【京都府・福知山市 2022.11.27】明智光秀が築いた城はたくさんあります。居城としての機能も備えた坂本城、丹波亀山城、戦の拠点とする目的でつくられた金山城、周山城。そして本能寺の変の3年前、光秀が西丹波統治に拠点として築いたのが福知山城です。光秀はこの地を治めるにあたって、領民に課す地子銭(税)を免除するだけでなく、城下町の整備にも力を入れます。たとえば川沿いに竹藪をつくることで治水につとめたそうで、この竹藪はいまでも明智藪と呼ばれています。この明智藪、元は違う呼び名だったそうですが、明智光秀の功績をたたえる意味でそう呼んで市民から親しまれてきたということで、福知山で光秀がいかに大切にされてきたかが窺えます。そもそも福知山を訪ねてみようと関心を持ちはじめたキッカケは、市内にある御霊神社の存在です。御霊神社とは、生前に人々から慕われていたひとが冤罪などにより貶められた場合に、その人の霊を祀ってなぐさめるもので、ここ福知山の御霊神社には明智光秀が祀られています。すなわち本能寺の変により光秀が逆臣とされたのは冤罪だと、福知山ではむかしから考えられていたということになります。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 福知山城へ JRの車窓から福知山城が見えました(中央) JR福知山線の黒井駅から30分ほどで福知山駅に着きます。列車が駅ホームに入る直前ぐらいに窓の外を眺めていると福知山城がばっちり見えます。 市役所前 福知山駅で下車してさっそく城に向かいます。徒歩15分ぐらいでしょうか。駅から10分ほど歩いてくると市役所があり、このあたりから城の全体が見えてきます。 福知山城 北東に登城口があり、ぐるっと回って南面 さらに回って西面... Read More | Share it now!
モミジの永観堂へ、ライトアップを見に行く
【京都市・左京区 2022.11.21】今秋は前々回の高取城と前回の醍醐寺と、紅葉狩りを堪能してきたので、今日は趣向をかえて紅葉のライトアップを見に行くことにしました。めざすは、むかしから「秋はモミジの」とまで言われてきた、紅葉のメッカ(?)京都・東山の永観堂です。京都の人気紅葉スポットでは毎年トップ争いの常連で(対抗は東福寺、清水寺)、関西全域にひろげても常に上位(トップは常に滋賀・高島市のメタセコイア並木)に入っている超有名なところですので、いかにもミーハーな選択ではありますが、そこは「秋はモミジの永観堂」ということで、ホイホイと出かけます。なお京都・東山の永観堂と書きましたが、永観堂は東山区には属さず、その北の左京区にあります。しかし平安神宮や銀閣寺もふくめ比叡山より南は東山界隈と呼ばれており、いわゆる「東山」と東山区は同じではないようです。 紫のマークが今回訪れた場所です。 モミジの永観堂へ 京セラ美術館 京都市美術館がリニューアルした際、ネーミングライツを京セラに売ったもので、京セラが運営する美術館ではありません。ところでリニューアル後、来館者はいくらか増えたのでしょうが、京都市の負担は激増しているそうで、これも自治体破産もあり得るとウワサされる京都市にはアタマの痛いところでしょう。 総門 永観堂の正式名称は「(山号)... Read More | Share it now!
樂美術館から紅葉の醍醐寺へ
【京都市上京区、伏見区 2022.11.15】今日は樂焼の窯元・樂家の作品をみられる樂美術館へ、「利形の守・破・離」をテーマに季節展示会を開催しているので先ずはそこを見学し、それだけで帰るのはもったいないので、やや大回りになりますが、山科からすこし南、伏見区にある醍醐寺で紅葉を堪能しようと思っています。 まず樂焼について。茶聖といわれた千利休は、茶器(茶碗や茶釜や茶壺など)に高価な名物を使うのではなく、また豪華でなくきらびやかでなく、むしろ簡素な中に深い味わいのある精神的な豊かさをもとめて、茶の湯の世界に新しい価値観を想像します。その完成形が「侘び茶」ですが、茶碗といえばそれまで唐物とよばれるブランドものが絶対人気だったところに、ロクロを使わず手で捏(つく)ねヘラで削って形をつくり、彩色をせず、釉(うわぐすり)だけをかけて焼く、たいへんシンプルな茶碗を登場させます。これが樂焼きであり、釉のかけ方と焼き方の違いで仕上がりの色が変わり、黒樂茶碗と赤樂茶碗があります。初代陶工は長次郎といい、もとは瓦職人だったようです。千利休と瓦職人の長次郎がどこでどうして出合ったのかは不明なのですが、ともに惹かれるものがあり文字通り二人三脚で試作をつづけ、ついに黒樂茶碗を完成させます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 樂美術館 樂家宅と隣接する樂美術館 樂美術館の所蔵品は、樂焼きの後継者たちが手本として常に触れることができるように、代々の作品を残してきたものが中心になっています。今回の展示会のテーマは「利形の守・破・離」利形とは利休の美意識をもとにした様式美守は伝統を守り継承すること破は伝統を破り新たな挑戦離は守・破から脱皮し、自由な精神にいたること代々(初代から16代目まで)の作品を、それぞれ守・破・離の段階ごとにわけて展示してありました。 晴明神社... Read More | Share it now!
東本願寺と西本願寺を見くらべてみる
【京都市内 2022.9.18】3連休2日目の今日も天気はすっきりしないので、いつ雨が降りだしても即避難できるように – –... Read More | Share it now!
京都で、明智光秀が敗走した道を歩いてみた。
【長岡京市~京都市 2022.9.11】明智光秀は本能寺で信長を討ったあと、中国地方で毛利と対陣していた秀吉がそれほどまでに早く畿内へ駆け戻るとは予想もしていなかったのでしょう。山崎の合戦(天王山の戦い)に挑むまでの行動をみると、杜撰ともいえるほどにすべての準備が不十分です。山崎の合戦は、秀吉が勝ったというよりも、光秀が負けるべくして負けたというべきです。その敗北のあと光秀はいったんは、実娘たま(のちのガラシャ)が輿入れした細川家の元居城であった勝龍寺城へ引きますが、その勝龍寺城は小規模で秀吉の軍勢を迎え撃つには不向きなため、京をぬけて坂本城まで撤退しようと試みます。そしていまの京都市伏見区をわずかな供廻りと通過しているとき、小栗栖という地で一説には落ち武者狩りにあって無念の死をとげます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 勝龍寺城 勝龍城... Read More | Share it now!
京都・善峯寺へ紫陽花を見にゆく
【京都市西京区 2022.6.18】今日は京都市の西の端(西京区大原野)にある善峯寺(よしみねでら)へ紫陽花を見に行きます。阪急電車・東向日駅で下車、駅前からおよそ1時間に1本あるバスで北の山間部へと向かいます。 バスは山中へと入ってきました。 バス停から緑濃い参道を上ります。 東門にたどり着きます。 バス停から東門へはそこそこの急坂を、そこそこ上ります。 山門 寺の境内へとはいる門(三門)は山でなくても山門と書くことがありますが、ここの三門はまさに山門です。麓から歩いてきたらずいぶんたいへんだと思います。 拝観料(入山料)... Read More | Share it now!
京都・東山界隈の、戦国歴史ゆかりの地をあるく
【京都市内 2022.5.15】本能寺の変は、言うまでもなく明智光秀がおこした謀反ですが、その裏には朝廷が関わっていたのではないかという推論が最近では主流になっています。朝廷(天皇と公家)がまさに企画・立案し、光秀をそそのかすか、だますかして信長を殺させたということです。この場合、世間的には謀反であり謀殺ですが、朝廷の命であれば光秀にとっては勅命であり誅殺のつもりだったことになります。さて朝廷陰謀説が正しいならば、公家の中では近衛前久(このえさきひさ)は間違いなく関わっていたでしょう。吉田兼見も無関係ではないはずです。そして秀吉(当時は羽柴秀吉)-... Read More | Share it now!
京都市内ぶらぶら歩き・上京区~中京区
【京都市内 2022.4.23】今日は大徳寺・総見院で期間限定公開されている織田信長の木座像を見にゆきます。もっとも、せっかく京都まで出てきたのにそれだけではもったいないので、大徳寺への道すがら、さらに大徳寺からの帰り道にぶらぶら市内を散策してみたいと思います。 賀茂川 賀茂川の河川敷を北へ 京阪出町柳駅を出るとすぐに高野川と賀茂川とが合流する鴨川デルタをわたり、さらに賀茂川を北へと歩きます。 阿弥陀寺 阿弥陀寺・本殿 京阪出町柳駅から1kmはないです。10分ほどで阿弥陀寺につきます。もとは清玉上人が近江坂本に創建したものですが、その後信長の庇護のもと京都へ移転します。当時は信長の保護と厚遇をえてたいへん大きな寺だったようです。 本能寺の変で信長が討たれた際には、清玉上人みずから本能寺へのりこみ、その遺体だか遺骨だかを持ちかえり、ここに埋葬したと伝えられています。(あくまで、言い伝えです 信長と清玉上人の関係http://annai.demachi.jp/uno/page075.html 阿弥陀寺裏の墓地にある、清玉上人の墓 信長の死後、その後継者としての地位を固めるため羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、みずから主導で一周忌法要をおこなうべく、清玉上人にたいして信長の遺骨を引き渡すよう求めます。ところが清玉上人は、秀吉が天下人たらんと企み、信長謀殺すなわち本能寺の変になんらかの形で関わっていたことを察知しており、そのような者に信長公の遺骨を渡すわけにはいかぬと断固拒否します。(あくまでひとつの説です)そこで登場するのがこれから見にゆく信長の木座像で、秀吉は遺骨がないのでかわりに木座像をつくって棺に入れたと伝えられています。 上御霊神社 上御霊神社 さらに北西方向に500mほどあるくと上御霊神社につきます。御霊神社は京都だけでなく、日本各地にあります。もともとは地震カミナリなどの天変地異や疫病の流行は○○様の怨霊によるものだとの土着信仰があり、その怨霊を鎮めるために建立したのがはじまりです。ちなみにここから2kmほど南には、下御霊神社があります。 上御霊神社・本殿 拝殿には神輿が祀られていました。 あまり見る機会はないので貴重な撮影になります。 この地は応仁の乱のはじまりの地でもあるそうです。東軍方(畠山政長)がこの地に陣をしき、西軍方(畠山義就)がこれを襲撃したことで泥沼のような戦いがスタートします。 上御霊神社には、最恐の怨霊が祀られている?http://kyoto.free-travel.jp/power-spot-256/ 妙覚寺 妙覚寺・大門 次は西方向に1kmも歩かないくらいで妙覚寺です。妙覚寺は(場所も建物も変わっていますが)本能寺の変の際、信長の嫡男・信忠が500人ほどの馬廻衆とともに宿泊していた場所です。 ところで信長が本能寺に滞在しておりそこで事変がおきたので「本能寺の変」ですが、それ以前は信長も京滞在の折にはずっとこの妙覚寺を宿泊地にしていました。 妙覚寺大門の上部 寺とはいえやはり防御の機能を備えていたようで、入口・大門を下から見上げると、梁部分に人が潜めるようになっているのがわかります。 妙覚寺・本殿 「坊主丸儲け」なんてむかしの話なのか、最近はお寺の大変そうな光景をよく見かけます。ここ妙覚寺はこの本堂の裏(もちろん境内)が、月極駐車場になっていました。本堂をこちら側から撮影したのも、反対側から撮ると、駐車している佐〇急便のトラックがもろに写ってしまうがためです。 水火天満宮 妙覚寺からすぐ西に、水火天満宮があります 水火天満宮の拝殿 乗馬を禁ずる石柱 水火天満宮は菅原道真を祀っており、水難、火難などの災難除けのご利益があります。 ところでここの境内には、貴重な石柱が残っています。「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」ここから洛中のため馬に乗ってはいかん。ちなみにこの石柱のずっと先に京都御所がいまもあります。 大徳寺・総門 大徳寺まで出町柳駅から3kmほど道のりですが、あれこれ見て歩いていたら2時間以上かかりました。大徳寺と建勲神社については、https://yamasan-aruku.com/aruku-35/ バス停の広告 建勲神社のある船岡山を下りてきたところで、いかにも京都らしい広告をみつけました。 ところで今どこに向かっているかというと、秀吉が自分の甥であり跡取り候補だった秀次のために(?)建て、その秀次を謀反の疑いで追放すると同時に破却した聚楽第の、その石垣がわずかに残っている現場に向かいます。 聚楽第の石垣 聚楽第石垣・中央から左側 聚楽第石垣・中央から右側 中央から左右を撮影しました。これで全容のすべてで、これだけしか残っていません。どこにあるかというとすんなりわかる場所ではなく、民間のマンションの駐車場のさらにその奥にあります。本来自由に出入りしてよい場所ではないでしょうから、詳細は書きません。興味のある方はネットでしらべて大方の見当をつけ、じっくり探してみてください。 聚楽第はどこにhttps://www.kyoto-arc.or.jp/heiansannsaku/jurakudai/img/20jurakudai.pdf 堀川通を南へ歩きます... Read More | Share it now!
京都・大徳寺へ、信長の木座像を見にゆく
【京都市内 2022.4.23】京都の大徳寺はもともとが大寺院ゆえ、境内にはたくさんの塔頭寺院があります。そしてたいへん商売上手で(失言!すみません)、年間を通してその塔頭寺院ごとに期間限定で「特別公開」を行い、お陰様でわれわれ歴史ファンやお寺好きの人達はなんども足を運ぶはめになります。なんども足を運べば、それこそお百度詣りのごとくにご利益いっぱいとなるだろかと迷いながらも信じて、今回も参詣します。さてお目当ては、総見院にて春の特別公開の目玉である、信長公木座像です。 大徳寺 大徳寺・総門 大徳寺まで、京阪出町柳駅から3kmほどの距離ですが、あれこれ寄り道していたら2時間以上かかり、正午過ぎになりました。 大徳寺・勅使門、奥に山門 大徳寺・山門 山門... Read More | Share it now!