街歩き・山歩き,兵庫

【神戸市・2025.2.14】「ろくでなし」の語の由来をご存じでしょうか?建築用語で「陸屋根ろくやね」とは水平な屋根のこと、「陸墨ろくずみ」は建築現場で水平をしめす墨跡、すなわち陸ろくは「水平や平坦」から「まっすぐ、正しい、完全」などの意味をもちます。「陸ろくでなし」はその陸を否定しているわけですから「役立たず、ゲス」などの意味になります。 神戸市新神戸駅近くにある竹中大工道具館の門前に立つと、「ろくでなし」やら「うだつが上がらない」などの語の由来を問うポスターが迎えてくれます。門を入るといかにも楽しみが待っているであろう期待感がふくらみます。 竹中大工道具館へ フラワーロードを北上し生田川を渡る前方のビル群のかげに、 めざす建物はあります 門から庭、建物へと落ち着いた雰囲気 かんな型の入場券 古代から現代の大工仕事 展示室に入ると、釘も接着剤もまったく使わずに精巧に組み上げた寺社建築の復元物に目がひかれます。 唐招提寺金堂を修築するさい実際に使った型 実際に使われた成形木材を再現 作業の様子は画像でも見られる 唐招提寺・金堂... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,兵庫

【兵庫県・西宮市~芦屋市 2025.1.30】六甲山系の東寄り(すなわち大阪寄り)に海側から登るときは西宮市または芦屋市の鉄道沿線から歩きはじめることになります。JR、阪急、阪神の3路線で行けますが、いずれにしろ降車した駅から山手に向かって歩くことになります。この場合の山手はイメージ通りの「山の手」で、なかには関西屈指の高級住宅街もふくまれています。じつはこの山の手が苦手です。理由はお金持ちが住んでいる地域だから、ではありません。お金持ちが集まって住んでいるのは一部地域で大半は平均的な庶民が暮らす住宅地です。下町との違いは、住宅地が独立しており店舗が少ない。コンビニもほとんど見かけない、規制で自動販売機すらない地域もある。すなわち不便。周囲はえんえんと住宅がつづくだけで風景に趣きがない、そのなかを急な坂道、しかも舗装された路面の固い道路が山へとむかって伸びている。楽しくもないし足は痛い。 とうことで敬遠しがちなのですが、山手の住宅地をすぎるとそこにあるのはどこにもある山。私にとっては大阪市内から往復1000円以下で行けるうえに歩きごたえのある有難い山々です。 甲山 甲陽園駅から住宅地を上がってゆく 坂道のピークで甲山が見えた 甲山の中腹にある神呪寺・仁王門 境内 境内奥の鳥居をぬけて甲山登山道がつづく 神呪寺かんのうじは神を呪のろうではなく、神呪が呪文じゅもんと同義語だそうで、ここは真言宗の寺ゆえ「真言の寺」くらいの意味合いではないでしょうか。 階段道を上がって行きます 大阪湾と、西宮~尼崎~大阪の町を見わたす 甲山山頂 甲山は標高309m、山頂こそなにもありませんが、山腹および周辺には神呪寺をはじめ多数の社寺、また甲山森林公園もあり、「歩きごたえのある散歩」にはもってこいの場所です。 北山貯水池 甲山を西へ下ると北山貯水池が見えてくる 北山貯水池を時計回りにまわる後方に六甲の山並み ふり返ると、甲山の全姿 甲山の位置づけは六甲山系の前座といったところでしょうか。独立した山で六甲山地には含まれても六甲山系にはふくまれません。これから登るガベノ城からゴロゴロ岳は、六甲山系にはふくまれますが、六甲山脈からはわかれて標高も低く海側に連なっています。※山脈(連山も類義語)が複数並行するものが山系、かたまりになっているものが山塊、ひろく一帯に山が集まっている場合は山地と呼び分けているようです。 ガベノ城 すっかり下りてしまいましたあらためて山手住宅地の舗道を上ります やっと山らしい風景になってきた 岩盤の急坂がつづきます 上の山頂あたりがガベノ城 ふり返ると、左に甲山 ガベノ城の石垣か? ここが山頂、ということはガベノ城の主郭? 本当にガベノ城なる城があったのか、帰宅してしらべたところ、ある朝日新聞の記事を見つけました。西宮市教育委員会文化財課の方の推測となっていますが、現場が城跡とは考えられない、石垣も城の防御にしては小ぶりすぎ治山目的で造られたのではないか、だれかがこの石垣をみて城と勘違いしたのでは、ということでした。朝日新聞の記事http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW20160314290690002.html ゴロゴロ岳 ゴロゴロ岳へは軽いアップダウン 見晴らしのよいところがありました ここがゴロゴロ岳山頂 写真には映らないようにしていますが、山頂一帯は保養施設のごとき建物が多数あり、とうぜん自動車で上がれる別の道がつくられていました。またゴロゴロ岳の名前の由来ですが、岩や石がごろごろあるからだろうと思っていたのですが、なんと標高が565.6m(計測当時、現在は565.3m)ということで標高から山の名がついためずらしい例です。 芦屋川へ下山 芦屋川への下山道は、 まさに岩石ごろごろ 快調に下り、 この岩場を上ると、 展望が開けます この下りは楽しかった!逆ルートでこの道をのぼってゴロゴロ岳山頂を目指すのもお薦めします。 芦屋川から六甲の山並みをのぞむ... Read More | Share it now!

城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・豊岡市 2024.10.21】昨年夏に出石の街を訪れた際にはまず名産の出石蕎麦をたべて腹ごしらえし、出石城を見学しました。その出石城の裏手からさらに山道をのぼって背後にそびえる有子山の山上の城を見に行くつもりだったのですが、その日はたしか最高気温が37度に達する猛暑日で、急峻な坂道を目の前につぎの一歩が踏み出せず断念。それ以後忘れていたわけではありませんが、再訪はのびのびになっていました。 きっかけは些細な記事です。天空の城として全国にしられる竹田城を築いたのが山名家の全盛期をきずいた山名持豊(宗全)ですが、その持豊から5代あとの祐豊(すけとよ)は此隅山(このすみやま)城を本拠にしていたものの織田信長の下ではたらく秀吉に攻められ降伏、その後信長の許しをえてあらたに有子山城を築きます。その有子山ですが、落城した此隅山城が「子盗み」を連想させて縁起が悪いので、もとは別の名だった山を「有り子」山と名づけたのだとか。真偽のほどはわかりませんが、「そうだ、出石へ有子山城を見にいこう」と思い立つ発端にはなりました。 出石城から 出石城入口... Read More | Share it now!

城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・朝来市 2024.10.21】鎌倉時代から清和源氏を先祖として歴史に名をつらねる山名氏は室町時代に全盛期をむかえます。山名兄弟で全国66ヶ国のうち山陰から丹後一帯の11か国を守護領国とし、そのため「六分の一殿」と呼ばれています。応仁の乱といえば足利義政や日野富子が主役の将軍家の後継争いが中心に取り上げられますが、そもそもの発端は細川勝元と山名宗全の幕府内における勢力争いが引き金になっています。その山名宗全、これは出家後の名で、諱(いみな)は足利4代将軍義持の一字を賜り、持豊。このひとが但馬の守護であったときに播磨の赤松氏にそなえて国境に築いたのが竹田城です。 竹田城といえば天空の城、雲海に浮かぶ城、あまりにもビジュアル面が有名であり、縁あってこのブログを見てくださっている方にとっても城の歴史はどうでもええわ、が本音かもしれませんのでさっそく見学に向かいましょう。 山上の竹田城 朝7時前 秋の竹田城といえば雲海があまりにも有名です。ネット等で調べたところ夜明けから8時ごろまでがチャンスとのことなので、7時前に着くよう早起きして来てみましたが、雲は左端のほうにわずかに見られるのみ。これは今年の秋の異常にたかい気温のため霧が発生しにくい、あるいは夜明けごろには見られてもすぐに気温が上がるため早々に消滅してしまうようです。今年のように高温がつづく秋には、見頃は11月も後半からと考えた方がよいのでしょうか。 古城山の山頂に竹田城の石垣がみえる日差で空が青くひろがる7時半頃から登城開始 表米神社から登ることにします 丸太階段道をえんえんと登る 以前(10年ぐらい前)に訪れたときにはJR竹田駅の裏から出発する道を登ったので、今回は500mほど南西にある表米神社から登る道をえらびました。結論からいうと、これはオススメできません。ふだん山登りに親しんでいない人にとっては、「修行に来たんとちゃうでぇ」と一声あげたくなることでしょう。 竹田城 縄張図を見かけたので掲載します 縄張としての竹田城の特徴をいうと、中心に本丸があり、北と南に両翼のように曲輪がのびて端がともにひろい千畳曲輪になっていること。山麓の駅裏から登っても表米神社からでもいったんは同じところにたどり着きます。そこが料金所になっています。料金所からは登り専用道があり北千畳よこにたどりつきます。そして城跡を縦走するようにあるいて南千畳から下ると、料金所から50mほど離れた場所に下りてきます。そこから駅裏へ下るのも表米神社へ下りるのも可能です。 北曲輪群 城郭が見えてきました 城内へ 桝形虎口になった大手門 大手門をあがって振り返る 二ノ丸から三の丸方向をみる 天守台方向をみる 北二ノ丸、三の丸をみる 南曲輪と天守台をみる 南曲輪群 天守台 天守台から南曲輪群を見わたす 天守台と周辺 南二ノ丸から天守台と北曲輪群の石垣をみる このあたりの石垣の石はきれいに削られ、 このあたりの石は粗く、築かれた時代が早い 下城する 駅裏道は九十九折りで歩きやすい 気持ち良さげな東屋がありました 駅裏は城下町の風情をのこす 寺院越しに山上の城郭をのぞむ 【アクセス】JR竹田駅より登城口はすぐ、登城口から城まで徒歩30~40分【入城料】500円【満足度】★★★★★ ... Read More | Share it now!

山登り,兵庫

【兵庫県・芦屋市 2024.7.3】六甲山系は概して山肌が岩だらけの様相を呈していますが、そのなかでも芦屋市街から六甲山最高峰へ向かう途中で越えてゆく荒地山の奇岩、巨岩におおわれた道はもっとも顕著と言えるかもしれません。ところが荒地山を越えそのまま最高峰をめざすのではなく、途中雨ヶ峠で右(東)に折れて東お多福山へ向かうと、これが六甲山系かと目をうたがうような穏やかな草原が眼前にひろがります。本日大阪市の予想最高気温は34℃、奈良市は35℃、京都市は36℃、そんな中で神戸周辺だけは32℃。今日登る山として六甲山を選んだのは、もちろんこの予想最高気温も考慮にいれてのことです。※夏の間神戸だけは最高気温がつねに大阪市より2~3℃低いのですが、兵庫県内でもさらに西の姫路市あたりになると大阪市と変わらず、また内陸に入ると京都市くらい暑くなります。 高座の滝 芦屋川沿いに登山口へ向かう 芦屋は関西では高級住宅地として知られていますが、いろいろと規制があるようで、阪急芦屋川駅から登山口までおよそ1㎞の間コンビニはおろか自販機すらありません。山登りの際には飲食物の現地調達は考えない方が賢明です。 高座の滝に寄るため通常とは別ルート(滝道)を進みます 高座の滝... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,兵庫

【兵庫県・小野市 2024.6.29】 アルプスALPSが、ラテン語のALPESを英語読みにしたもので、語源をたどれば雪をかぶった白い山の峰というような意味があるということは以前書きました。また日本国内では最初に日本アルプスがその名で紹介されてからのち、ご当地アルプスがいまでは50以上も存在するということも書きました。さて今日ですが、兵庫県の中南部瀬戸内海から20kmほど内陸に入った小野市にある、その名も小野アルプスを歩いてみます。この小野アルプス、小野市の観光協会が日本一低いアルプスと宣伝しているくらいで、たしかにそのなかの最高峰ですら標高は199メートル、ほかの峰はすべて150m前後です。それだけ聞くとハイキングを想像するのですが、端から端まであるくと無名峰をふくめて12山の頂を極めることになり、すなわち全行程がアップダウンの連続で、歩きごたえは十分といえます。 小野市観光協会の案内より抜粋引用... Read More | Share it now!

城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・洲本市 2024.5.9】いまの洲本市の中心地は地理的に淡路島の中心にあるだけでなく、戦国時代のころから淡路一国の政治、経済の中心地として栄えていました。この地に最初に城を築いたのは三好氏の家臣であり淡路水軍をひきいた安宅氏といわれています。世が戦国時代に突入すると、中国地方の大勢力である毛利氏と東から勢力を拡大する織田信長との間に挟まれ、淡路のなかでも両勢力のどちらにつくか意見が割れますが、安宅信康は織田氏へ、それに対して菅平右衛門は毛利氏につきます。淡路での攻防はまず先手を取ったのは毛利氏。淡路島の北端にある信康のまもる岩屋城が落とされると平右衛門は岩屋城主にとって代わります。しかしほどなく信長の命をうけた秀吉により淡路が平定されると、平右衛門は遁走していずこかに身を潜めます。ところが本能寺の変により信長が謀殺されると、明智光秀に呼応した長曾我部氏の後押しもあって平右衛門は表舞台に復活し、その時は仙石秀久の下にあった洲本城を電光石火というよりもドサクサ紛れに奪い取ります。ところがところが、それもつかの間のことでいわゆる中国大返しで備前から畿内へもどる秀吉の遠隔操作による派兵であっという間に追い出され四国の長曾我部氏のもとへ逃れたということです。菅平右衛門は戦下手だったのでしょうか、そこのところはよくわかりませんが、この武将の最期には胸を打たれるものがあります。平右衛門は紆余曲折をへて秀吉の家臣となり、水軍をひきいて朝鮮の役にも加わったようです。そして関ヶ原の戦いでは西軍についていたため敗軍となり領地を没収され蟄居します。ここでまた表舞台から消えるのですが、やがて大坂冬の陣で豊臣方が敗れると、徳川方との講和条約として大阪城の外堀を埋めることになります。そのさい平右衛門は堀をうめる工事の一部を担当させられます。ところが講和条約では外堀だけを埋めることとなっていたにもかかわらず、工事が進むにつれて当たり前のように内堀までも埋めるよう指示が下されます。平右衛門はこの講和条件を無視する行為を武士の道に反すると反発し、一歩もひかぬ抵抗をしめしたのでしょうか、ついに切腹を命じられます。この話が記憶に残っていて、菅平右衛門から洲本城に関心を持つにいたりました。 平城 街の南に位置する洲本城... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,花、紅葉見ごろ,兵庫

【兵庫県・宝塚市 2024.4.19】昨春中山寺に参詣し奥の院を経て中山連山の最高地点まで登りました。そのとき時間も余力もあったので尾根伝いに西隣の大峰山をめざしたのですが、どこをどう歩いたのか道をすっかり見失い結局まるで違う方角に下山する羽目になりました。あれから1年、自分の方向感覚が鈍っていることを痛感し、年会費5700円を払って山登りのためのアプリYAMAPのプレミアム会員になりました。今回はスマホで自分の足取りを確認しながら歩くので、道を間違えることはないはずです。前回と同じルートを歩くのはつまらないので、中山連山を東南から巻くようにあがって最高峰(といっても標高478m... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・たつの市 2024.3.9】アルプスALPSは、ラテン語のALPESを英語読みにしたもので語源をたどれば、雪をかぶった白い山の峰というような意味があるそうです。そもそもはフランス~スイス~オーストリア~イタリア~ドイツあたりを東西につらぬく山脈のことを指しますが、19世紀にイギリス人技師が信州につらなる山系をみて日本アルプスと呼んだのは白眉といっていいのではないでしょうか。ところがその後、ご当地アルプスがつぎつぎに名乗りをあげます。いまでは全国に50以上あるといわれていますが、その大半は「白い山の峰」とは縁遠いもので、なかには100~200m級の山々が連なるといったのどかなものさえあります。しかしアルプスと名乗るだけのことはあって(?)、どれもアップダウンをくりかえすためそこそこ登りごたえはあり、尾根歩きが主となるので景観も楽しめます。さらに里山が多く登山口までのアプローチが楽なのも魅力です。今日はその〇〇アルプスのなかで、兵庫県南西部たつの市の、標高458mの亀山を最高峰とし北から南へとつらなる新龍アルプスを歩きます。 祇園嶽 JR播磨新宮駅から新龍アルプスへ なぜ新龍アルプスと呼ばれるのか、なにやらイワクありげなと、あらかじめその名の由来をネットなどで調べてみましたがわかりませんでした。ところが現地にきて電車をおりたのが播磨新宮駅、ふと思いついて調べてみると、ここは新宮町。新宮町からスタートし、ゴールは龍野城のある龍野町。新から龍へ、案外そういう単純な理由かもしれません。 山道に入ります 最初のピークである祇園嶽をのぞむ 祇園嶽へは一旦ルートから外れ 荒々しい急坂をのぼる 山頂から... Read More | Share it now!