元離宮二条城に狩野派の障壁画を見にゆく
【京都市 2022.9.17】
先日テレビで元離宮二条城の城内障壁画を紹介していました。
狩野派の絵にはあまり興味はなかったのですが、それぞれの絵が描かれた意図などを聞いているとふつふつと興味がわいてきて、早速見にゆくことにしました。
ところで元離宮二条城は、京都守護(主に御所の警護)と徳川将軍が上洛した際の宿所として使う目的で徳川家康により建てられたものですが、江戸時代の末には大政奉還の舞台にもなります。
また元離宮二条城の名の由来ですが、二条城の名の建築物は過去にもいくつかありそれらとの区別のため、明治時代には天皇の別邸(離宮)として使われていたことから「元は離宮でもあった二条城」という意味を含んでいます。
紫色のマークが今回訪れた場所です。
三条から

京阪電車の三条駅を地上にあがり、三条大橋を市街へ向かいます。

この金色の鳥居が目立つ神社は、金銀銅などの金属や鉱物をまもる神様・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀っています。
それがどのような経緯でか、金運、招福、開運などに御利益があるということになり、小さい神社ながらも訪れる人が絶えません。
まあそれは当然でしょう。
思わず「おかね神社」と読みそうですが、「みかね神社」と読むそうです。
元離宮二条城



堀川通に面するこの東大手門が正門にあたるものです。
ここから先は料金が要ります
入城だけでも800円(入場料)、二の丸御殿に入るならさらに500円(拝観料)。
けっこう高いです。

東大手門から城内へ入り、つぎにこの唐門から築地塀の中へ入ります。
外観からいうと、この唐門が元離宮二条城のシンボル的な存在です。



二の丸御殿は接見のための建物で、大名や家臣の控えの間(遠侍)、取次の間(式台)、謁見の間(大広間)などの各建物がつながっています。
今回の一番の目的である狩野派の障壁画はここにあります。
とは言っても、この二の丸御殿で見られるものはすべて模写で、実物は保護のため収蔵館に収められています。
模写とは言え、二の丸御殿内は一見の価値ありです。写真撮影禁止のためサイトを添付します。
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/highlights/ninomaru/

収蔵館に収められた実物の障壁画ですが、そこはいかにも京都らしいところで、期間限定ですべてではなく少しずつ見せてくれます。すなわち全部見ようとすれば、何度も通ってそのたびに入場料を払わなければなりません。
収納館の展示スケジュール
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/tenji/



本丸御殿は現在修復中で、すっぽりカバーで隠されています。
公開は2024年以降とのことです。






神泉苑


元離宮二条城の南に隣接してある神泉苑に寄ってみました。
ここは歴史はずっと古く、平安時代に桓武天皇により禁苑(皇居の庭)としてつくられたものだそうです。
当時はいまよりもはるかに規模が大きかったそうですが、元離宮二条城の増設にともない敷地を削られたとか。
池に浮かぶかのように建つ善女龍王社は、日本中が日照りに苦しむとき天皇の勅命により、弘法大師がこの池の畔で祈って雨を降らせる力をもつ善女龍王を呼び、みごと雨を降らせたことからここに祀られることになったと言い伝えがあります。
晴明神社
帰りがけに、ずいぶん遠回りになるのですが、晴明神社に寄ってみます。
晴明神社は平安時代に天文暦学をきわめ、天文陰陽師となって活躍した安倍清明を祀っています。
陰陽師も時代とともに役割がかわってきますが、安倍清明の天文陰陽師としての役割は、星の位置や流星、雲の動きなどから世の吉兆凶兆を読むのが主だったようです。

魔除け厄除けのご利益があるそうで、ここも結構な人出でした。


御所を通って帰路につく


【アクセス】京阪三条駅から出町柳駅まで歩きました。18000歩
【満足度】★★★★☆