅地の中のくねくね曲がった道をスマホの地図アプリをみながら歩き、星田妙見宮に到着しました。

各地でときどき見かける妙見宮も妙見神社も、ともに天之御中主神をまつる神社です。

けっこう長い階段を上ります。
さいごの階段をのぼって拝殿へ。
この巨岩がご神体です。
(水の乏しい)滝場も巨岩でした。

家康ひそみの藪

(伝)家康ひそみの藪

じつは、きょう一番の目的地はここなんです。

本能寺の変の折、徳川家康は織田信長から安土城で接待をうけ、そのあと京、堺を見物して回る予定でした。
まさにその瞬間には、このあたりにいたようなのですが、信長の同盟者であることから身の危険を察した家康は、土地勘のある従者の導きで山伝いに伊賀から伊勢へと決死の脱出行を行います。
その行程中に潜んだのがこの藪だそうです。
ただし、あくまで「伝」の範囲内です。

ほしだ園地

ほしだ園地へ

大阪府の東側、奈良県との境に森林地帯がのこっていて南から、みずのみ園地、なるかわ園地、ぬかた園地、くさか園地、むろいけ園地、ほしだ園地、くろんど園地とつづき、さらに北へ進むと交野山につながります。

「星のブランコ」と名付けられた吊り橋。
寄付金箱がありますが、わたるのは実質無料です。
ほしだ園地から磐船神社へ

ほしだ園地へ入ってきた時と同じような道がつづきますが、いっそう緑深くなってきました。

磐船神社

磐船神社
のしかかるような巨岩(右側)がご神体
本殿がなく、小ぶりな拝殿が巨岩に接する

ここ磐船神社は、「天の磐船」と呼ばれる巨岩がご神体です。

ところで大坂城築城のさいに加藤清正が、この巨岩を石垣につかおうとしたが運べそうもないので断念した、との逸話がのこっているそうですが、大坂城へはこれよりも数倍大きな岩が運ばれているので、この逸話も「伝」の範囲内でしょう。

くろんど園地

くろんど園地へ。まずゴルフ場のわきを通る。
このあたりはまだしっかりした道があります。
くろんど園地・浮見堂近辺
黄色い水仙が咲いていました。

交野山

くろんど園地をぬけて交野山へは田舎道をあるく。

交野山は「こうのさん」と読み、交野市「かたのし」とよむ市域にあります。

三宝荒神社鳥居

交野山はもとは修行場だったそうで、そのため山頂は観音岩とよばれる巨大な岩で、その山頂の近くには三宝荒神社のちいさな社殿があります。

最後に岩場を上ります。
これが山頂です。
山頂から大阪方面をのぞむ
山頂にあたる観音岩(上にみえる小さな点は人影)
交野山をくだる。
けっこう本格的な山道がつづきます。
竹林を横に見ながらあるく。
途中に見える、源氏の滝

「源氏の滝」の名前の由来がなかなかフルっています。
この近くにある開元寺から字句をもらって「元寺の滝」としたところ、上流には白旗の池があり、白旗といえば源氏の旗印ということで、「源氏の滝」に落ち着いたとか。
まあこれも「伝」の範囲内でしょう。

交野山の登山口のひとつに出てきました。
交野山のあと、洞ヶ峠へむかう。高架は国道一号線。

交野山をおりて、さいごの目的地である洞ヶ峠へむかっています。
峠といっても山中ではなく、町中で、そこに至るまでの7kmほどの道のりも車道脇をひたすら歩く、味気ないものでした。

交野市のマンホール
じきに市境をこえ、枚方市、のマンホール

洞ヶ峠

洞ヶ峠 / 左は京都、まっすぐは奈良、右は大阪

本能寺の変のあと、明智光秀は秀吉と天下分け目の戦い(山崎の合戦 / 天王山)に挑みますが、その戦いの前に親戚筋にあたる大和(いまの奈良)の筒井順慶に味方についてくれるよう懇願します。
しかし順慶はここ洞ヶ峠まで出てきたものの、ここから動かず日和見を決めこんだということで、「洞ヶ峠」は「日和見」の代名詞となりました。
もっともこれは後の世の創作で、順慶ははじめから光秀の味方につく気はなく、大和から一歩も動かなかったので光秀自身がここまで迎えに来たというのが真相のようです。

八幡市のマンホール

洞ヶ峠の交差点は、ぎりぎり京都府にはいるようで、気がつくとマンホールも八幡市のものにかわっていました。

【アクセス】JR星田駅から 京阪樟葉駅まで歩く 41,000歩
【満足度】★★★★☆ (交野山から洞ヶ峠の道中はなかったものとして)