【奈良県・生駒郡斑鳩町 2022.10.23】斑鳩(いかるが)とは、もとは聖徳太子(厩戸皇子)がこの地に宮を建て(その宮が斑鳩宮とよばれる)、さらに周辺に法隆寺、法起寺、中宮寺を創建したことから一時は日本(大和)の政治の中心地となります。聖徳太子が没して後、その子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が蘇我入鹿(そがのいるか)に襲撃され後に自害することでこの地も没落してゆきますが、聖徳太子ゆかりの寺が残っていることから多くの人々(信仰者と観光客)が訪れる土地として伝わっています。秋には中宮寺跡地はコスモス畑となり、また法起寺は三重塔を背景にして絶好のコスモスの撮影スポットになるため、今日は久しぶりに斑鳩を歩きに行きます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 小泉神社 小泉神社・鳥居 鳥居の奥に、城門? 城門をくぐると神社(拝殿など)がある JR大和小泉駅で降りたので、小泉神社に寄って行きます。ここはたいへん珍しい神社で、鳥居をくぐるとその奥に城門があります。室町時代に、このあたりの豪族・小泉氏が神社の敷地内に陣屋を構えたゆえだそうです。 法起寺 農道をあるく 斑鳩は古都保存法の指定地のため、こんな道がのこっています。残念なのは、畑にブルーシートがわんさかあること。古都保存法の指定地にするのならば、補助金を出してせめて茶色とかグレーのシートを使うようにすれば、と思うのですが。 法起寺・三重塔 塀越しに 垣根越しに... Read More | Share it now!
奈良には信貴山朝護孫子寺もある
【奈良県・生駒郡平群町 2022.10.4】奈良でお寺と言えば、まずは大仏のある東大寺や、聖徳太子が建立した法隆寺あたりを思い浮かべますが、実は奈良にはそれらと比較しても遜色ないのではなく、比較の仕様がないような奇抜な寺があります。大阪府との県境近く、信貴山(しぎさん)のふところに抱かれるようにある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)がそれです。創建については、1400年余りまえ、朝敵・物部守屋を討つべく聖徳太子がこの山(信貴山)にきて必勝祈願したところ、天空からあらわれた毘沙門天が必勝の秘法をさずけ、その加護により戦いに勝つことが出来たため、この山を「信ずべき貴い山」として信貴山とし、毘沙門天を祀る寺を建立したとのこと。さらにその毘沙門天が現れたのが、寅の月の寅の日、さらに寅の時刻であったことから様々な「寅」を神の代理として安置しているそうです。ですから起源は聖徳太子建立となるのですが、これは「伝承」の域を出ていません。確実に聖徳太子建立とされる法隆寺や四天王寺と比較して、伽藍配置もまったく違うし、なによりも雰囲気があまりに異なります。密接して立ち並ぶ建物、乱立する毘沙門天の赤い旗、あちこちに配された寅のオブジェ、さらに神仏習合時代の名残りで鳥居もたくさん残っており、それは寺というよりオモチャ箱のようで、聖徳太子をまったく知らない子供をつれてきても退屈させることはないかもしれません。もちろん本来の姿は、れっきとした信貴山真言宗の総本山です。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 仁王門から赤門へ 仁王門が見えてきました 仁王門の手前にある千体地蔵 前方の高所に本堂が見える 前方の高所に本堂が見えてきましたが、その手前進む先に、黄色に黒い縞模様といえば、タイガース、いえいえこれぞ「寅」のお出迎えです。 これが信貴山一番の寅(の張り子) 更に2体の寅(の張り子) 2体の「寅」の先にある赤門 赤門を抜けると鳥居があります 寺の中になぜ神社の鳥居があるのか、「神仏習合」とは?https://en-park.net/words/7384 毘沙門天のパワー満開(?) 寅、虎、トラ 寅の郵便ポスト 狛犬の代わり(?)の寅 この寅は檻に入っています こんな悪面の寅もいます 聖徳太子像 数々の、しかも漫画チックなものも混じる寅のなかに紛れて立つ聖徳太子には、居心地は良いのかどうなのか。 なお他にもたくさん寅がいますので、それら寅をさがすだけでも結構楽しめます。 多宝塔から大地蔵尊へ 多宝塔を見上げる 多宝塔 下を見ると、信貴山にはこれほど建物が密集しています 大地蔵尊へ 大地蔵尊と三重塔 こうして見上げると、たしかに大きな地蔵尊 本堂 本堂 本堂から見下ろす 本堂正面(毘沙門天王) 「毘沙門天王」の額の両側にあるムカデの彫り物 本堂より大和盆地を見下ろす ムカデにまつわる物語http://www.amh.ako.hyogo.jp/upload/hospital_news/40/4bdde23531f9d419a35517b283b215ed.pdf 千手院の寅の胎内くぐり 最後に福をさずかる寅の胎内くぐりをして帰路につきます。 【アクセス】近鉄信貴山下駅から歩くのがおすすめルートです。【拝観料】無料【満足度】★★★★☆ 仕事を引退してプー太郎になり、今日ははじめて平日(火曜日)に出かけることになりました。あさ大阪から奈良へと向かう電車にはまだ通勤客が乗っていて、その中でリュックをかかえて遊びに出かける自分がなんとも居心地が悪く、なんとなく身を小さくしていました。 ... Read More | Share it now!
奈良・二上山のふもと當麻寺を訪ねる
【奈良県・葛城市 2022.8.21】今日は大阪府との境にちかい奈良県葛城市の當麻寺(たいまでら)を訪ねてみます。當麻寺は、伝説上の人物である中将姫が一晩で織り上げたとされる当麻曼荼羅で知られています。寺が建立された当初の本尊は弥勒仏ですが、いまでは当麻曼荼羅そのものが本尊として祀られ、結果として弥勒菩薩をまつる浄土宗と、曼荼羅をまつる密教信仰の真言宗とが並立している、ちょっと変わった寺院でもあります。なお當麻寺は当麻寺とも書き、この一帯を治めていた葛城氏一族の当麻氏の氏寺だったので本来は当麻寺だったとか、當麻寺を常用漢字にあらためると当麻寺になるとか(たしかに最寄りの鉄道駅は当麻寺駅となっています)、諸説ありますが、正確なところはわかりません。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 當麻寺・仁王門 当麻寺の仁王門が見えてきた 近鉄電車の当麻寺駅から10分ほど歩くと、當麻寺の仁王門(東大門)が見えてきます。 仁王門 仁王像・吽形... Read More | Share it now!
金魚の里・大和郡山と郡山城址をあるく
【奈良県・大和郡山市 2022.7.17】今回は、奈良県の大和郡山を歩きに行きます。戦国時代には、松永久秀、筒井順慶らがこの地で争い、秀吉が天下を治めてからは、弟の秀長が和泉、紀伊、大和におよぶ100万石の所領を得て、ここ郡山を居城とします。すなわち大和郡山市は100万石の城下町であり、郡山城はその大大名の本城だったわけです。また江戸時代から武士の副業として金魚の養殖がさかんに行われ、現在も金魚の名産地として有名です。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 五輪塔覆堂(筒井順慶の墓所) 大和郡山市は奈良市と隣接してその南に位置します。大和西大寺駅(先週、安倍元総理が銃撃されたところです)で橿原線に乗り換え、いったん大和郡山駅を通りすぎ、平端駅で下車します。そこから歩いてすぐに筒井順慶の墓所があります。「(石田)三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と詠まれた「島左近」はもともとはこの筒井順慶の家臣でした。 筒井順慶についてざっとhttps://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4184 15分ほど北へ向かって歩きます。 駅でいうと、まさに「近鉄筒井駅」のちかくに筒井城跡があります。跡といっても、ここにありました、の「跡地」です。順慶は信長に仕えるまえは、ここ筒井城を居城とし、松永久秀らと獲ったりとられたりの戦いを続けていました。 大和郡山の中心街に入ると郡山八幡神社がある グラブ神社ともよばれ、野球上達祈願やグラブの供養も 金魚ストリートの名もある柳町商店街 さすがというか、街を歩いていると様々なところに金魚の文字や図柄があふれています。 金魚すくい大会に興味のある方はこちらhttps://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/02/index.html 手前は金魚がデザインされたマンホール これもマンホール... Read More | Share it now!
新緑の柳生街道を歩いてあるいて
【奈良市 2022.5.5】今日は、柳生街道を奈良市街から笠置まで歩き切ります。 奈良公園 近鉄電車・奈良駅からスタート。まずは奈良公園を通り抜けます。 春日山への分岐 /... Read More | Share it now!
新緑の下、春日山をあるき若草山にのぼる
【奈良市内 2022.4.30】春日大社を見物した後は、その背後にある春日山をあるき、さらに若草山山頂へ向かいます。 春日山周遊道 春日山周遊道入口 春日大社を南に抜け、一般道をすこし東にあるくと、春日山周遊道入口に達します。 春日山周遊道https://narashikanko.or.jp/wp-content/themes/nara-portal/pdf/pamphlet_pdf/kasuga_yagyu.pdf 春日山は春日大社の神々がやどる神域ですから、決められた道以外は立ち入り禁止です。同時に神域であったがため千数百年のあいだこの山には人間の手が加えられていないので、「原始林」という形で、むかしからの自然が残されています。 なんと新緑の美しい 緑の中にたたずむ妙見宮 下の道へおりると柳生街道です。 緑に吸い込まれるかのよう 原始林だけあって圧倒されるような木々が。 これは本当に圧倒される。 春日山石窟仏 むかしはこの山にこもって修行をつんでいたのでしょう。これらの石窟仏はそのときに彫られたものです。 鶯の滝 鶯の滝 高さ10mほどの小さな滝ですが、原始林の奥深くにあり、たどり着くまでの道のりが貴重な体験になります。 興福寺別院鶯滝歓喜天 興福寺別院 鶯の滝への分岐道の反対側に、「興福寺別院鶯滝歓喜天」なる石碑が立っていました。雰囲気からして、ぜひ行ってみるべきと判断しました。 これが興福寺別院鶯滝歓喜天 御堂は災害(たぶん台風)でこわれて撤去したと貼紙がありました。誰もいません。そして空気まで緑色に染まり、時間が止まったかのようです。これは、すばらしい場所をみつけました。 この山中で最大の山桜... Read More | Share it now!
奈良・春日大社へ、希少な朱色をもとめて歩く
【奈良市内 2022.4.30】今日は新緑を堪能するまで見て歩こうと、奈良へ来ました。まず春日大社に参詣して、そのあと春日山原始林の中をあるき、若草山山頂をめざします。 奈良駅 JR奈良駅 JR奈良駅はさすが趣きある外観です。中は買い物もできれば飲食もでき、きれいなトイレがいくつもあり、なによりも大きすぎず使い勝手がよいです。 興福寺 猿沢の池... Read More | Share it now!
奈良・明日香村にて、飛鳥の里をあるく
【奈良県・明日香村 2022.4.17】ややこしいのですが、飛鳥文化の遺構がのこる地域を飛鳥の里といい、奈良県の明日香村にあります。大阪から電車でくると、近鉄・飛鳥駅で下車しますが、駅近くのコンビニは「○○明日香店」となっています。要は、地名としては明日香、文化としては飛鳥ということなのでしょう。なにはともあれ、明日香村の飛鳥の里を歩いてみます。 飛鳥駅から歩きはじめる ... Read More | Share it now!
古史に思いをはせながら大和三山をまわって登る。
【奈良県・橿原市 2022.3.27】今日は大和三山を登って回るつもりですが、藤原宮跡地の菜の花が見頃との情報を得ましたので、まずは寄ってみます。 菜の花畑 藤原京跡地を利用した菜の花畑 ドーンと菜の花畑がひろがっています。 右側土手の桜はまだ三分咲きぐらいで、菜の花と桜の競演とはいきませんが、それにしてもこの一面真っ黄色というのも見事です。 菜の花畑、後方に畝傍山 飛鳥の里周辺の歴史的風土保護区にある三体の山を総称して大和三山とよびます。 いま菜の花畑の後方に見えている小山が畝傍山(うねびやま)です。ほかに天野香久山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)をきょう一日でまわるつもりです。<最終的には時間不足で、畝傍山には行けませんでした> のどかな桜並木道 藤原京 藤原京・朱雀大路跡 藤原京跡... Read More | Share it now!
古都奈良へ「なら瑠璃絵」を楽しみに行く
【奈良市内 2022.2.12】今年が13回目の開催で、すっかり古都奈良の冬の恒例イベントとなった「しあわせ回廊 なら瑠璃絵」を見にきました。大阪に住んでいると、奈良も京都もほとんど同じぐらいの時間と交通費で往復できるのですが、実際に遊びに来るのは京都5回に対して奈良1回くらいでしょうか。それほどに奈良は地味です。というか宣伝があまりに下手です。 興福寺 興福寺から見た夕焼け 興福寺・南円堂 興福寺は法相宗の総本山で、藤原氏(藤原鎌足とか不比等とか)の氏寺です。いまも大きいですが、かつては広大な領域を占めていたようです。 五重の塔 東金堂 興福寺の歴史に興味があるならhttps://www.kohfukuji.com/about/history/ 奈良国立博物館(旧館) 奈良公園内をあるき、奈良国立博物館のまえを通って東大寺へとむかいます。 東大寺・南大門 東大寺は華厳宗の大本山ですが、そもそもは聖武天皇が日本全国に建てる国分寺・国分尼寺の中心としての位置づけで建立しました。それゆえ天下泰平、万民豊楽を祈願したものです。 なお地震などの天災にも見舞われますが、なんといっても最大の災難は、1567年松永久秀と三好三人衆の戦いの場となり。正倉院などをわずかに残して大半が燃えて失せてしまいます。 南大門金剛力士像・阿形 吽形 南大門金剛力士像については、阿形を運慶がつくり、吽形を快慶がつくったとする説や、阿形を運慶と快慶(ふたりは兄弟弟子)でつくり、吽形を湛慶(じんけい:運慶の息子)と定覚(じょうかく:運慶の弟)でつくったとの説もあります。 仏師・運慶と快慶の関係https://manareki.com/unkeikaikei 鏡池と、後方に緑いろに写っているのが大仏殿(金堂)です。 八角灯篭と大仏殿 大仏殿... Read More | Share it now!