東本願寺と西本願寺を見くらべてみる

【京都市内 2022.9.18】
3連休2日目の今日も天気はすっきりしないので、いつ雨が降りだしても即避難できるように – – こんなときは京都の街歩きにかぎります。
鉄道駅からも近い東本願寺と、その西にある西本願寺をあわせて見にゆきたいと思います。
そもそもなぜ東本願寺と西本願寺がべつべつにあるのか?
もとはどちらも浄土真宗本願寺派で、8世宗主・蓮如上人の時代に近江を中心に大いに隆盛します。ところが既得権益の独占に異常なまでに執着する比叡山延暦寺ににらまれ蓮如上人は近江を離れざる得なくなります。そして行き着いた地がいまの大阪市(大坂城あたり)で、そこに石山本願寺をひらいてふたたび信者をあつめ布教活動にはげみます。
その後11世宗主・顕如上人の時代に天下布武をめざす織田信長と激突し、10年超の戦いをへて両者は和睦するのですが、顕如とその三男の准如が和睦をうけいれて紀州へ立ち退いたのに対して、長男の教如は和睦をこばみ徹底抗戦を主張します。
最期には教如も退くのですが、このとき顕如・准如(のちの本願寺派)と教如(のちの真宗大谷派)のあいだには溝ができてしまいます。
顕如が亡くなると、その溝はよりはっきりしたものになり、教如が自分につきしたがったものばかり重用すれば、准如は母(顕如の妻)如春尼の手を借りて12世宗主につこうと画策します。
さて顕如存命中に本願寺派は豊臣秀吉からの寄進で西本願寺を建立しますが、その間くすぶっていた真宗大谷派は関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利するとこれに取り入り、その助力を得て東本願寺を建立し巻き返します。

紫色のマークが今回訪れた場所です。

東本願寺

七条大橋をわたって西方向へ
東本願寺・御影堂門
御影堂門
御影堂門から御影堂をみる

東本願寺と西本願寺の共通した特徴は、阿弥陀仏を祀る本堂にあたる阿弥陀堂のほかに、親鸞聖人の御真影を祀る御影堂(ごえいどう)があり、この御影堂の方が阿弥陀堂よりも大きくて立派です。
なお東本願寺の御影堂は正面76m、奥行き58m、高さ38m、世界最大級の木造建築で、面積では東大寺の大仏殿より大きいそうです。

御影堂 / その先に阿弥陀堂
御影堂から御影堂門をみる
御影堂から阿弥陀堂へ
渡り廊下に置かれたソリ / このソリで材木を運んだ
立札があるからには、堂内で寝転ぶ人がいるのかな?
阿弥陀堂の釘隠し飾り
阿弥陀堂から
阿弥陀堂から御影堂をみる
手水舎

東本願寺の龍口の手水はことのほか立派なので撮影しておきました。
なぜ龍が水口(みなくち)となっているか、それは龍神が水をつかさどる神と昔からあがめられていたゆえです。
また寺の建物の天井によく龍の画が描かれていますが、これも龍神が寺(の建物)を火災から守ってくれるとの願いを込めてのことです。

本願寺に関しては、いままで訪ねた範囲ではどこも拝観料はいりません。もちろん今日訪ねる東西両本願寺ともに無料です。
これほどに立派なものを無料で見せてもらえるのは有難いことです。浄土真宗は南無阿弥陀仏と心をこめて祈れば誰でも救われるという他力本願思想なので、こうやって広く門戸をひらき自由にみてもらい感じてもらうことも布教活動のひとつと考えているのかもしれません。
ところで御影堂内はスマホで撮影はできませんが、御影堂内の賽銭箱はスマホアプリで賽銭できるようになっていました。
東本願寺・御影堂内観
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/411105

それでは500mほど離れた西本願寺にむかいましょう。

西本願寺

総門 / 道路の向こうに御影堂門がみえる
御影堂門
阿弥陀堂門
阿弥陀堂門
阿弥陀堂
阿弥陀堂から御影堂をみる

西本願寺にも本堂にあたる阿弥陀堂と、親鸞聖人を祀る御影堂がありますが、東本願寺では門を入り向かって右が御影堂、左が阿弥陀堂なのに対して、西本願寺ではその逆すなわち右が阿弥陀堂、左が御影堂となっています。
なぜ配置が逆になっているのかは調べましたが、わかりません。
もうすこし時間をかけて調べてみます。

※上記の疑問について、その後知るところがありました。
冒頭でも書いたように本願寺派と真宗大谷派は分裂したときから相容れぬものがありました。
さきにいまの地に寺院を建立したのは西本願寺(本願寺派)ですが、そのあと家康は真宗大谷派にたいしてよりによってすぐ近くに寺領をあたえここに東本願寺が建立されます。
家康が近接するよう寺領を与えたのは、本願寺両勢力の不仲を刺激し対立を深めることで、一向宗の巨大な力を削ぐのが目的だったのではないかとの説もありますが、ともかく西と東が犬猿の仲になったのは事実で、江戸時代がおわる戊辰戦争の際にも秀吉の世話になった西は倒幕派、徳川家に恩義のある東は佐幕派にわかれて争ったということです。
このはげしい不仲が、どうやら伽藍配置や仏具のちがいにまで及んだようです。

東本願寺と西本願寺の仏壇仏具のちがい(ちょっと興味深いサイトです)
https://www.e-butsuji.com/difference-of-obutsudan/

手水舎と御影堂(奥)
阿弥陀堂の釘隠し飾り
御影堂

西本願寺・御影堂内観
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189663

経堂
大銀杏 / 樹齢400年とか
唐門
唐門
かやぶき屋根が見事な境内の建物
通常は一般公開されていない庭園内の鐘楼

さて東本願寺と西本願寺を見くらべてみての感想ですが、どちらが見応えあるか(あるいはどちらが立派か)というのは個人々々の取りようで、何とも言えません。
ただ、似たような建物であっても東本願寺(真宗大谷派)の方が見てまわっているうちに真摯な気持ちになってきたように感じます。たとえば東本願寺の渡り廊下には「堂内では寝転ばないで下さい」の立札がありましたが、これは仏に対する最低限度の礼儀をわきまえろとの忠告であり、だれでもウェルカムではないということです。内観や仏具などいたるところに両者の差はまちがいなくあったと思います。そしてその差は、同じ日のうちに合わせてみることで感じ取れるものなのではないでしょうか。

本願寺伝道院 / 総門の手前(外側)に建つ

明治28年に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋であったもので、いまは僧侶の教化育成の場として使われているそうです。
なぜ宗教団体が生命保険会社をつくったかについては、ある書によれば、キリスト教の広まりに対する危機感から、その対策費をねん出する目的ではなかったかと書いていましたが、さてどうなのでしょう。

今日見てまわった東西両本願寺だけでも京都駅近くの一等地に広大な土地を所有しています。
寄進、賽銭、宗教グッズの売り上げに対して課税されないのはもちろん、この広大な所有地に対しても本来なら課税されるはずの固定資産税が免除されています。
対して京都市は税収が少なく、早ければ10年以内に財政破綻するとまでいわれているのが現状です。

【アクセス】京阪七条駅より歩き、京阪四条駅まで戻りました
【拝観料】すべて無料です
【満足度】★★★★☆