山登り,大阪

【大阪府・東大阪市 2022.9.25】生駒山は大阪市内の自宅から電車で(乗り換えがあるため)30分ほど、自転車でも1時間かからずに行ける、自分にとってはもっとも近場の山です。北から南へつらなる生駒山系の尾根筋が境界となり、西面は大阪府、東面は奈良県に属します。街から遠く離れていないのに静かな山歩きが楽しめ、危険な箇所はないけれどもそこそこ歩きがいもあるのでたびたび出かけており、我が庭とまでは言いませんが、慣れ親しんだ山です。登山道は生駒山系全体で言えば数え切れないほどあり、それらの道を、上り×下りで組み合わせると組み合わせはそれこそ無数にあります。今日はそれらの中で、登り口にも降った先にも立派な神社がある、新石切~枚岡ルートを歩いてみたいと思います。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 石切劔箭神社 石切劔箭神社・絵馬殿(神門にあたる) 近鉄電車新石切駅からあるいて10分ほどで石切劔箭(いしきりつるぎや)神社に着きます。起源はずいぶん古く、古代に天皇の側近として仕えた物部氏の有力氏族・穂積氏が代々祭司をつとめてきたと伝えられています。 絵馬殿の屋根上の剣 昭和になって神道石切教を設立、その総本山となります。「石切劔箭」の名は、祀られた神さまの神威が、石をも切って両断するほどに強靭であることを表しているそうです。 もっとも近所では難しいことは言わず、「石切さん」と親しげに呼ばれていますが。 絵馬殿に祀られた神像(?) こちらは弓と矢です 絵馬殿を抜けると、 これは三の鳥居になります 本殿 この神社ではお百度参りがたいへん有名です。お百度参りというと、大層に想像されますが、ここのお百度参りは本殿前十数メートルほどのところにお百度石があり、本殿前まであるいて拝み、お百度石までもどって一周33メートルですからゆっくりやっても1時間ほどです。いつも多くの人がぐるぐる回っています。 正しいお百度のやり方(石切劔箭神社)https://meigen.keiziban-jp.com/manabi/kenkou/mubyou_zinzya/hyaku/ 本殿脇の御神木 上の社 境内を出て、また10分ほど歩くと(生駒山を登ると) 石切劔箭神社上の社に着きます 生駒山を登る いよいよ山登りが始まります 上の社を過ぎると、人家も途切れそろそろ山登りが始まります。生駒山は大抵は遊歩道のような整備された道があるので、子供連れの方もよく登っています。 道端に彼岸花が咲いていました お地蔵さんもいます 途中にある興法寺 興法寺 興法寺はわざわざ立ち寄るほどではありません 安全な道を快適にあるく これぐらい整備された道が 四方に伸びています 山並みの狭間から大阪市街地が見える 今日あるく道程ではあまり眺望のよいところはありませんが、森林浴にはもってこいの道です。 谷間にかかる赤い橋 この赤い橋が自然の景観を壊しているか、緑&赤で印象深い風景をつくっているかは人それぞれの見解があるのでしょう。 谷を見下ろす 橋の上から谷を見下ろす 枚岡神社 枚岡神社・二の鳥居 枚岡(ひらおか)神社まで下ってきました。ここもずいぶん由緒ある神社です。奈良の春日大社には四神が祀られていますが、その春日大社を創建するさいには、そのうち武甕槌命は鹿島神宮から、経津主命は香取神宮から、そして天児屋根命と比売神はここから分霊されたという事です。すなわち春日大社の神さまの半分はこの枚岡神社出身ということで、ちょっとびっくりします。 ですから春日大社とおなじ鹿が祀られています 拝殿 拝殿横から本殿をみる 若宮 よくは見えませんが、本殿は春日造りの四棟が並んでいます。春日大社に分霊したとはいえ、そののちにはやはり先方がずっと格上になり、こちらは落ちぶれてはいないものの、十分な予算も回ってこないのでしょう。4月にたずねた春日大社に比してずいぶん見劣りします。なにが見劣りするかといって、春日大社が本殿と若宮を天然の本朱で塗ってあるのに対して、こちらはあきらかにベンガラなのか朱色が鮮やかすぎて浮いています。 【アクセス】近鉄電車新石切駅から瓢箪山駅まで歩きました。【拝観料】すべて無料です。【満足度】★★★★☆ ... Read More | Share it now!

神社・仏閣,大阪

【A-33】大阪市・住吉大社→堺港→堺市・大鳥大社(2022.6.26) 今日は大阪市最南部にある住吉大社から、市境をこえて堺市の大鳥大社まで歩いてみます。 住吉高燈篭 大阪メトロ・北加賀屋駅で下車し、住吉大社へ向かう途中、住吉高燈篭に寄ってみました。 そもそもは住吉大社の常夜灯として立てられ、江戸時代になってからは、このあたりまで海岸線が迫っていたため灯台の代役として使われていたそうです。当時のものは解体されたようですが、その後外形をそのまま保ってコンクリート造りとして復活させたとか。 隣接する住吉公園をぬけます。 南海電車・住吉大社駅の高架をくぐり、 ちょこっと歩くと住吉大社に到着します。 反り橋 境内にはいるとすぐに反り橋をわたります。 反り橋 反り橋を横からみると、こんな景色です。 反り橋の一番上から進行方向を見る この住吉大社は、全国にある住吉神社の総本社になります。 社殿はいわゆる拝殿が存在せず、むき出しで(?)... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,大阪,兵庫

【兵庫県・伊丹市、大阪府・池田市 2022.6.12】 今日は黒田官兵衛と荒木村重ふたりのゆかりの地を訪ねたいと思います。黒田官兵衛といえば、言わずと知れた秀吉の軍師(知恵袋ともいわれます)ですが、荒木村重が信長に背いた際には思いとどまるようその居城・有岡城へ説得にゆきます。ところが説得に失敗しただけでなく、官兵衛をこころよく思わない者からの讒言により有岡城の地下牢に幽閉され、一年におよぶ牢獄生活で官兵衛は頭髪が抜け落ち、体中に瘡(かさ)ができ、さらにひざの関節が曲がらなくなる障害をかかえることになります。その官兵衛にとっては地獄の思いをした有岡城が本日最初の訪問地です。 JR伊丹駅まえに有岡城址公園があります。この石垣が当時のままのものなのか分かりかねますが、ちょっと整いすぎているように思えます。 石垣を上ってみると、上にあるのはこれだけでした。あとからアレコレ造るよりは、これだけしかありませんという方が潔いのかもしれませんが、しかし物足りません。 街を歩いていると、他にも土塁や 石垣がところどころに残っていました。 ところで荒木村重は信長に背いたことにより、ここ有岡城に籠城します。村重の背信に激怒した信長は、有岡城を厳重に包囲させ、そして村重が城外へ脱出したにもかかわらず、城に残っていた家臣や女子供にいたるまでを、報復と見せしめのために殺しつくします。信長の残虐性をつたえる、敵方に対する殲滅戦や虐殺は数々ありますが、この有岡城での虐殺はその最たるものではないでしょうか。信長ファンであったもここでの惨劇を天下布武の過程で必要だったとはとうてい認められません。 荒木村重の謀反と有岡城の戦い、そして荒木一族の処刑https://senjp.com/arioka-2/ 酒蔵 伊丹は伝統のある酒造りのまちで、ふるい酒蔵も残されています。 旧岡田家宅 江戸時代に酒造家によってたてられた商屋。 酒屋の商家をイメージしたマンホール 極めつけはこれです。伊丹ミュージアム正面入り口のちかくにあります。一点物のマンホールです。 猪名野神社 かつての有岡城は、総構えといって城下の町ごと濠や石垣でぐるりと囲んで防御機能をたかめていたのですが、その総構えの北端にあったのがこの猪名野神社です。 拝殿 拝殿奥の本殿は修繕中で、全体的には少々さびれた感じでした。 伊丹空港から飛行機が飛び立つ 猪名川をわたって池田市へ向かいます。大阪空港(国内線が中心)から5分に1便ぐらいの頻度で飛行機が飛び立ってきます。ところで大阪空港は伊丹空港ともよばれるのですが、伊丹市(兵庫県)、池田市(大阪府)、豊中市(大阪府)の3市の市境にあり、この3市にまたがるのですが、さらに飛び地があって地理的にはたいへん複雑です。 猪名川から池田市をのぞむ ヒメジョオンが咲く猪名川河岸から池田市街を遠望します。ところでヒメジョオンは小さな花ですが、これだけ咲いていると壮観です。 呉服神社 池田市街につきました。 ぜひ立ち寄ってみたかった、JR池田駅からほどちかくにある呉服神社(くれはじんじゃ)をのぞいてみます。 拝殿 拝殿 応神天皇(仁徳天皇の父)の時代に、機織りと裁縫の技術をとりいれるため、呉の国より呉服媛(くれはとりのひめ)と綾羽媛(あやはとりのひめ)姉妹を招きます。姉妹はそれこそ夜も徹して織物、染色、縫製にはげみその技術を日本につたえ残してくれます。その功績に感謝し、呉服媛を呉服大明神として祀ったのがこの神社のはじまりです。なおいま日本につたわる呉服(ごふく)という言葉は、この呉服(くれは)からきています。 拝殿をかざるステンドグラス 拝殿をかざるステンドグラス 池田城公園入口 つぎには、これもほど近くにある池田城址にむかいます。 池田城公園 池田城公園 池田城公園内にたつ天守閣のごとき建物は、説明板によると、公園のシンボルとしてそれらしく造ったもので、史実にもとづいて正確に再現したものではないそうです。 石基がのこっています。 池田城より五月山をのぞむ 公園内に咲くテッポウユリ 動物園へむかう坂道 時間もあるので、入場料無料の池田市立動物園へ寄ってみます。 動物園へむかってあるくと こんなマンホールが道案内してくれる 動物園入口 なんだかチャチい入口ですが、まあそこは入場料無料ということで-... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,大阪

【大阪府・交野市、枚方市 2022.5.22】今日は、徳川家康ゆかりの地である「家康ひそみの藪」を見にゆき、そこから直線距離では16kmほど北にある明智光秀ゆかりの洞ヶ峠まで歩くつもりですが、一般道を通ったのでは面白くもないので、大阪の森林地帯といわれる大阪府民の森から交野山を歩いて行きたいとおもいます。 星田妙見宮 星田妙見宮(小松神社) JR星田駅をおりて、宅地の中のくねくね曲がった道をスマホの地図アプリをみながら歩き、星田妙見宮に到着しました。 各地でときどき見かける妙見宮も妙見神社も、ともに天之御中主神をまつる神社です。 けっこう長い階段を上ります。 さいごの階段をのぼって拝殿へ。 この巨岩がご神体です。 (水の乏しい)滝場も巨岩でした。 家康ひそみの藪 (伝)家康ひそみの藪 じつは、きょう一番の目的地はここなんです。本能寺の変の折、徳川家康は織田信長から安土城で接待をうけ、そのあと京、堺を見物して回る予定でした。まさにその瞬間には、このあたりにいたようなのですが、信長の同盟者であることから身の危険を察した家康は、土地勘のある従者の導きで山伝いに伊賀から伊勢へと決死の脱出行を行います。その行程中に潜んだのがこの藪だそうです。ただし、あくまで「伝」の範囲内です。 ほしだ園地 ほしだ園地へ 大阪府の東側、奈良県との境に森林地帯がのこっていて南から、みずのみ園地、なるかわ園地、ぬかた園地、くさか園地、むろいけ園地、ほしだ園地、くろんど園地とつづき、さらに北へ進むと交野山につながります。 「星のブランコ」と名付けられた吊り橋 寄付金箱がありますが、わたるのは実質無料です。 ほしだ園地から磐船神社へ ほしだ園地へ入ってきた時と同じような道がつづきますが、いっそう緑深くなってきました。 磐船神社 磐船神社 ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,大阪

【大阪市内 2022.5.3】きょうは、大阪市内のほぼ中心部を南北に隆起する上町台地と、そこに広がる寺町界隈を歩きます。焦点を絞ろうにもしぼれないので、歴史も文化もなんでもありのチャンポン状態で見て歩きます。 難波宮... Read More | Share it now!

千利休,街歩き・山歩き,大阪

【大阪府・堺市 2022.2.23】かつて堺には三好長慶から松永久秀、織田信長から豊臣秀吉と、戦国時代の有力武将が深く関わってきました。なぜ有力武将かというと、堺は巨大な富を生み出し、その富にむらがるもののふもあまりに多かったため、本人が有力でなければ弾き出されてしまったからです。富がうなるほどですから豪商もうまれます。武野紹鷗、津田宗及、今井宗久... Read More | Share it now!

千利休,街歩き・山歩き,城郭・史跡,大阪

【大阪府・堺市 2022.2.23】堺市北部にある仁徳天皇陵を中心とした百舌鳥古墳群は、羽曳野市・藤井寺市にまたがる古市古墳群とともに、2019年7月に世界遺産として登録されました。大阪では初めての世界遺産登録ですが、はたしてこの遺産で観光客をどれだけ呼べるのか、期待よりも不安の方が大きいと思っていたのもつかの間、翌年早々に新型コロナの感染で世界中の人の動きが止まってしまい、いまに至っています。そんな中、仁徳天皇陵古墳はもしかすると仁徳天皇のものではないのではないかと先日メディアで報じていました。そこでさっそく見に行くことにしました。 三国ヶ丘駅より 南海三国ヶ丘駅階段より仁徳天皇陵古墳をみる 南海三国ヶ丘駅につきました。ここはJR三国ケ丘駅と駅舎を共有しています。駅名は同じですが、「ケ」の大きさが違います。ウソのようなホントの話です。 仁徳天皇陵古墳をぐるりと回る 柵に沿って歩いて行く 標識も各所にあります 案内にしたがって進みます 公園のようになっているところもあります 外周の道沿いにも小さな古墳や 中規模の古墳が点在しています 説明版も各所に配置されています。世界遺産に登録されて準備万端だったんですね。 仁徳天皇陵・拝所 拝所前のお濠 仁徳天皇陵古墳は前方後円墳ですから、拝所は前の方形部にあります。ですからここから見る濠は横にまっすぐに伸びています。これが方形部の幅の半分で、残り半分が背中側に伸びているのですから、いかに巨大かということです。 仁徳天皇陵・拝所 仁徳天皇陵が仁徳天皇のものではない、というのはどうやら間違いないようです。出土する土器や馬具などから、仁徳天皇埋葬時より半世紀近くあとにつくられた古墳である可能性が高いそうで、そうなると仁徳天皇の息子のものではないかと推測されるそうです。仁徳天皇についてはご存知でしょうか。夕餉ときになっても民家のかまどから炊飯のけむりが上がらないのをみて民の生活の苦しさを知り、3年間無税にするだけでなく、自身も宮の屋根の修理すらせずに節約につとめたとの逸話がのこる方です。そこから「仁徳」天皇とよばれるようになったもので、そもそもは大鷦鷯(おおさざき)天皇です。 ところで、このメディア報道について宮内庁は、そうした研究発表があることは知っているとした上で、だからといって仁徳天皇のお墓ではないと変更するつもりはありませんとコメントしています。またある研究者の方も、そういう徳のある方だったので、一番大きなものをぜひ仁徳天皇が眠っているお墓にしようと意図して、むかしの人が日本書紀などにそう記録したのではないかと語っていました。なんだかいい話ですね。 仁徳天皇陵は誰の墓?https://news.yahoo.co.jp/articles/3a5c4ee034055428f45d9251a1e44e9d1f1e2193 大仙公園 仁徳天皇陵の南にひろがる大仙公園、そこにも古墳が 堺にゆかりのある千利休の像も 堺市博物館 大仙公園内にある堺市博物館に入ってみました。 入館料:200円 履中天皇陵古墳 履中天皇陵古墳 大仙公園を南へ抜けると、履中天皇陵古墳があります。前方後円墳ですからこれは後方になります。 【アクセス】南海三国ヶ丘駅または... Read More | Share it now!

城郭・史跡,大阪

【大阪市内 2022.2.5】いまある大坂城は、秀吉が建てたものではありません。大坂冬の陣・冬夏の陣により豊臣家を滅ぼして後、徳川家康は当時の大坂城を徹底的に焼きつくし埋めつくしてしまいます。ですから秀吉が築いた大坂城は残骸となって、いまの家康が建てた(新)大坂城の下にねむっています。とは言え、いまの大坂城も見ごたえは充分にあります。今日はゆっくり時間をかけて大坂城を見て回りたいと思います。 大坂城へ 第二寝屋川・新鴫野橋 自宅から3kmほどの距離ですので、ここまで歩いてきました。寝屋川の向こうにさっそく天守閣が見えます。 ところで大阪は、むかしは大坂と書いていました。それゆえここでは大坂城と書きます。 京橋口 北口にあたる京橋口 大坂の陣についてhttps://benesse.jp/contents/history/osakanatsunojin-fuyunojin/ 肥後石 京橋口から入るとこの巨石が迎えてくれます。 表面積はたたみ33畳分あるそうです。当初は肥後の加藤清正が運んだと考えられていたため「肥後石」と名付けられましたが、あとになって備前岡山の池田家の担当だったことが分かったと案内板に書いてありました。 石垣の巨石はどうやって運んだのかhttps://shirobito.jp/article/361 北内濠をはさんで 極楽橋と天守閣 青屋門 青屋門より もうすこし時計回りにまわって青屋門まできました。 梅林 青屋門の近所に、大坂城の人気スポットでもある梅林があります。 立ち寄ってみましたが、チラホラ咲き始めという状況でした。 豊国神社と秀吉像 西日本ではおなじみの豊国神社。秀吉を神として祀っていますが、この大坂城内の神社では秀頼(息子)と秀長(弟)も祀られています。 桜門 桜門... Read More | Share it now!