赤穂義士討入と塩との関連は、ない

【兵庫県・赤穂市 2022.11.3】
1701年、播州赤穂藩の藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸城の松之廊下にて高家旗本・吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)に突然切りかかります。吉良氏は命に別状はなかったものの、江戸城殿中でしかも吉良氏が職務として朝廷の使者の接待をしている最中の刃傷沙汰ということもあって、浅野氏はその日の内に切腹を申し渡されます。これが赤穂事件の前半部です。
浅野長矩は即日切腹を命じられ播州赤穂の所領も没収となったにもかかわらず、吉良氏にはなんらお咎めもなく、それに反発した家臣たちが一旦は御家のために忍従しようとしたものの、ついに堪忍袋の緒が切れて筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心に赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入り、吉良義央を討ち首をはね浅野長矩の墓前に供えて恨みをはらします。これが赤穂事件の後半部になります。
この赤穂事件はなんども映画やテレビドラマになっていますが、設定は必ずと言っていいほど吉良義央が悪者、赤穂浪士47名は義憤にかられ自らの命をかけて仇討ちをしたヒーローとして扱われています。
なぜ浅野長矩が突然吉良義央を切りつけたのか、その理由はまったくわかっていません。もしかするとそのとき突然神経障害(パニック障害、あるいは発狂)に陥ったのかもしれません。
「喧嘩両成敗」でないことに我慢ならなかったとはいえ、そもそも喧嘩ではなく浅野氏からの一方的な攻撃であれば両成敗する方がおかしいということになります。
「仇討ち」といえば聞こえはよいですが、単なる復讐に過ぎなかったのかもしれません。
さて今日は、そんな浅野長矩と赤穂浪士の故郷である兵庫県・赤穂市を見て歩きます。

紫色のマークが今回訪れた場所です。

赤穂の街をあるく

JR播州赤穂駅の階段には
赤穂浪士の姿絵が飾られています。
駅から赤穂城へとつづく道

おそらくは市の条例で、高層ビルが建てられないだけでなく、駅から城への道路「お城通り」沿いでは洋風建築すら認められず景観を保っているのでしょう。
その心意気はよいのですが、祝日だというのになんという人通りの少ないこと。

通称「息継ぎの井戸」

君主・浅野内匠頭長矩による刃傷沙汰を急報するため、江戸より4昼夜早かごに揺られつづけて赤穂にたどり着いた藩士2名が城下に入り、この井戸の水をのんで一息ついたと伝えられています。

ここにも観光客はいません。

花岳寺

花岳寺(かがくじ)は、赤穂歴代藩主である浅野家、永井家、森家の菩提寺であり、大石内蔵助ほか赤穂浪士の香華院(菩提所)でもあります。

浅野家霊廟
赤穂浪士の墓所

赤穂浪士面々の墓標には、自刃(切腹)のため戒名にはすべて「刃」の文字が刻まれています。
浪士面々の遺骸は江戸で葬られているため、ここには遺髪のみを納めているそうです。
ところで花岳寺の案内でもそうですが、赤穂にきて気づいたことは、つねに「赤穂浪士」ではなく「赤穂義士」と記しています。「義士」とは忠義にあつい人のことで義憤から仇討ちはあっても、個人的な心情や信念から復讐などに走る人のことは指しません。
さて赤穂浪士は本当に「義士」だったのか、そして忠臣蔵の話そのものは真に美談と言えるのか、少々疑問があります。

赤穂城址・石垣

大手櫓と大手門

赤穂城は櫓や塀など建造物はすべて再築したものですが、石垣は補修はしているものの現存物です。
先に外周をまわって石垣を見ておきます。

大手門から入る

大手門
大手門内側から大手櫓をみる
大石宅跡

大手門から入り虎口を回り込むとすぐに大石内蔵助の邸宅跡があります。
やはり筆頭家老ということでこの位置に屋敷を構えていたのでしょうか。

本丸

本丸門
本丸をかこむ石垣と堀
本丸門を入る
本丸御殿跡 / 天守台よりのぞむ
厩口門

二之丸から本丸門をぬけて本丸へはいり、天守台から本丸御殿跡をのぞみ、天守台横の厩口門からふたたび二之丸へ戻ってきたことになります。

大石神社

大石神社・両脇に赤穂浪士(義士)の像がならぶ
拝殿 / ここにはそこそこ観光客(?)がいました
さて城外に出て大手櫓の方へ歩いてゆきます
大手櫓の先に、なぜ櫓が??

大手櫓の先は堀で仕切られた城外ですからそこに櫓があるはずがありません。
じつはこれ、商店(土産物だったか饅頭だったか)で、なんとも紛らわしい建物。あざとい商売。トリプルの ✖✖✖ です。

海洋科学館

千種川をわたって西へと歩きます

赤穂城から西へあるき、千種川をわたって南、海岸方向にむかうと兵庫県立海浜公園があります。
その一角に赤穂市立海洋博物館があり、製塩についての紹介をしている(塩の国)とのことなので寄ってみます。
そうです、赤穂は塩の特産地でもあります。

揚げ浜式製塩
入浜式製塩
流下式製塩

製塩について興味のある方は、下のサイトでご覧ください。
http://museum.starfree.jp/205_seien/304salt3.html




ところで赤穂事件の発端に関して、吉良上野介が赤穂における製塩法のすべてを知りたくて浅野内匠頭に執拗に問いただし、浅野氏がかたくなに秘密を守ろうとしたため嫌がらをうけ、そのため頭にきて殿中での刃傷沙汰に及んだとの説があるのですが、これはあり得ない、どなたかの妄想じみた説のようです。
そもそも吉良氏は江戸城での朝廷筋との接待がお役目ですから、製塩法を知ってもなんら利にはなりません。
また当時の製塩法は、日本各地で研究され互いに教え合って発展していたもので、赤穂藩も仙台藩などに技術を伝えた史実が残っているので、秘密を守るために沈黙を通すということも有りえないでしょう。
むしろ気になるのは、吉良上野介を悪役とし赤穂浪士を忠義の人とする構図をかためるため、このような妄想じみた説が流布されているのだとすれば – – –
もしかすると赤穂事件はずいぶん脚色されたものかもしれません。

赤穂御崎

この印象的な光景を見たくてきたのですが
実情はこれです / 伊和都比売神社
御崎をまわる遊歩道をあるき
ここを最後に播州赤穂駅へ戻ります

【アクセス】JR播州赤穂駅から歩き、同駅へ戻りました。歩数28000歩
【入場料】花岳寺(墓所、史料館)拝観料400円、海洋博物館200円
【満足度】★★★★☆