神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.9.18】3連休2日目の今日も天気はすっきりしないので、いつ雨が降りだしても即避難できるように – –... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,京都

【長岡京市~京都市 2022.9.11】明智光秀は本能寺で信長を討ったあと、中国地方で毛利と対陣していた秀吉がそれほどまでに早く畿内へ駆け戻るとは予想もしていなかったのでしょう。山崎の合戦(天王山の戦い)に挑むまでの行動をみると、杜撰ともいえるほどにすべての準備が不十分です。山崎の合戦は、秀吉が勝ったというよりも、光秀が負けるべくして負けたというべきです。その敗北のあと光秀はいったんは、実娘たま(のちのガラシャ)が輿入れした細川家の元居城であった勝龍寺城へ引きますが、その勝龍寺城は小規模で秀吉の軍勢を迎え撃つには不向きなため、京をぬけて坂本城まで撤退しようと試みます。そしていまの京都市伏見区をわずかな供廻りと通過しているとき、小栗栖という地で一説には落ち武者狩りにあって無念の死をとげます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 勝龍寺城 勝龍城... Read More | Share it now!

神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都市西京区 2022.6.18】今日は京都市の西の端(西京区大原野)にある善峯寺(よしみねでら)へ紫陽花を見に行きます。阪急電車・東向日駅で下車、駅前からおよそ1時間に1本あるバスで北の山間部へと向かいます。 バスは山中へと入ってきました。 バス停から緑濃い参道を上ります。 東門にたどり着きます。 バス停から東門へはそこそこの急坂を、そこそこ上ります。 山門 寺の境内へとはいる門(三門)は山でなくても山門と書くことがありますが、ここの三門はまさに山門です。麓から歩いてきたらずいぶんたいへんだと思います。 拝観料(入山料)... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.5.15】本能寺の変は、言うまでもなく明智光秀がおこした謀反ですが、その裏には朝廷が関わっていたのではないかという推論が最近では主流になっています。朝廷(天皇と公家)がまさに企画・立案し、光秀をそそのかすか、だますかして信長を殺させたということです。この場合、世間的には謀反であり謀殺ですが、朝廷の命であれば光秀にとっては勅命であり誅殺のつもりだったことになります。さて朝廷陰謀説が正しいならば、公家の中では近衛前久(このえさきひさ)は間違いなく関わっていたでしょう。吉田兼見も無関係ではないはずです。そして秀吉(当時は羽柴秀吉)-... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.4.23】今日は大徳寺・総見院で期間限定公開されている織田信長の木座像を見にゆきます。もっとも、せっかく京都まで出てきたのにそれだけではもったいないので、大徳寺への道すがら、さらに大徳寺からの帰り道にぶらぶら市内を散策してみたいと思います。 賀茂川 賀茂川の河川敷を北へ 京阪出町柳駅を出るとすぐに高野川と賀茂川とが合流する鴨川デルタをわたり、さらに賀茂川を北へと歩きます。 阿弥陀寺 阿弥陀寺・本殿 京阪出町柳駅から1kmはないです。10分ほどで阿弥陀寺につきます。もとは清玉上人が近江坂本に創建したものですが、その後信長の庇護のもと京都へ移転します。当時は信長の保護と厚遇をえてたいへん大きな寺だったようです。 本能寺の変で信長が討たれた際には、清玉上人みずから本能寺へのりこみ、その遺体だか遺骨だかを持ちかえり、ここに埋葬したと伝えられています。(あくまで、言い伝えです 信長と清玉上人の関係http://annai.demachi.jp/uno/page075.html 阿弥陀寺裏の墓地にある、清玉上人の墓 信長の死後、その後継者としての地位を固めるため羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、みずから主導で一周忌法要をおこなうべく、清玉上人にたいして信長の遺骨を引き渡すよう求めます。ところが清玉上人は、秀吉が天下人たらんと企み、信長謀殺すなわち本能寺の変になんらかの形で関わっていたことを察知しており、そのような者に信長公の遺骨を渡すわけにはいかぬと断固拒否します。(あくまでひとつの説です)そこで登場するのがこれから見にゆく信長の木座像で、秀吉は遺骨がないのでかわりに木座像をつくって棺に入れたと伝えられています。 上御霊神社 上御霊神社 さらに北西方向に500mほどあるくと上御霊神社につきます。御霊神社は京都だけでなく、日本各地にあります。もともとは地震カミナリなどの天変地異や疫病の流行は○○様の怨霊によるものだとの土着信仰があり、その怨霊を鎮めるために建立したのがはじまりです。ちなみにここから2kmほど南には、下御霊神社があります。 上御霊神社・本殿 拝殿には神輿が祀られていました。 あまり見る機会はないので貴重な撮影になります。 この地は応仁の乱のはじまりの地でもあるそうです。東軍方(畠山政長)がこの地に陣をしき、西軍方(畠山義就)がこれを襲撃したことで泥沼のような戦いがスタートします。 上御霊神社には、最恐の怨霊が祀られている?http://kyoto.free-travel.jp/power-spot-256/ 妙覚寺 妙覚寺・大門 次は西方向に1kmも歩かないくらいで妙覚寺です。妙覚寺は(場所も建物も変わっていますが)本能寺の変の際、信長の嫡男・信忠が500人ほどの馬廻衆とともに宿泊していた場所です。 ところで信長が本能寺に滞在しておりそこで事変がおきたので「本能寺の変」ですが、それ以前は信長も京滞在の折にはずっとこの妙覚寺を宿泊地にしていました。 妙覚寺大門の上部 寺とはいえやはり防御の機能を備えていたようで、入口・大門を下から見上げると、梁部分に人が潜めるようになっているのがわかります。 妙覚寺・本殿 「坊主丸儲け」なんてむかしの話なのか、最近はお寺の大変そうな光景をよく見かけます。ここ妙覚寺はこの本堂の裏(もちろん境内)が、月極駐車場になっていました。本堂をこちら側から撮影したのも、反対側から撮ると、駐車している佐〇急便のトラックがもろに写ってしまうがためです。 水火天満宮 妙覚寺からすぐ西に、水火天満宮があります 水火天満宮の拝殿 乗馬を禁ずる石柱 水火天満宮は菅原道真を祀っており、水難、火難などの災難除けのご利益があります。 ところでここの境内には、貴重な石柱が残っています。「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」ここから洛中のため馬に乗ってはいかん。ちなみにこの石柱のずっと先に京都御所がいまもあります。 大徳寺・総門 大徳寺まで出町柳駅から3kmほど道のりですが、あれこれ見て歩いていたら2時間以上かかりました。大徳寺と建勲神社については、https://yamasan-aruku.com/aruku-35/ バス停の広告 建勲神社のある船岡山を下りてきたところで、いかにも京都らしい広告をみつけました。 ところで今どこに向かっているかというと、秀吉が自分の甥であり跡取り候補だった秀次のために(?)建て、その秀次を謀反の疑いで追放すると同時に破却した聚楽第の、その石垣がわずかに残っている現場に向かいます。 聚楽第の石垣 聚楽第石垣・中央から左側 聚楽第石垣・中央から右側 中央から左右を撮影しました。これで全容のすべてで、これだけしか残っていません。どこにあるかというとすんなりわかる場所ではなく、民間のマンションの駐車場のさらにその奥にあります。本来自由に出入りしてよい場所ではないでしょうから、詳細は書きません。興味のある方はネットでしらべて大方の見当をつけ、じっくり探してみてください。 聚楽第はどこにhttps://www.kyoto-arc.or.jp/heiansannsaku/jurakudai/img/20jurakudai.pdf 堀川通を南へ歩きます... Read More | Share it now!

千利休,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.4.23】京都の大徳寺はもともとが大寺院ゆえ、境内にはたくさんの塔頭寺院があります。そしてたいへん商売上手で(失言!すみません)、年間を通してその塔頭寺院ごとに期間限定で「特別公開」を行い、お陰様でわれわれ歴史ファンやお寺好きの人達はなんども足を運ぶはめになります。なんども足を運べば、それこそお百度詣りのごとくにご利益いっぱいとなるだろかと迷いながらも信じて、今回も参詣します。さてお目当ては、総見院にて春の特別公開の目玉である、信長公木座像です。 大徳寺 大徳寺・総門 大徳寺まで、京阪出町柳駅から3kmほどの距離ですが、あれこれ寄り道していたら2時間以上かかり、正午過ぎになりました。 大徳寺・勅使門、奥に山門 大徳寺・山門 山門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・八幡市~京都市伏見区 2022.3.12】石清水八幡宮のあとは、木津川をのぼって流れ橋を訪ね、そこから北へとあるいて京都市伏見区にある城南宮にしだれ梅を見にゆきます。 安居橋 安居橋 石清水八幡宮(男山)の裏参道を下ってくると、この安居橋(あんごばし)の手前に出てきました。この位置からみると歴史を感じさせる橋なのですが、階段をおりて川床から見上げると、橋脚はコンクリート製、橋自体も鉄骨で骨組みをつくりその上に板を貼り付けた代物でした。 安居橋を取り入れたマンホール 流れ橋 流れ橋と茶畑 石清水八幡宮から4,5kmほど歩いた先にある「流れ橋」に到着しました。 流れ橋 流れ橋はさきほどの安居橋とはちがい完全な木製の橋で、時代劇の撮影などにもしばしば使われているそうです。 流れ橋には手摺、柵はありません 何故かというと、川が氾濫すると橋板が流され、このロープで川面を漂い、水量が減ると引っ張りあげて元に戻す仕組みだからです。 対岸の茶畑 ここから城南宮にむかって10kmほど北へと歩きます。 久御山ジャンクション... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都・大山崎町~八幡市 2022.3.12】今年正月に天王山に登りましたが、見逃したものがあるので大山崎を再訪し、そこから桂川、宇治川、木津川をわたって石清水八幡宮に参詣します。 離宮八幡宮 大山崎・離宮八幡宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.3.5】今年で20回目をむかえる東山花灯路ですが、哀しいことに今年が最後となるそうです。理由はなんだかんだといってますが、要は財政難ということのようです。ちょっと信じがたい話ですが、このままゆくと京都市は10年以内に財政破綻する可能性が大だとか。なぜそんなことになったのか。https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210526-OYT1T50096/ そんなこんなで、もう来年からは見られなくなるそうなので、自分にとってはこれが通算3回目になる、最後の東山花灯路を見にきました。 東山花灯路 一般の公園にも美しい電飾 花灯路の名のとおり灯路を歩きます 青蓮院門跡 青蓮院門跡外観 青蓮院門跡につきました。 庭園 宸殿(しんでん)と前庭 この竹林のライトアップは見事でした 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は比叡山延暦寺・東塔にあった青蓮坊を起源としています。すなわちここは天台宗の由緒ある門跡寺院です。 門跡寺院とは、皇族や摂関家(公家のなかでも関白や摂政をだす名門)の子弟が門主をつとめた歴史のある格式高い寺院をそう呼びます。この青蓮院の場合は、鳥羽上皇が皇子をあずけたそうです。ところで上の写真の「宸殿(しんでん)」とは、宮殿にちかい意味をもち、門跡寺院特有のものです。寺領内でもっとも大きな建物としてつくられ、主要な法要はすべてここでおこないます。 円山公園 知恩院のまえに飾られたアート 円山公園内を飾るアート 円山公園 花灯路を歩く 左に見えるのは大雲院の祇園閣 右は大雲院 二年坂 二年坂からのぞいた小路 二年坂、そのいわれはhttps://thegate12.com/jp/spot/2691 八坂の塔 八坂の塔... Read More | Share it now!